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五十路のD-DAY・当日篇(完結)


6月が終わる。
最後にライブ当日を振り返って、この月を終えたい。
長々と振り返る。
推敲もろくにせず、端折ることもなく。
これは、薄れゆく自分の記憶を補強するための記録だ。
離脱を恐れたりなんかしないぞ!



6月4日、Agust Dの日本でのライブ3Daysの最終日。
初めて入ったぴあアリーナMMは、本当にコンパクトな会場だった。
友だちからものすごく音響が良いハコだと聞いていたこともあり、正直贅沢すぎてめまいがした。
だって、これじゃあきっと、アーティスト側からは一番遠い観客の反応までがはっきりと見渡せるじゃないか…。
それすなわち、ご自身が生み出し、バンドやその他スタッフの方々と一丸となって作り上げてきた音、さらにはご自分の一声・一挙手一投足で、観客がどんなふうになっていくかがユンギさんからは手に取るように分かるってことだ。
もちろん大きな会場でも、常に同じことは起きているだろう。
でも多分、明度が違う。
少なくとも、ワールドクラスのアーティストとなって大きな会場でたくさんのファンに会うことが必須となった今、そこまでの感覚は久々なんじゃないだろうか?
演る方にとったら、この会場はきっと目にも耳にもすべてがクリア過ぎて怖くもあり、つまりは最高にやり甲斐のある場所なんだろうなぁ…なんてことを勝手に考えた。
本当に、ただの音楽好き素人が、余計なお世話なんだけど…。


ところでわたしは、Agust D最後の(最後の…😭)ライブツアーを味わい尽くす気満々で、その思いの重さは周りにいる誰にも負けないぞくらいの気概で行った。
わたしにはそれまで互いを同行者にすることを約束し、必ずや共に行こうと支え合ってきた大事な幼なじみアミ友(音楽オタクニム)がいる。
チケットのあまりの当たらなさに彼女と話し合って、最後の抽選ではひとり1枚のエントリーにやり方を変えた。
そして、わたしだけが当選した。
だからわたしは彼女に対しても、どうしても証明する必要があった。
そう、Agust Dっぽく言えば、『わたしほどやれるファンはいない』ということの証明(すこし調子乗りましたごめんなさい)。



でも、そんなわたしが予想してた『周り』のイメージよりももっとずっと、実際の『周り』は熱かった。
自分が誰よりも!なんて、このファンダムに不慣れなわたしの浅はかな思い上がりだった。
それくらいに始まる前からあの場に充満していた熱気は異常だったと、今でもやっぱり思う。
自分の高揚感がそう見せたという可能性もなきにしもあらずだけれど、少し遅めの時間に入場したわたしから見て、どうしてもそれだけでは説明つかない熱気が既に漂っていたように思うのだ。
前日のライブビューイングでも開演前の客席でウェーブが起こっている気配は目にしていたけれど、気付けばその日も自然とウェーブが生まれていた。
ユンギさんがまだ現れていないのに、もうライブは始まっているみたいだった。
そこでわたしはハッ!と気がついたのだ。
ここには1日目と2日目の人たちの気配が居るから、この熱量は当然なんだな、と。
別に生き霊的な怖い話ではない。
祭りはその日その日の開演終演に関係なく、3日間止まることなくぶっ続けで進行していく、ということなのだと思う。


(当時、2日目のユンギさんの煽りコメントを受けて、あの台風の影響による大嵐の混沌をくぐり抜けて初日に参戦した猛者アミさん達が、こぞってショック受けておられるという話を目にした。
なんかうまく言えないけど、言葉がすれ違ってる気がしてとても胸が痛かった。
でも最終日、その熱気を感じて確信した。
切り取って考えるもんじゃないんだ。
だって、少なくともわたしがこれまで行った雑多なアーティストのライブでは、今日は異常に盛り上がったなー☺️💓!っていう日であっても、ご本人登場前の段階からあんなにも場が温まっていたってことは、一度も経験したことがない。
三部作で大円団を迎えるというAgust D同様、イルコンも3日間で完成する作品。
初日→2日目と繋がってきた何かがあってこその、あの最終日だったということだ。
これは絶対間違いないと思っている)


