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大晦日に、ユンギさんの『Life Goes On』

大晦日だ。
いろんな意味で生涯わたしの記憶に残るであろう、2023年が終わる。
でもだめ、この曲のことだけは書き上げないと年を越せない。
Agust D三部作の三作目のアルバム『D-DAY』の最終曲として収録されている、『Life Goes On』について。
この曲に対する個人的な思いのあれこれをまとめて、2023年に置いていきたい。



『Life Goes On』 。
2020年発表のバンタンのアルバム、『BE』のリード曲と同じ名前を持つ曲。
これがアルバム収録曲のコンペで惜しくも採用されなかった楽曲だということは、既に公表されている、アミ界では有名なエピソードだ。
『D-DAY』発売前に曲目リストが発表されて、その中にこの曲名を見つけた時、わたしはすごく複雑な感情に襲われた。



※以下、『BE』バージョンの『Life Goes On』に対するわたしのネガティブな記憶の記述があります。

コロナ禍でこの楽曲に救われて、今も大切な御守りのように聴き続けている方々が、何かの拍子にこんなわたしの話を目にしてしまったとしたら、恐らく大切なものをネガティブな言葉で汚されたような気持ちになってしまうと思います。
そうわかってはいるんだけど、音楽から受ける様々な感情は自分自身ではどうしてもコントロールは出来なくって、そうしてこのことに触れずにはその先に続く話が出来ないので、どうかわたしの感情を赦していただいて、ここでそっと離れて欲しいです。







白状すると、わたしは『BE』に入っているバージョンの『Life Goes On』を、もう長いこと聴いてない。
聴かないというより、聴けなくなってしまったという方が正確だ。
それはいつの頃からか、わたしにとってコロナ禍初期の先がまったく見えない、最も暗くて最も不安な時期の空気感をそっくり思い起こさせる楽曲になってしまっていたのだ。



あの頃、わたしは視界の端にずっともやもやとした暗闇があるのに気付いていないふりをして、明るい方だけを向いて必死に前向きでいようとしていた。
生きてく上での閉塞感に一番弱いわたしは、世界全体が完全閉塞してしまったような現実に適応しようと、かなり無理をしていたと思う。
初めてのリモートワークで大変そうな夫と、いろんな行動に制約を負ってエネルギーの持って行き場を失っている息子たちの前では、わたしが暗い顔している場合じゃなかったから。
でもそれはわたしの家族だって友達だって、それどころか世の中全体がみんな同じ状態だったんじゃないかと思う。
少しでも明るい方を向こうとして、誰もが尋常じゃない頑張り方をしていたんじゃないだろうか。
大体、前向きでいようと血まなこで頑張るなんてことは、不自然極まりない状態なはず。
なのに、その頑張りをやめられるはずもなくて…。
そんな時期にリリースされた『BE』の『Life Goes On』を、本当にたくさん聴いた。
今は力を抜いて流されるままになったっていいんだ、いつか必ず日常は戻ってくるんだからと信じる気持ちになって、癒されて、また前向きになって、遮二無二前向きになって、結果また苦しくなって救いを求めるように曲を聴いて、癒されて…。
あの繰り返しの消耗を、どうしたって思い出してしまうのだ。


そんな記憶がまだ生々しく残っている中、ちょっと身構えつつAgust Dバージョンの『Life Goes On』を聴いた。
同じコンセプトで、同じようにバンタン用に創られた音楽。
なのに、全然アプローチが違う。
その幅の広さにバンタンというチームのすごさを改めて感じて、心底驚いた。
そして何よりそれは、2023年の今のわたしには、とても腑に落ちる楽曲だった。



ふたつの優れた音楽を比べるなんて、本当になんの意味もまっったくないことだけれど、ただその違いは自分がどういうふうに物事を受け止めて生きてるのかということと、とても関係あるような気がする。
少なくともわたしにとっての音楽は、そういう物差しの役割も担っているみたいだ。




Agust Dバージョンの『Life Goes On』のメロディに表れているのは、決して一筋縄ではいかない、人間本来の揺れ動く気持ちだと受け取ってしまった。
「きっとこうだから」とひたむきに信じる気持ちと、「どうかこうあって欲しい」と願う切実な気持ち。
その間にある、信じたいけどどこか信じきれないでいる、揺れ動く痛ましい気持ちに溢れている。
そんな気がしてしまった。
ゆったりと最終的にポジティブな方向を指すような『BE』バージョンとは違って、自分自身に言い聞かせるように、寄せては返す波のように何度も繰り返す『Life Goes On』のフレーズ。
ユンギさんらしい、剥き出しのナイーブな感性が伝わる曲調だと思った。




