「責任」という概念にむきあってみる
皆さんこんにちは株式会社CuboRexの寺嶋です。今回は製品を社会にだすようになってよく聞くようになった「責任」という概念について深ぼってみたいく。
そももそ寺嶋自身、責任という言葉をよくきくものの責任というものを当事者としてよくわかってないことに気づいた。
そこで自分なりに調べたころわかったこととして、なんらかの事象に対して応答すること(向き合うこと)が責任を取ることであることがわかった。
しかしそうすると大きな問題がおきる。下記tweetにあるように
責任を取る=現状の立場を去る
という社会ニュースでよくみる組織の責任者が問題事象に対して責任をとって現職を辞任することが説明できなくなる。
もし上記の考えが社会的にも論理的にも正しいのであれば極端な話として下記のことが成立してしまう。
これに対する回答として納得したのが下記の考えだ。責任者が当該問題に対して「責任をとる行為」そのものが問題行為の解決につながらず、より問題を大きくする(またはその可能性が高い)場合である。その場合は現職は適切に問題解決が可能な人員を責任者として配置し、自身は去るのが最も良い。
最後に
今回はtwitterで行った責任という概念に対する議論で有益な考えをえることができた。最近は社員達も増え、社会に対して価値ある製品を提供する「責任ある立場」としてより真摯に今後おこる事象に対して向き合っていく。
そして社会側も「責任」という概念に対して正しい理解をもち、適切に「責任をとる」「責任を追求する」ことができる社会になってほしいと考える。
「責任」というとよく重い概念に思われがちであるが社会全体が責任というものに対して適切な理解(責任のあり方、責任をとる立場に対する利得)を示し折り合いがつけれる状況にある限りとても有益な概念であると考える。
よければ自身が行っている責任のとり方や追求の仕方、責任の切り分け方などについて考えがあれば今後の参考にさせていただくのでコメント欄に記載頂けるとありがたい。
本記事が今後、責任をとるもの、責任を追求する者達にとってそれぞれが正しい理解を示し、最終的によりよい解決策を共にもとめることができる社会に少しでも貢献できることを願い筆をおく。
執筆者