なかなか本題に辿りつかないな…。
でも全部書いておきたい。
書いて頭の中を整理する性質のわたしには、横道に逸れることも必要な過程なので…。




バンタンを好きになって早3年、わたしは自分がアミ界においては畑違いの作物だということを、今では完全に理解するようになっている。
端的な例で言えば、わたしはアミでありながらトレカや写真集の存在意味を、自然な心からは理解することができない。
手にしたら途方に暮れてしまう。
これを、どうしろと…?となる。
その愛で方が、不安になるくらい全然わからないのだ。
今に始まったことでなく人生でずっとそういう距離感だったから、恐らくその方面に関しての感受性が著しく欠落しているんだと思う。
それがまさに、このファンダムにおいて自分がスタンダードだとはゆめゆめ思ってはならないと肝に銘じるようになった、鉄板の理由だ。
何に於いてもわたしの好きのベクトルは音楽とそれを創り出した人の思想で、その核に今はAgust Dがいる。
そうしてAgust Dは、わたしにとっては完全にロックスター認識なのだ。
だから当然、ライブに行ったら普通にロックバンドのライブに行く感覚で楽しみたい。
没入しやすくてライブが始まると周囲が目に入らなくなるわたしは、穏やかなおばさんから急に叫んだり踊ったりするおばさんに豹変する。
そのさまを怖がる人がいる可能性が、とてもある。
わたしとしては大変切ないことだけれど、それは認めざるを得ない事実。
あと、ロックのライブでは考えたこともなかったのだけれど、推しの歌を静かに聴きたい・集中して見たいと思う人もいるのだという。
同じファンとして、その場に居合わせた方々に怖い思いや腹立たしい思いはさせることはしたくない。
だからわたしは会場に入って自分の場所を確認してから、周囲の人に話しかけた。
コミュニケーションを取って、どんな感じの人が自分の近くにいるのかを知っておきたかった。
特別社交的な性格でもないのにそれが臆面もなくできるのは、亀の甲より年の功。
おばさんになってよかったと思う瞬間だった。

接触した限りの周辺は、年齢層はバラバラだけど皆さん明るくてノリが良い、感じの良い人たちばかりだった。
これならば許してもらえそう。
その良い雰囲気に導かれるままに用意していったソンムル(ご挨拶がわりのちょっとしたプレゼント)を配ったら、渡した人みんなが思った以上に喜んでくれた。
更にはお返しにと逆にソンムルを戴いたりして(※みなさんソンムル用意されてるけど、出すきっかけがなかったみたい)、鳩が飛びそうなくらい平和で、ものすごくいい感じ。
そうこうしているうちに、まだご本人が現れてないステージに向けて、どこからともなく〝ミンユンギ〟コールが起こった。
待ってましたとばかりに、声が段々と大きく膨らんでいく。
これこれ!
観客がアーティストを煽る声。
もしもわたしがアーティストだったら、これって聞いたら最高に昂るやつだ。
ユンギさんにもわたしたちの声が聞こえていただろうか?
武者震いしてたかなぁ?




VCRが流れて、ついにユンギさんが姿を現した。
初見、想像してたよりデカい人だなと思った。
がっしりして、頼もしい人。
やっぱり、佇まいがめっちゃロックミュージシャン。
わたしが死ぬほど見たかったAgust Dだった。
この人の支配する空間、聴かせてくれる世界に飛び込める嬉しさで、こちとら歓声というよりもはや雄叫びの域。
そして名前を、何度も何度も呼んだ。
たとえその耳に届かなくても、大好きな人の名前を当のご本人に向かって呼びかけられるっていう体験は何ものにも代え難い歓びだと、わたしは思っている。
みんなが呼んでいた。
みんなそれぞれの心で、それぞれの色をした想いを抱えながら、ユンギさんを愛してるのだ。
愛されてるんだよ、ユンギさん!
分かってる?
伝わってる?
この先の人生、ずっと忘れないでいてよ、この声を!(しばし思い出し泣き…)



音が波動になって身体に響く。
生のバンドを引き連れてやって来てくださって、本当に嬉しい。
しょっぱなから、これぞAgust Dという曲が続く。
ナムジュンさんMC回のシュチタで、해금(ヘグム)のイントロを聴いた瞬間にナムジュンさんが、『おぉ…Agust Dですね』と言ったけれど、まさにそういう感じ。
最初から圧巻のD様っぷりだ。
そして3曲目の『Agust D』。
Agust Dのシグネチャーであり、すべての始まりの曲。
ミクテに浸かり続けた2年半余り、連日数えきれないほどこの曲を繰り返し繰り返し聴き続けてきた。
ライブで聴けることを最も望んでいた曲のひとつだけど、現実で一緒に歌える日がくるなんて本当には信じていなかった。

A to the G to the U to the STD
I'm D-BOY, because I'm from D
난 미친놈 비트 위의 루나틱 랩으로
홍콩을 보내는 my tongue technology

バチバチにいきりまくってる、青くて可愛くて、カッコいい歌詞(※18禁スラングを含む)。
ユンギさんと声を合わせて、これを歌える日が来るなんて…。
ここでもう既に、夢がひとつ叶った気分。


(あぁ、また横道に逸れてしまうぞ…!)

