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五十路のD-DAYツアー参戦・カオス篇

今年の2月15日。
バレンタインデーから日付が変わった瞬間、ユンギさん御本人の口からAgust Dとしてのワールドツアーを行う旨の発表があった。
泣いた。



はっきりと、人の闇部分から生まれ出でたことを隠さないAgust D。
一方バンタンは、光であろうと努力し続ける姿やそれに伴う葛藤を隠さないグループだ。
光というものに影が付き物である以上、そんなAgust Dとバンタンは、特にかけ離れた存在ではないと思う。
多分同じものを内包し、同じことを求めている人間。
それでもわたしは、Agust Dはわたしたちの前に直接姿を見せてはくれることはない存在なんだろうなぁと思い込んでいた。
また、これを言葉にするのはとても嫌なんだけど…わたしの基盤は7人のケミが大好きなオルペンなので、特定メンバーのソロ活動を切望するってこと自体に、なんとなく他の6人に対する後ろめたさみたいなものがあったのも事実だ。
そういうファン側の気持ちは、彼らの自由な活動には足枷になるような気がしていたから、自分の願いにまとわりつく後ろめたさを認めたくないこともあって、あまり考えないようにしていた。
だからこそ、このAgust Dとしてのワルツの発表で、胸の奥に密かに抱いていた願いを掬い上げてもらったような、本当に信じられない奇跡が起きたような気持ちになったのだと思う。

しかし、どれほど強くその場に行きたいという気持ちを抱き、どれほど心の底から願ったところで、簡単にお席がご用意されはしなかったということは、アミと呼ばれる民の母数の多さと会場のキャパを考え併せれば、想像に難くないだろう。
端的に言って、それは明確な悪役が一人も存在しない地獄だった。



結果的に、わたしは最後の最後の抽選で、バンタン独自のFC枠でもモバイル枠でもなく、ローソンにお席をご用意してもらえた。
いろいろ思うことはあるけれど、結果行けた奴が四の五の言うなとわたしの中の侍が戒めるので、チケット争奪戦下に考えていた由なしごとを細々とここに書き残すことはしない。
ただ、自分にとって初めてのAgust Dのカムバを待ち受けて、純粋にワクワク・ドキドキだけしていたかったけれど、実際には到底そんな心持ちになれなかった自らが無念だったということだけは、どうしても記しておきたい。
こんなはずじゃなかったんだ…。





ともあれ!
そんなわたし的に最大の混沌の中でリリースされた、三作目にして初のメジャーリリースアルバム『D-DAY』は、ものすごくカッコよく進化したAgust Dだった。
研ぎ澄まされたプロの仕事を感じた。
ライブで演る映像が明確に脳裏に浮かび上がるような楽曲がいくつもあって、彼は本当にライブをするために生きるアーティストなんだなぁと感じ入ったりもした。
きっとユンギさんの頭の中でも、その光景が見えてたんじゃない?
ステージでこれらを歌うご自身と、客席を埋めるファンのとんでもない熱狂が。
間違いなくそこは、素敵な爆音の楽園になるのだろう。
そうしてわたしは、切実にその楽園に入れてもらいたかった。



アルバムリリース後も日々すさまじい数のコンテンツが投下されて、嬉しい悲鳴をあげるべき状況なのに、わたしはそれらのほとんどすべてに目を瞑って傍らに追いやった。
ただひたすら、アルバム音源だけをずっと聴いた。
これまでのふたつのミクテ同様、この新しい音楽を一刻も早く自分の血肉にしてしまいたかったし、そうしないと奇跡のチケットは当たらない気がしていた。
そう、わたしはまだ信じていたのだ。
このライブに立ち会うことは自分の中で必要不可欠の必須事項だし、これほどまでに偏った重たい思いで、たどたどしい手つきで必死にエントリーしているようなファンは、そうはいないはず(たどたどしいのは老眼と機器操作の不調法さのせいだから思い入れ一切関係ない)。
だから、当たらない未来なんて存在しないに決まってると、五十路にして未だファンタジーのフィルターがかかった頭で考えていたのだ。


でも実際は、全然そうではなかった。
ただひたすらに偶然と運だけがものを言う、非情な現実そのもので、ファンタジーなど簡単に吹き飛ばされた。



5月も後半、日本でのライブまで残すところ2週間少々というまぁまぁ切羽詰まった時期の、ローチケ抽選結果発表日。
そもそもの数が少ない抽選枠だったから、わたしはダメージを少しでも軽減させるために、当たらなくて当然と考えるよう自分に強いていた。
そうして結果のわかる時間にはアマプラで『別れる決心』を観て、主演女優が相田翔子に似てるなーなんてぼんやり考えたりしていた。
なおかつ、朝ごはんを食べてなかったせいでお腹が空いてきていたので、観ながらチャパグリを作って、ズルズルと食べていた。
結果発表時刻ちょうどにメールを着信して、何度味わっても慣れることのないあの痛みに対する身構えをしながら、結構落ち着いてメールを開いて見た。
いつもと内容が違った。
あまりに願い過ぎて、願い続け過ぎていて、もはや当たるなんて夢のまた夢という境地まで来てしまっていたから、現実味がまったくなかった。
だけど感情だけが先走りしたみたいで、スマホを握りしめながら自然と涙が出ていた。
涙が出るっていうか、号泣。
そしてリビングで号泣するその姿を、たまたま午前中の授業が休講になって家に居た長男に見られた。
長男は『怖い怖い怖い怖い』って、早口で怖いを4回言っていたはずだ。
それだけを鮮明に、そこだけはきっちりとした現実味を伴って覚えている。
やっぱりこのわたしのテンションは傍目からすると怖いんだと、泣きながら再確認した。


時を同じくして、とてもお世話になったご近所のおじいさんが亡くなった。
その際に駆けつけたお通夜の席で、お坊さんがこう話されていた。
『悲しくてやり切れない時は、我慢せずに気の済むまで泣いていいんです。
ただ、その涙はどうして流れるのか、その涙が意味するものは何かと考えることだけは、決して忘れないで下さい』


ワルツの発表からチケット戦(心情的にはまさに戦)のこの期間中、えらい頻度でわたしは何度も何度も泣いた。
その涙が意味することは結局、自分がこれほどまでに強く何かを愛せているという事実だったのだと思う。
対象は単純にAgust D=ユンギさんというアーティストだけではなく、その音楽単体でもなく、結局は自分と同じ魂を感じる何ものかに対する愛なのだ。
目で見たり耳で聴けたりするものだけで終わらない、その奥にある何か。
私はAgust Dであるユンギさんの作り出すものにそれを感じていたから、その何かが消えてしまう前に、ライブという場でちゃんと実感したかったんだなと、改めて思う。


長々と記録したけれど、これがD-DAYイルコンに臨む前までのわたしの、ほとんどすべてだ。
3ヶ月半といったら、ほとんどひとつの季節の始まりから終わりと同じ。
この季節はものすごく濃密だった。
身体はいつもと変わらず仕事と家事をこなして何ら変わらないリズムで動いていたけれど、人知れぬ内面の活動がものすごかったと思う。
こんなことは、彼らに出会わなければ到底経験できなかった。
とても苦しくて、とても幸せなカオスだった。
多分、一生忘れられない季節になるんだろう。








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