たとえば、『BE』バージョンが頭を撫でて癒してくれる音楽だとしたら、この曲はわたしの背中をさすってくれる音楽だった。
どう違うかって言われたら、もうこれはニュアンスでしかなくて…背中をさすられたら人ってどうなるかを想像してもらうしかない。
おのずと奥底からいろんなものを吐き出してしまうのだ(※比喩です)。



絶望したっていいんだ。
闇に気付いてしまってても、全部無かったことにしなくても別にいいんだ。
そう思える。
そうして、ここがわたしにとってはものすごく重要なところなんだけど、さすってもらうだけじゃなくて、存分に吐き出させてもらった後に「もうわたしのことはいいから。あなたは大丈夫?」って思える音楽だったのだ。



わたしは甘やかされたらとことんダメになってしまう、弱い人間だ。
だから、弱くなって、独りで立てなくなるというのがとても怖い。
だから愛情とか反骨精神とか、やるべき様々な事への集中とか、その他いろんなものを燃料にして、自分が弱らないようにしてきた。
このAgust Dの『Life Goes On』を聴いて、そういうことを改めて思った。
この曲には、わたしに必要なものがあった。



あぁ、それからこっちの『Life Goes On』の歌詞よ…。
ユンギさんの創ったこの曲を理解したくて、頑張って自力で歌詞を訳してみたのだけれど、正直訳しながら泣いた。
『그래도 잊지 말고 (だけど忘れないで)
나를 찾아줘(僕を探して)』
当時のユンギさんは一体どんな気持ちでこの詞を書いて、そこから数年後経ってリリースする自分の正規の初ソロアルバムにまで、この曲を入れたんだろう…。
そのことをずっと考えてしまう。



いつもこの人は不安なんだろうな。
自分たちが本当に必要とされているのか。
いつまで必要としてもらえるのか。
確かに、彼らがいるのは完全な自信なんて持てるような世界じゃないんだろう。
移り変わりの激しさが常で、予測できない何かをきっかけに急に明日には必要とされなくなるかもしれない、不安定な立ち位置。
しかも、『BE』の時だけでなく今もそうだけど、ファンから一番必要とされていて自分自身も一番得意としていることに、全精力を傾けることすら状況として許されなくなっていて。
人生を賭けて、自分のすべてを捧げているからこそ、それを失ったらどう生きていっていいかすら分からなくなってしまいそうじゃないか…。



高く飛び過ぎたこと恐れて泣き、墜落でなく着陸なら怖くないと考えられるよう、努力して自らを導いたのであろうユンギさん。
私はそんな人に、変わらないということを伝えたくなる。
信じてもらいたくなる。
たとえ離れても戻ってきて欲しいし、戻る場所が確かにあることを信じていて欲しい。
そう思いながら、何度も何度もこの『Life Goes On』をリピート再生してしまう。
多分この曲は、わたしのこの先の未来で、今の状況を思い出して辛くなって聴けなくなったりはしないだろう。
現在進行形で、生涯ずっとそばにいる曲だと思う。



…しかし、こうして言葉にするとつくづく、ユンギさんの音楽がわたしにとって特別大きい存在になってしまった理由がわかる。
人を信じるためのハードルが高いわたしにとっては(人生のわりと早い段階で人の裏表を見る経験をした)、あそこまで音楽に自分を籠めて、あそこまでさらけ出してくれるアーティストでなければ、心からその人となりを信じて好きになることは出来なかったろうし、それを感じられる音楽を心の友にまですることもなかっただろうから。
そんな対象は、見つけようと思って見つかるものでもない。
わたしは本当にラッキーな人間だと思う。



結局、一年の終わりをこんな気持ちで迎えられるんだから、わたしの2023年は幸せだったんだな。
わたしのリアルな世界に存在してくれている人々に、ありったけの感謝を。
そしてリアルには会えなくても、確実にわたしの心に存在する人々…バンタンや、もう会えなくなってしまった大切な人々に、心からの愛を念じて伝えたい。


Life Goes On!
来年もよろしくです。

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