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五十路のD-DAYツアー参戦・前日譚


愛してやまないアーティスト、Agust Dの日本でのライブに行った。
2023年はまだ半分も終わってはいないけれど、わたしの今年のハイライトは完全にこれだった。
いや今年どころか、よ。
むしろ、わたしの人生におけるハイライトのひとつと言っても、決して過言ではないと思っている。




なぜそこまで思うのかについて、改めて書き記しておきたい。
それはつまり、わたしにとってAgust Dがどういう存在かという話だ。
この話は今のところ他人様に話してもピンとこないって顔しかして頂けてないので、ひとりで綴ってひとりで読み返して頷くために書こうと思う。
めんどくさい話になる予感しかない。


Agust Dが何者かというのは、人によって解釈が違うように思う。
『BTSのSUGAがソロで音楽活動する時の便宜的名称』みたいな感じで説明されることが一番多い気がするし、『SUGA of BTS』とほとんどイコールみたいな感覚の人も多いような体感がある。
7人が7人でいる部分に主な興味がある人々にとっては、どちらでもあまり大差ないのかもしれない。
だけど、わたしにとっては全然違うのだ。



ところでわたしは最初にバンタンにハマった段階で、バンタン沼へといざなった姪っ子(当時中学生)に『誰が好き?』と可愛く訊ねられて、『付き合うならSUGA』と簡潔に答えた、気持ちの悪い叔母だ。
だから大前提として、ユンギさんのような見た目やキャラの人が本能的に好きというのは正直ある。
だいぶあるし、とてもある。
五十路であっても、そこは隠しだてしない。
それを踏まえた上で、私はユンギさんが吐き出すように作る音楽がものすごく好き。



ミックステープというものがこの世にあると初めて知って、その概念が無い世界に生きてきた身としては、かなりのカルチャーショックであった。
誰かが真剣に向き合って作り上げてリリースにまで漕ぎつけた音楽という音楽には、すべて正当な対価が支払われるべきで、それが当然のことだとこれまで思ってきた。
だから、非営利な媒体としてしか出せない音楽があるなんて、傷まし過ぎて本当にショックだった。
そうして最初に聴いたのが、『D2』(わたしは2020年夏に初めて彼らを知って、Agust Dの誕生からではなく、ふたつめの新しい方のミクテから聴いたペンである)。
それを聴いて、わたしはあっという間にAgust Dの大ファンになった。
わたしの好きな音が詰まっていたから。
そこに感じるのはそれまでイメージしていた『バンタンのSUGAさん』とは完全に違う、音楽に生かされている類の一人のアーティストだった。



D2の中に、特別に好きな楽曲がふたつある。
そのうちのひとつが『28』。
韓国語を全然知らなかったくせに、第三者の感覚の混ざる言葉で内容を理解をするのも嫌だった偏屈なわたしは、『28』で何が歌われているかを知らなかった。
知らないままに聴いた時、胸の中に広がった感覚が今でも忘れられない。
それは言葉にするなら、不安定で危うくて揺らいでいる自分を抱えて途方に暮れているような者に対する、強い愛情だったと思う。
実際は何も分かってないし確信もないのに、とにかく『大丈夫だよ』って言ってあげたくなるような気持ちで、胸がぎゅっと締め付けられる。
はたしてその『大丈夫』は、誰に向けてだったろう?
単純に、作った人(ユンギさん)だけではなかった気がする。
だって、楽曲に滲む作り手の感情のその正体を、自分も知っているような錯覚にまんまと陥ったから。


今みたいに、自らの意志で選択した『誰かの何か』になる前の、どこに流れ着くかわからない、不安定でぼんやりした存在のわたし。
そんないつかの自分を思い出して、大丈夫だよと言いたくなったのだと思う。
見ず知らずの人間にこんな気持ちを抱かせる音楽を作るなんて、この人はただ者じゃない。
それがわたしが本格的にAgust Dにハマった、最初のきっかけなのかもしれない。



それからすぐに遡って、最初のミクテである『Agust D』も聴いた。
その中に飛び抜けて鬼気迫る、尋常じゃない緊迫感のある一曲があった。
『The Last』という、4分を超える楽曲。
メロディで聴かせる曲ではなく、言葉を聞かせるための曲だと感じた。
背景が知りたくて情報を追うと、それがミンユンギさんという人間の壮絶な自叙伝的なものだとわかった。


これは意味を知らなくてはいけない。
急かされるような気持ちで、誰かが和訳してくれているものを探した。
そして、ある一部分を読んでわたしは泣いた。
それは、ユンギさんの心が弱っていた時期に、ご両親と恐らく心の病を診てくれる病院を受診された下り。
親御さんが『この子のことがわからない』とおっしゃったという。
Agust Dは歌う。
『俺でさえ俺がわからない
じゃあ一体誰がわかってくれるというんだ』



