見出し画像

空港はただの交通施設じゃない。心の自由の象徴であった。


空港が好きだ。
とりわけ国際空港という場所にやたら惹きつけられる。
どこの国から来たのか分からない人達、どこの国に行くのか分からない人達が行き交うあの場所が、とにかく好きでたまらない。
飛行機に乗るあてもないのに、用もなくただ訪れることもある。
不審者として監視されていないことを願いながら。


空港にいる人たちはみんな、それぞれに様々な事情を抱え、それぞれの目的を持ってそこにいる。
一人でいる人はもちろんだが、連れのいる人達でもグループとか集団の群れ感が薄くて、個々がピリッと際立ってる感じに見える。
いろんなものを削ぎ落とした、素に近い感じの人間がそこに居るっていう感じ。
出入国審査とかで単純に『◯◯国籍を持つ一人の人間』っていう自分に引き戻されてしまうからだろうか?


そんな人々の流れを眺めていると、柄にもなく

みなさんどうかご無事で。
いろいろあってもお互いに頑張りましょうね。
幸運を祈ります。


なんてことを思ったりする。
そんな時のわたしは、普段と違ってむやみやたらと優しい気持ちになっている。
見た目が不審者だとしても、心は穏やかな聖母である。




クソバカウィルスのせいで、世の中の常態が様変わりした昨年の春。
亭主はテレワーク、子供らは休校でZoom授業、わたしは廃業。
家族4人が揃って、ずーっと狭い家の中に居た。
最初はちょっともの珍しくて、滅多にできない体験だなんて無理矢理ポジティブに捉えようともしていたけど、いやいや、到底酸素が足りやしない。
ずっと水面に顔を出して口をパクパクさせる魚になったみたいな気分だった。
心理的な酸素不足なので即座に命を奪われることはないかもしれないが、うまいことやらないと危険だ。

とにかくババーンと開けた景色が見たい!
新鮮な風に当たりたい!
ということで、ただひたすら車に乗って風景を眺めながら走るだけという、純粋ドライブに家族一同で出かけることにした。
今思えば、そんな単調なドライブに全員が参加希望したってことが、当時のわたしたちが普通じゃなかったことの証拠なのだろう。
あの頃、入っていた楽しい予定は全部潰れたし、その先に新たな予定が入る見通しもまったくなかった。


わたしは空港のそばに行きたいと希望した。
その場所を見るだけでわくわくするわたしにとって、『世の中は変わってしまったけど空港が無くなったわけじゃない』というのが大きな支えになる気がしたのだ。
ぐるっと周囲を走って、少しばかり心強さを頂いて帰ってくるつもりだった。
けれど実際は、思ったのと違った。



見たことないくらいの数の飛行機が、並んでいた。
普段ならば、外の道路から見られる飛行機の数なんて、それほど多いわけではない。
それがすべてのフライトがキャンセルされていた時期だったため、どこにも飛ぶあてのない飛行機が、そこいらの駐車場の車くらいな感じで停まっていた。
たくさんの機体を見られたというのに、全くわくわくしない光景だった。
むしろその姿は、羽を短く切られて飛べないようにされた動物園の鳥みたいで、痛々しかった。

(おまえたちは飛べるのに、どこにも行けないんだね)

思い入れのあるものを擬人化する癖のあるわたしは、そう思った。
それから『飛行機があんなにたくさん停まってるうううう』と言って、助手席でうえーんと泣いた。
生まれつき涙もろいだけでなく、加齢のために涙腺が年々ゆるゆるになってもいる。
でももちろん、それだけが理由じゃなかった。
わたしにとってのある種の聖域だった空港がそんなふうになっていることが、思った以上のダメージだったのだ。


そうして悟る。
わたしにとっての空港は、いろんなものを脱ぎ捨てられる場所の象徴なのだ。
望むのならば自分はここから世界中どこにでも行けて、好きな時に帰って来ることも出来る。
そう感じさせてくれるのが空港だったのだ。


突然の五十路の感情の迸りに、家族は『マジで…?』『泣くほど…?』と言って引いている感触があったが、程度の差こそあれ全員揃って空港好きなせいか、意外に優しかった。
また動き出す時のためにメンテナンスでもしてんじゃない?とか何とか、冷静な言葉をくれたりもした。
我が家の男衆が揃いも揃って『考えてもどうにもならないことは考えない』というタイプで良かった。
まかり間違って、同調して一緒に泣いてくれたりしなくてよかった。
お陰でその後冷静になってすっきりして、コンビニで買ったおむすびとかパンをむしゃむしゃと美味しくいただけたから。



あの日見た光景はこの時代の記憶として、わたしの中にずっと残るだろう。
だけど、そんな記憶は大切に持つようなもんじゃない。
クソバカウィルスと共に早いこと葬り去って、楽しいことや感動すること、美しいものでコテコテに上塗りしていきたい。
もっと状況が良くなったら行きたいと考えている国はいくつかあって、それを夢想することで上塗りの準備もしている。
だけどとり急ぎ、まずは空港の中に入りたい。

わたしが一番大好きなのは成田国際空港なのだけれど、その中でも特に気に入っているエリアがある。
映画『ターミナル』の中のトム・ハンクスのように、空港で住むことになったらここに陣取ろうと密かに考えている、お気に入りの場所だ。
あそこにゆったりと座って、動く飛行機と行き交う人々を眺めながら、自由を噛み締めたい。


また不審者となってふらふらと心を彷徨わせに行きたいなぁー。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?