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脳内放出日記

こんばんは。本日は駄文です。なんの目的もなく、もはやオチもないであろう。ただ脳内を放出させるための自己満足文となります。悪しからずご了承願います。

自分を大切にしている人は、周りに左右されない

今回は、深く考察してない事柄も話すので、突っ込みどころ満載です。どしどし突っ込みお待ちしております。

「メンタルが安定している人と、そうでない人の違いは何だろう」
と考えていたら、何となく私の中で「自分を大切にしてるかどうか」みたいな軸で考えたくなった。(もちろんそれだけではないのだけど)

自分を大切にしていれば、もし他人から蔑まれたとしても「え、私の魅力がわからないってむしろ頭だいじょうぶ?」とか、「私をないがしろにする奴まじムリ、こっちくんな~」といって離れるとか、自分を大切に扱わない人を避けたり、逆に自分を大切にしてるからこそ「むかつく!」という敵対心や憎悪ではなく、「この人頭大丈夫かな?」などの、憐れみや思慮を向けることができるんではないかなと思うことができなくない。(回りくどい

人間という生き物は、自分で自分を大切にできていないと、自分以外の誰かに「自分を大切にしてほしい」と願うようになる気がする。すると、いつだって周りの評価を気にしたり、自分が大切に扱われないと怒ったり、情緒が他人によって大きく左右される。それはつまり「他人に依存する」ことにもなる。

私の解する「メンタルが安定する」は、「他者によってメンタルが左右されにくい」なんじゃないかな。もちろん、人間だからメンタル(メンタルでもうゲシュタルト崩壊しそう)に波があるのは当然だし、他人との関わり合いで影響されるのは当りまえ。
だけど、その「左右されやすさ」みたいなものが、他人に依存しがちな場合、他者との関係性を見直すよりも、まずは自分との関係性を見直したほうが有益だと思う。

人間関係に悩む人は、その対象者との向き合い方を個別に解決するより、自分の本心や心の声を自分がしっかり拾ってあげることが重要なんじゃないかな。自分の本心をハンドリングできるようになると、そもそも人間関係に悩むことがなくなりそう。無敵。ステキ。

老後を考える

老後を考え憂いています。この2〜3月、我らの住む青森・十和田は、雪がじゃんじゃか降ってますやんか。で、私諦めたんですね、雪かきを。

まぁゆーても2月から気温上がってるし、雪が降ってもすぐ溶けるだろう、と調子こいておりましたがな。
(なお、物理的に雪かきの時間が捻出できなかったことも理由である。)
潔く、颯爽と雪かきを諦めたわたくし。

するとどうでしょう!!!!
まさかの!!!!
家の前に!!!
雪の山!!!!
たすけて!!!
これぞ自業自得!!!
俺の家の前と書いて自業自得とよむッッッ!!!

放棄された雪のうえに、さらに屋根から落ちた雪が重なり、壮大な景色!圧巻の雪景色!家に入るのも一苦労!!!!ぜんぜん雪溶けない!!!!

毎度雪かきをするたびに思うのですが、「老後どうしよう問題」。私たち、多くの場合、長い老後を過ごすことになるじゃないですか。(知らんけど
日々充実した老後ライフを過ごすのはもちろんだが、われわれの住む十和田、あと50年後とか間違いなくゴリゴリに人口減ってますやんか。

たぶんインフラも場所によってはガタが来ていて、生活に支障が出る地域も多いはず。老体に鞭打って、あの過酷な雪かきをできるとも思えないし、そうすると多世代交流施設みたいなところつくって、みんなで力を合わせて越冬するしかないよな、この核家族の時代、などと思うわけですよ。

そう思うと「80歳になったら上京しようかな」とか思っちゃうわけです。80歳のおばあちゃんにお家貸してくれるところあるかな?うーん、死活問題。
私のような、サバイバル力がひよっこ弱々人間にとって、厳かな自然環境で老後を迎えることに、なんとか策を練らねばと思考がめぐる。それまでに、心も身体もムキムキに鍛え上げたい所存。

毎日メシがうまい

ここんところ、料理が突然上達した。猛烈に素材と仲良くなった。何となくイマイチだったお肉料理が、バチコンに一発でおいしく仕上がるようになった!!
突然、お米も美味しく炊けるようになった!
お魚もモリモリ食べちゃうようになった。
とにかくお野菜と仲良くなりはじめた。

手作りおやつが食べたいけど、自分でつくるのは嫌だからだれか作ってほしい。し、もはやみんなで作れる場所をつくりたい。名前は「俺たちによる俺たちのための俺たちの店」とかにして、自分たちが食べる用につくって、余った分をお客さん用にするという真逆のやり方にしたい。おやつのテイクアウト専門店が十和田にほしい。思えば叶うというよりも、「やれば近づく」と考えるタチなので、あとはやるかやらないかだけである。やろう。

おやすみなさい

今日も無事に1日が終わりそうである。このあと深い眠りにつき、また明日健やかに目覚めたい。

眠りについたあと、翌朝ちゃんと目を覚ますかなんて誰にもわからない。そのまま永遠の眠りにつく可能性はいくらでもある。
だから、今日という1日が本当に幸せに過ごせたことを噛み締めながら、今あるものはすべて遺作になる可能性も踏まえて、悔いなく死にゆきたいと思うのであります。
私たちは「生きてる」というより「死ににいってる」な気がしております、おやすみなさいませ。


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