わたしはガチAgust Dペンだから、真剣に歌詞を覚えようと訓練(まさに訓練レベル)して行った。
ユンギさんが、わたしのまだ経験したことのないライブの楽しみ方を教えてくれようとしていたから。
加えてハードすぎるスケジュールをこなすユンギさんの体調が芳しくはなく、声が出切らなそうな様子であったことも拍車をかけた。
風邪をひいたと言っていたけれど、特定の喉の使い方をする時にその動きに誘発されて咳が出てしまうように見受けられた。
一大事だ。
大至急、王をお支えしなければ!


そんな謎の使命感に燃える中、『チケットを買った観客に対してはコンディション整えて完璧なものを提供するべきで、お金を払った上にこっち側が補完してあげるなんて言語道断』なんていう信じ難い意見を、SNSで目にしたりもした。
わたしは正直、そんなこと言う奴はライブというライブですべて出禁にされてしまえ!と思った。
だって、一見正論ふうに聞こえるけれど、それって機械のシステム不具合を責める客とおんなじトーンの話じゃないか?
お客さん根性丸出しで、お金払ったら相応のサービス受けるのが当然っていう商いのセオリーを、生きた人間のする繊細な芸術分野にまで無造作に適用しようとするって…さもしさを感じてしまうんだけど。
わたしは生の音を聴くためにライブに行くし、生の音というのはその瞬間にしかないものであって、顧客満足度に応えるための均一的な質の機械的なものでは断じてないと思っている。
2021年のPTDコンの時も思ったけど、人は予期せぬことに見舞われるものだろうて。
その時に、見舞われた人を責めるのはあまりにも想像力がない。
望んでいない何かが起こるのが、この世の中なのだから。
どんなに防ごうと思っていても、落とし穴は至るところにある。
これは防げたはず!なんて言い切れるような事例は、自ら当たりに行ってまんまと受けた被害っていう特殊なパターン以外には、ほぼあり得ないんじゃないかい?
そのことを理解しない方には、よく知らんけどAIみたいなのとかバーチャルな何かが歌ってくれる、いつでもどこでも安定した供給を保証してくれる音楽を聴くことを強く強くお勧めしたい。
生きた人間のライブはハプニングに満ちていて、だからこそ思いもよらない種類のケミの素晴らしさを受け取れることもある。
それらをまるっと受け入れた上で貰いに行くっていう意識のない人には、ライブというナマモノはまったく向いてないんじゃね?




…思い出し怒り終了。
とにかく不調の件はさておき、わたしはユンギさんが〝自分のライブは一緒に歌って踊って遊ぶ場所だ〟とおっしゃるなら、まずは言われた通りに一度やってみようと思った。
プロの言うことにはとりあえず素直に従ってみるというのが、頑固なところの多い五十路のわたしの、意外な長所だと思う。
どのジャンルであれ、信頼できるプロには学ぶところが本当に多いものだから。
一緒に歌うっていうのはコール&レスポンスともまた違うし、正直これまでどこのライブでもやったことはなかった。
しかも今回は、そのほとんどが韓国語。
ずっと聴いてはきたけれど、正しい発音は大概の曲の歌詞で知らないままだし、その上自分の滑舌悪い口で再現できるかといったら、それはもう完全絶望だった。
だけど、頑張った。
最後の方は自分がライブを観に行くんじゃなくて、学習成果発表会的な何かに出るんじゃないかくらいの追い詰められ方で、プレッシャーと緊張でご飯が食べられなくなっていたくらいに。

ライブに行く直前の食事。
喉を通らないけどエネルギーは摂ろうと
必死なことがわかるラインナップ。
アスリートか?


