幽霊が出る(らしい)部屋

「あの部屋、幽霊がでるっけよ」

一人暮らしの部屋を決めようとしていたとき、職場の先輩たちがそんなことを言いだした。
候補は2部屋。そのうちの1部屋に対する意見がそれ。
なのに、その「幽霊が出る(らしい)部屋」に決めたのは、とにかくその部屋の日当たりが良かったからだ。

その物件──1階は2畳の台所と6畳の板張りの部屋、2階は8畳の畳部屋。
そう、まさかの2階建て。
その2階の畳部屋が日当たり良好でとにかくあたたかそうで、それが最終的な決め手となった。
幽霊云々は、信じなかった。
だって、あんなあたたかそうな部屋に幽霊なんてありえないでしょう。

家があったのは、海辺の、人口1万人ほどの田舎町だった。
それにも関わらず、町には本屋が2軒、さらにきれいな図書館まであった。
おかげで、あの家で暮らした5年10ヶ月間はとにかく本を読んだ。
漫画、小説、エッセイ、詩集──
2階の畳部屋で読んだたくさんの本たちが、10年後、駆け出しのシナリオライターとなる私の糧になった。
ほどよく明るい居心地のいい空間で、ごろごろ寝転がりながら、好きなだけ本を読む──それが、当時の私の主な休日の過ごし方だ。
しかも部屋の広さは8畳。それだけあれば、本を置くスペースに頭を悩ませることはほぼない。
日あたり万歳! 8畳万歳!
やっぱりこの部屋を借りて正解だった。幽霊なんて知ったことか。

とはいえ、幽霊らしきものには一度だけ遭遇した。
ある夜、肩を出して眠っていたとき、そこにいないはずの「誰か」が、そっと布団をかけてくれたのだ。
夢うつつに「寒いな」と思った矢先のことだった。
さらに、背後からは「ふふふ」と楽しげな女性の笑い声が聞こえてきた。
おかげで、一発で目が覚めて、そのあと1時間ほど眠れなかった。
幽霊はいた! 本当に出た!
それなのに、翌日職場の先輩や上司にそう訴えると

「布団をかけてくれたんだから、いい人だったんだべ」

で片付けられてしまった。一理あるような、釈然としないような。

そんな思い出深いこの部屋とは、24歳の春にお別れをした。
理由は、最初の勤め先をやめて上京すると決めたからだ。
ライターになりたかった。それには東京に行くしかないと思っていた。
新たな引越先を決めたあと、畳部屋に貯め込んでいた本のほとんどを売ることにした。たしか1500冊くらい。いや、もっとあったかも。
なにせ、新しい部屋はこの家の半分以下の広さしかない。
それなのに家賃は2倍。さすが東京23区内。
退居日前日は、荷物がほとんどなくなった部屋で、実家から持ってきた寝袋にくるまって寝た。
ちょっと寒かったけど、肩まですっぽり隠れていたせいか幽霊らしき女性は出てこなかった。

上京後、さらに二度引っ越しをしたことで、本棚のラインナップはだいぶ変わってしまった。
それでも、8畳の畳部屋で読んでいた本のうち30冊ほどがまだ手元に残っている。

ちなみに、あの家はだいぶ前に取り壊されてしまって、今は駐車場になっているそうだ。
一度だけあらわれた幽霊の彼女は、今日も寒空の下、跡地にたたずんでいるのか。
それとも、近所に住んでいる誰かの部屋で、そっと布団をかけてあげているのだろうか。


#はじめて借りたあの部屋

見つけてくださって、ありがとうございます! 執筆時、飲み物必須なので、お茶代として活用させていただく予定です。