自分が親という立場になってみると、それは別に残酷な意図も何もない、ごく当たり前の単純な事実だと感じる。
自分の血を分けた子供だからって、親がすべてを理解できるわけじゃないのだ。
育てている間に、子供は生まれた時から親である自分とは別の生き物で、違う考えと性質を持っている別個の人間だということを、繰り返し否応なしに思い知ることになるから。
それは子供に対する愛情の有無や多寡とはまったく関係がない、単なる事実の認識だ。
それでも、わたしは自分自身の遠い記憶の中で、この文字にして二行の歌詞と同じことを考えた日のことを覚えている。
中学生の時だ。
多分ちょっと反抗期で扱いづらかったであろうわたしに手を焼いた親が、『おまえは本当によく分からない子だ』と言った。
わたしはその時急に、世界から切り離されたような、初めて感じる種類の孤独を感じた。
わたしを生み落とした張本人にさえ理解されないのだとしたら、この世にわたしを理解してくれるような相手は恐らく存在しないのだろうと思った。
おまえはモンスターだと間接的に言われたような気がして、かなりのショックだった。
その場ではただ不機嫌にしていただけだったと思うけど、自分の部屋に入ってからわたしは泣いた。
誰か、このままのわたしで居てもいいと言ってくれる人っていないのだろうか?
そう言ってくれる人がいない世界で、この先わたしはどうやって生きていけばいいんだろう?
そんなことを考えて泣いた。
あまりの衝撃で、こんなにも長い時間(ざっと40年!)がたっているというのに、今でもその時に座っていた部屋の位置や、目にしていた勉強机の光景を覚えている。
(※この頃、既に自分は良くも悪くもこの自分でしかないと考えていたので、闇雲に自己嫌悪したり自分を卑下したりはしなかったと思う。
ただ、我が身が世界とは自然にというか、スムーズには調和しないと思えたことに衝撃を受けたのは間違いない)



正直に『よく分からない子』と言わせるほど、親を疲弊させてしまっていたのだろう。
だけどあの頃のわたしは、自分でもよく分からない自分のことを、おまえのことなんて分かってるよと言って見透かして欲しかったんだと思う。
実際には言う方に確信なんてなかったとしても、『分かってる。ただ今は少し混乱してるだけだよ』、そう言ってもらうことで救われることもあるだろうから。



勝手にそんな古い日の記憶を蘇らせた結果、わたしはこのAgust Dの音楽の中に存在する魂みたいなものを、心の友にすることを決めた。
決めたというか、そう感じるようになった。
これを作った、会ったこともないミンユンギさんという人のことは理解のしようもないけれど、Agust Dの音楽は別だった。
これは間違いなくわたしがよく知っている、わたしをよく知っている親友。
そう思ったのだ。



だから今年2月、Agust Dとしてのワールドツアー開催が発表された時、夢なんじゃないかと思うほどに喜んだ。
その喜びも束の間、IUさんの配信番組内の会話で、今回新しく出るアルバム『D-DAY』をもってAgust Dに終止符を打つ予定だと聞いて、だいぶ動揺した。
ユンギさんにとってそれは前向きな大円団なのかもしれないけれど、わたしの感覚でいえば、まるで大好きなバンドが解散してしまうことを知った時と同じタイプの喪失感があった。
それならせめて最後に、どうしても生の音で聴きたい。
Agust Dのパフォーマンスをこの目でみたい。
そうして、ちゃんとお別れがしたい。
最初の歓喜の気持ちは鳴りをひそめ、それは苦しいくらい切実な願いになり、わたしの頭はチケットのことばっかりになった。


さぁ、ここまで一気に書いた。
読み直してみた。
読んでみて、歳をだいぶ重ねた大人が自らの思春期の記憶を語りだしたらこんなにヤバい感じになるんだな…と、客観的に理解ができた気がする。
正直、こういうのを聞かされることほどどーでもよくてしんどいものはないだろう。
でも…まぁいいや。
ここは逃れられない状況で陰気な長話を無理矢理聞かされるっていう必要がない、自由な場。
だから思いきり身勝手に、長々と綴ってしまっても許されると信じている。
わたしにとってAgust Dが特別な音楽であるというのは、これだけの理由が絡み合っているということを一度ちゃんと言葉にしてみたかったので、これでとっても満足した!!


だから、ね。
落選を続けて地の底まで落ち込むわたしに、
『これがダメでもまた次の機会があるって!兵役から戻って活動再開したら、ユンギはまたソロでライブ絶対するから大丈夫だよ』
って言って慰めてくれた、大先輩アミである我が姉様よ。
わたしがその慰めに対して何も反応できなかったのは、落ち込み過ぎておかしくなっていたからではないのです。
次の機会などないんだってことを、どうやって説明したらいいのか分からずに、途方に暮れてただけなんです。
姉ちゃん、これ読むことはないと思うけど。



それにしても…。

はい出たこの殺戮メール✉️



いやってほど繰り返し送られて来たこいつ、
わたしは文面暗記してしまいました。
もうちょっとこっちサイドに寄り添うっていうか…ムカつきを抑えるような表現てなかったのでしょうか?
『残念ながら』からの『またのご利用を』の変わり身の速さが、そこはかとなく事務的な感じで殺意!



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