寝る時に目をつむっても、ふと『あれ、あの曲のあの部分は、出だし何つって始まるんだっけ?』と気になってしまって、慌てて確認したりしていた。
いろんなアミさんが作ってくれていた試験勉強用のテキストみたいなのを拝借しながら、我ながら本当に、本当に頑張ったと思う。
自分がしっかりと準備したという事実が結果よりも大切だと、ユンギさんは前に仰っていた。
私は準備した。
完璧じゃないけど、そうすれば楽しいんだってことを、心から信頼するユンギさんが教えてくれていたから。
結果、本当にその通りだった。
大好きで聴いていた音楽たちが、生の音となって耳から直接入ってきて、自分の中からはそれに合わせた音が声となって出てる。
初めて経験するその不思議な一体感たるや、もう…!
まるで自分がその大好きな曲の一部になったみたいで、ステージの上で歌うユンギさんと一緒になって何かを成し遂げてる感じ。
これのことだったんだなぁと実感する。
ユンギさんは、溶け合う幸せを教えてくれていたんだ。
共有してくれたんだ。
単純に韓国のライブ文化に倣っただけだと言われたら確かにそうかもしれないけど、その幸せをまったく知らなかったのだから、やってね!(圧)と言ってくださって良かった。
やっぱり、尊敬できるプロの言うことには素直に耳を貸すに限る。
面倒くさがったり、食わず嫌いとかしなくて断然良かった!
それで、お任せしてくださるパートのある
『사람 pt.2』ではIUさんになりきり、『Burn It』ではMAXさんになりきって、心置きなく歌った。
ものすごーーーーーく気持ちよかった。



元来ラプラ好きなので、バンタンラプラ曲メドレーのとこも、大サービスという感じでありがたかったなぁ。
わたしはCypherの中では断然2と4が好きな人間なのだけど、4の『I Love I Love I Love myself』以下を一緒に歌うっていうのもバンタン好きになって以来の夢のひとつだったので、ここでもかなり痺れた。

それから、『Snooze』。
わたしはウソンさんの歌うパートをユンギさんに向かって歌えたということが、本当に幸せだった。
それはわたしにとって、ユンギさんに言ってあげたい言葉だったから。
そして、『すべて良くなるよ』っていう言葉も、いつも言ってあげたかった。
先の見えない未来について大丈夫だなんて本当は誰にも言えないことだから、捉えようによっては無責任に聞こえたりもするだろう。
だけど、そんなこと重々わかっていて、それでもあえて言うっていう行為は、相手に対する深い愛情の祈りと信頼の、ひとつの表し方だと思うのだ。
大丈夫なの?っていう疑問形とか、むやみに心配してみせるのとは対照的で、相手の良い結果も悪い結果をも共に引き受ける覚悟がないと、簡単には言えないこと。
だからこそ、歌えてよかった。
わたし個人の声は届かなくても、世界中の全ファンの想いをのせた声として聴かせてあげられて、すごくよかった。




しかしこの話、本当にキリがないなー。
やめ方ももはやわからなくなっている。
そしてやはり、こうして書くとわたしの記憶にはだいぶ偏りがあることを痛感する。
なにがって、思い出そうと記憶をたどってもユンギさんの姿がどうだったかが朧げなのだ。
もちろん穴があくほど見てはいたと思う。
でも、恐らく結構な割合の時間、見れてもいなかった。
原因は、音楽を聴く時の自分の癖だとわかっている。
飛び跳ねながら一点を注視することはできない。
盛り上がったらもげるほど首や頭を振ってしまうし(実際この翌日になってうがいをしようと上を向いたら、ある角度から首が痛くて曲がらなかった。ヘドバンのせい)、刺さるとこでは目を瞑ってしまうし、空(くう)の一点を見つめてしまう。
そこが今回のわたしの最大の反省点であり、
今後切実に改善を考えていかなければならない点だ。
なぜなら、ユンギさんはただのロックスターではないから。
血を吐くような思いで鍛錬してきた、プロのアイドルでもあるのだから。
音楽だけではなく、全方向から見てくる視線に対し、自分のすべてを駆使してその全方向を漏れなく魅了するというテクニックを会得された人だ。
万能なのだ。
それなのに、舞い上がったわたしは今回それをうっかり失念し、つい耳だけに集中してしまった。
目に見える部分を堪能し切れていなかった。
音楽妖精さんのライブが初めてのわたしには、まだまだ経験値が足りない。
でも次に行ったら、もっと卒なく味わい尽くせるようになると思う。
それがもうAgust Dではなくなるのは本当に胸がちぎれそうなくらい切ないのだけれど、ユンギさんが決めたことならやっぱりそれが正解で、すべてがうまくいくよと言ってあげたい。
そして最後までずっと見届けたい。
わたしは五十路なので、どうしたってユンギさんの道のりの途中までにはなってしまうんだろうけど、それでもこの目の黒いうちはずっとだと、そう心に決めている。



…とりあえず、この日のライブの模様は8月にCSのチャンネルで放映してもらえるみたいだから、それを観て記憶の補完ができそうでホッとしている。
自分が立ち会った日の、どえらくカッコよかった最後の(最後の😭)Agust Dのその詳細を、余すことなく心に留めておくんだ。










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