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正しい場所なんてないから大丈夫

ナムジュンさん4つ目のソロワーク、『Right Place, Wrong Person』がリリースされましたね!
未知の音源に飢えてる民なので、貧乏ゆすりしながら待ちわびてましたよ!


…テンション抑えよう。
多くのアミの方がそうであるように、わたしもナムジュンさんの持つセンスがとても好きで(作品はもちろん、見せてくれる服とかインテリアとかアートの趣味も含め…)、絶大な信頼を寄せてもいる。
そうして今回のアルバムも、やっぱり好きだなぁーと感じた。

前作Indigo収録『Still Life』のMV。
着用してるもの全部デザインやサイズ感いいし、何よりこのシーンのアングルは神✨




まだまだ深く聴き込めてはいないんだけど、この『RPWP』を聴いた第一印象は〝あぁ、あの子がいる!〟だった。
〝あの子〟とは、彼の最初のミックステープ『RM』の中にわたしが勝手に感じている感性だ。
『RPWP』を聴いて感じたものは、今までと全然別のナムジュンさんの音楽っていう感じではなくて、ナムジュンさんが元々好きだったものが発展してスキルアップして立派になって還ってきたんだな、という感覚だった。
『RM』は攻撃的なラップで自己開示する楽曲が印象的だけど、それだけじゃなかった。
現在に繋がるものが、そこに確かにある。


(このミックステープは販売されてなくて、今もSoundCloudでしか聴くことはできない。
でもアプリさえおとせば誰でも無料で聴けるので、まだ聴いてないという人がいたら絶対に一度聴いてみたほうがいいと思う)


わたしは『RM』が大好きでよく聴いているから、変わり続けて進化していく人の中に変わらないものを感じたことが、とても新鮮だったし、とても嬉しかった。
ナムジュンさんに限らず、バンタンはみんな、やたらと小綺麗に切り捨てて進んだりはしないってとこがいいんだよなー。
全部ひっくるめて抱きかかえて、どんな自分も置き去りにせずに、傷だらけでも意気揚々と進もうとしてる感じがするのが、心から尊い。


それにしても、自分が魂をこめて創った作品に対して、人々がどんなふうに受け止めてどう反応してくれるのか、ナムジュンさんはどんなにかそれを直接感じたいことだろう。
つらいね…。



そうしてようやくわたしは今日、『RPWP』のビハインドを語ってくれているコンテンツ、MMM(Mini&Moni Music)を観た。
誠実な聴き手であるジミンさんの感想を聞きながら、やっぱり2022年の防弾会食あたりまでのナムジュンさんは極限状態までに追い詰められていたんだな…と改めて思い知る。


ちょっと話が遡るけど、2021年に配信されたタルバンEP153の中の罰ゲームで、ユンギさんがナムジュンさんに言いたいこととして、『いつもリーダーとしてお疲れさま!』って叫んだことが、ずっと心に残っていた。
笑いに対する欲が強いユンギさんが、バラエティの流れを無視してどうしてそんなマジなことを言ったのか、どうにも不可思議でならなかったから。
翌年になって、防弾会食でのナムジュンさんを見て、そういうことだったのか😨…と合点がいった気がした。
そうして今日、MMMを観て、その時に思っていた以上に深刻な状況だったことを、改めて教えられたような気がする。



わたしはバンタンの音楽を一番に愛しているんだけれど、自分に理解できることがあるとしたら、彼らが音楽に籠めてくれた言葉にならない何かだけだと思っている。
だけど彼らに対して、圧倒的にすごい音楽を作って与えてくれ!とか思ってるってわけではない。
すごいとか完璧とかっていうのは、あくまで受け手であるこちら側の心に勝手に生まれる感情に過ぎないわけだから、別にそこばかりを目指してプレッシャーを感じてもらいたくはない、という意味だ。
望むとしたら、どうか心の動くままに作って欲しい、音楽でその心を余さず表して欲しいってことだけ。



わたしはあの防弾会食を観た直後、それまでの約2年間毎日欠かさず聴いていたバンタンの楽曲を、まったく聴くことができなくなった。
それは、自分たちファンの存在が彼らの心を追い詰めていたのではないかと、初めて本気で考えるようになってしまったからだ。
彼らがアミに対して、強くて大きな愛情と感謝の念で出来た揺るぎない絆を感じていてくれることは、疑うべくもない。
だけど、単純にそれだけじゃない気もした。



バンタン、その中でも特にナムジュンさんは、繰り返しLoveとHateを同列に語っている人だと思う。
LoveとHateが並び立つわけないと考える人や、そう考えることに悲しみや憤りを感じるという人は、とても純粋な人で、穏やかな人生を送られている方なのだと思う。
だから、ここからわたしが書くことに酷いと感じて傷つくかもしれないし、怒りを感じるかもしれない。
わたしはこれを自分の考えたことを客観的に見つめるために書いているけど、そんなことのために誰かを傷つけたり怒らせたくはない。
だから、そう感じそうだなと思う人は、この先は読まないで欲しい。







間違いなく愛していて、感謝もしていて、その人たちがいなかったら今の自分はいなかったと心から思っていても、消えない感情があったのではないか?
こういう自分でなくては必要とされないと、思い決めさせてしまったのではないか?
愛されたくて、失望させたくなくて、手を離されてしまわないようにと呑み込んだ言葉がたくさんあったのではないか?
そうして外に出せる自分と、内側にいる本来の自分が手の施しようもなく乖離してしまったのだとしたら?
その苦しさの矛先は、一体どこに向けられたろう?
誰も悪くない、誰のせいでもないのに、不幸な状況が出来上がることはある。
それが彼らの身に起きていなかったとは、断言できないんじゃないか?


どんなに悪い言葉を吐いても、どんだけお酒を飲んで煙草をぱかぱか吸ったとしても、全身くまなくタトゥーを入れたとしても、可愛いなんて言われない風貌になったとしても、わたしは構わない。
善人の見本みたいな道徳的な人物像を求めて彼らを好きになったわけじゃないし。
もしも嫌いになるとしたら、手を抜いたステージを見せることを何とも思わなくなったり、惰性で創った音楽を平気で披露するようになった時だ。
わたしたちの共通語であるはずの音楽を、疎かにするようになった時だけ。
そうして、あんなに音楽を愛して、音楽で人と繋がることを愛してる人たちが、そんなことをするとはまったく思えない。
だったらもう本当に、足しも引きもしないそのままでいてくれていいのだ。
何も考えないまま脳天気にバンタン沼に浸かっていた2022年のわたしがショックを受けたようなことは、2024年の今のわたしはもう考えない。
自分たち…いや自分個人に出来ることは、どんなあなたたちもありのまま受け入れると言い続けることだけだと、もう結論を出したから。


とりあえず、離れる前のありのままを残していってくれたナムジュンさんに、感謝の気持ちでいっぱいだ。
これを残すことにどれほど重大な意味があったのか、MMMを観てわかったような気がする。
歌詞の内容まで理解できるようになるのはまだまだこれからだけど、大切に味わっていきたい。
ちなみに、わたしのRPWP体験(この世に自分だけが場違いな間違った存在に思えてしまうこと)は、中学生時代のとある日でしたよ!
でも、それから長い長い時間が経って、世界と自分どっちも正しいけどどっちも間違ってるし、それが当然のことなんだと思うようになった今、わたしはとっても元気です!


それにしても。
ジミンさんが普段どんな音楽を好んで聴いてるのか、ものすごく興味あるな…。
ジミンさん、プレイリスト見せてくんないかなぁ…。

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