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更新されて1年

以前、とある俳優さんが舞台や映画を観に行ってすごく感動したり触発された時、まっすぐ家には帰らずに一人で飲みに行くことが多い、という話をしていた。
彼はその時の心情をこう表現していた。
『豊かな気持ちのまま家には帰れない』


おそらく家に帰れば愛する家族がいて、そこには彼の大切にしている日常があるのだろう。
だけど、すぐにその日常に帰って行く気にはなれない時があるっていうこと。
言葉では説明しがたい温度差を感じてしまう状態、その気持ちがなんだかすこしだけ想像できる気がした。
素晴らしいものを目にして心に芽生えたその気持ちを、途切れさせるのが惜しくて、少しでも長くその中に独りきりで漂ってたいんだろうなぁ。
日常に戻るために自分を鎮めていくような時間が必要になるほどのその気持ちを、わたしも味わいたいなぁ…。
そんなふうに思ったことを覚えている。



昨年、6月4日のイルコンチケットが取れた時点で、すぐに泊まるホテルを探した。
ライブが終わってから電車に乗ればほどなく帰り着く距離に家はあるけれど、自分が〝豊かな気持ち〟になることが予想ができてしまったから、すぐに日常に戻るのは無理だろうと思ったのだ。
そして実際そうだった。
ほんと、そうだった。
豊かすぎて眠れなかった。


つい先日、あの日一人で泊まったホテルをたまたまYouTube動画で見かけて、そこに映し出される周辺風景をなつかしく眺めていたら、1年前にそれを見ていた日の瑣末な記憶をぽろぽろと思い出してしまった。
異常に緊張して、何日も前からまともに食事がとれなくなっていた自分。
チェックインして部屋を出る直前まで、湿気にうねりまくる髪に親の仇かってくらいヘアアイロンかけまくったこと(誰も他人の髪のうねりなど気にしてないことはわかってるが、自分の気に入る自分でいることは精神衛生上とても大切だ)。
そして何より、水辺が近い場所特有の、あの空気感。
その中を歩きながら、いつもよりさらに地面から足が離れているような、ふわふわした感覚がしていたことなど。


あれから1年が経った今、Blu-rayやら映画やらの映像でしつこくツアーステージを観続けたからか、もしくは単に記憶力が著しく低下しているせいなのか、残念ながらライブ自体のリアルと画面の記憶の境は、もはや曖昧になってしまった。
〝Agust D〟の音楽を好きになって以来ずっと心の中に密かに抱いていた夢だったのに、時間が経てば本当に夢みたいに消えてしまうんだ。
どんなに忘れたくなくても、決してずっとしっかりと掴まえてはおけない。
そうしてそれは仮にスマホの画面に録画してみたところで、きっと同じことだったろう。
すべてはこぼれ落ちていってしまう、その瞬間にしか存在しないもの。
だから、また観たくなるし聴きたくなる。
何度でも会いに行きたくなるのだろうな。



ライブは誰にとっても、とても個人的な記憶なんじゃないかと思う。
同じものを観て聴いても、それぞれがまったく違うものをピックアップして、それぞれの心の中に招き入れてるようだ。
そうしてそのオリジナルな記憶は、出会って感情を揺り動かされたことで自分が変わっていく記録でもある。
〝豊かな気持ち〟の記憶は、自分をゆるやかに変えていく。
そんな気がする。
そうやって何度も何度も〝豊かな気持ち〟になって、わたしはわたしを更新していくんだろうなぁ。
あの日もまた、確実に更新された気がする。



ユンギさんはイルコンの後で、日本のFCに〝自分の音楽を通してARMYと通じ合えたことが本当に幸せだった〟という旨のメッセージを寄せてくれた(併せて、会場に来れなかったARMYが応援してくれてることも自分の心には届いている…という意味のことも😭)。
音楽という実体のない、手に触れられないもので通じ合うというのは、とても儚くて不確かなことだと思う。
そしてユンギさんは、その儚くて純度がめっぽう高くて、だからこそ心の奥底深くにまで届く音楽の瞬間を、何よりも大切にして、自分の人生にとって絶対に必要なものだと思って、ステージに姿を現し続けてくれてるんじゃないかと、そんなふうに感じている。


あの日の彼もまた、〝豊かな気持ち〟になったんだろうか?


なっていてくれたのなら、すごくいいな。












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