無理なポジティブシンキングより地味に自分チューニング
閉塞感と共にある生活が、もはや通常運転となった今日この頃。
UFOはどうやら本当にいるみたいだけど、魔法が実在するという話はとんと聞かないので、この閉塞感がパッと消えるってことも起こらなさそうだ。
もういい加減いろいろしんどいけれど、なにしろ地球規模の災害なので、逃避できる場所も地球上には無いときた。
そんな中でわたしが自分を保つため考えて、そして実際にやっているささやかな事柄について、この状況が終わった時の自分に向ける意味で書き残してみたい。
『あの時はよく耐えたなぁ…』って、早く言いたい。
わたしは中学・高校時代の6年間音楽部で弦楽器をやっていたのだけど、練習が始まる前のチューニングの時間が好きだった。
全体練習でしっかり調律したい時には、厳密にチューニングメーターで。
ラフなパート練習の時は、自分の耳を頼りに音叉で。
意識を集中させて、微妙にずれた弦の音を正しい響きに揃えていくことは、ちょっとした儀式みたいな雰囲気があった。
放課後になるまでの間にあった教室内の引っかかる出来事やら、絶望的に分からなかった数学の授業内容なんかを、一旦頭からきれいに追い出す感じで。
まぁ、いかにチューニングをばっちりしたところで、演奏の上達にはあんまり関係なかったけれど(※あくまでわたしの場合)、何かちょっと気持ち的に良い影響があったことは、ほんのり覚えている。
そこで話は現在に戻る。
近頃の自分に必要なものは、あのチューニングの感覚なんじゃないかと思うのだ。
制限だらけの状況を逆手にとって、これまでしてこなかったことをじっくりやるとか、さらに先を見据えて新しいことに手をつけるとか。
そんなふうに、この期間をただの空白みたいなものにしないようにとポジティブに頑張っている人はたくさんいて、その勤勉さとか意志の強さには、どうしたって尊敬の念を抱いてしまうし憧れてしまう。
わたしも彼らのように見事に生きたいと思って、無理に現状を肯定的にとらえた発言をしてみたり、1万歩超えのノルマを課したウォーキングとかやり慣れないことしてみたりもした。
そうしたら、体幹部に謎のじんましんが出てきた。
生まれて初めて出たじんましん、知らなかったけど、ものすごく痒いものなんだな…。
その痒みと向き合いながら、遅ればせながらわたしは悟った。
多分、世の中にはそういう頑張りがきく人ときかない人がいて、きかない側のわたしがこの時代を乗り切るには、何か別の方法があるのだろうよ。
で、思い出したのがチューニング。
周囲や自分自身に振り回されたり振り回したりの一日が暮れたら、あるいはその途中でも、ちょっと調子のはずれだした自分をこまめに調律する。
ちょっと意識して自分の面倒をみて、ご機嫌をとってやるのだ。
そうすると、何日もはもたなくても、とりあえずその日は正しい音で終えることができるとわかった。
わたしに向いているのは、『ちょっとした動作で効果が持続する時間も短いけど、でも確実』っていう何かのようだ。
今やっている自分チューニング例のひとつは、日が完全に暮れる前、電気をつけない薄闇の中でお風呂に入ること。
冬場は夕方4時過ぎると暗くなっちゃうから、ちょっと無駄に背徳感がプラスされ過ぎるけど、日が長くなった今の季節は時間的にもいい感じ。
湯船に浸かって空っぽにした頭の中に響かせるのは、たとえばこんな音楽だ。
自分の中では水と相性のいい音楽ってことなのか、なんか勝手にこれが浮かんでくることが多し。
ちなみに、電子機器の防水性をどうしても信用しきれない世代なので、風呂で聴く音楽はもっぱら自前の脳内再生のみ…。
好きな部分の増幅も巻き戻しも自由自在で、超便利!
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