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結婚とか、妊娠とか、出産とか

最近の好きな言葉は「うるせぇ」です。
大五郎です、よろしくお願いします。

みんなが、それぞれ、自分の好きな人生を歩めたらいいなと思うけど、「自分にとって、どんな人生が幸せか」は、意外と見つけにくいのかもしれないなぁと思いました。

「結婚したい」と一言にいっても、その気持ちの奥には、世間体とか家族の目を気にしてだとか、独り身がさみしいとか、孤独死はいやだとか、大好きな人と暮らしたいとか、子どもがほしい、とかいろんな感情や想いがあるだろう。

「結婚したくない」と一言にいっても、その気持ちの奥には、人間関係がわずらわしいとか、一人で悠々自適に暮らしたいとか、実は傷つくのが怖いからとか、とにかく仕事が好きだからとか、十人十色の考えがあるだろう。

結婚も、妊娠も、出産も、一人でできるものではない。相手がいるから可能なことだし、出産なんて命を産んじゃう大事件だ。自己完結なんてまったくできない。

多様化する生き方

意外と、平和生まれの私が小学生低学年くらいの頃まで、「離婚した家族」というのは敬遠されがちな印象だった。でも、私が中学生になる頃には、「離婚」というワードを聞くことが増えたように思う。年齢のせいかもしらんが。

令和の今や、「離婚」は一つの選択肢でしかないし、もちろん離婚にはあらゆる労力が必要だろうけど、何回離婚したって、結婚したって別にいいわけで。

それと同じくらい、結婚しないことも当たりまえになってきているし、子どもを持つもたないも、それぞれの選択次第だ。「自分で選べる」という要素が、きっと少し前の時代より大いに増えただろう。

「自分次第」の、苦しさ

私は、みんな宗教に入ったらいいんじゃないかな、と割と本気で思っている。宗教は、とても生きやすくしてくれると思う。なぜなら、”神さま”とか”仏さま”がすべてを決めてくださるからだ。

神さまや仏さまなどの信仰対象がすべてであり、絶対の存在である。そこが自分の居場所になり、自分の考えの指針を示してくれる。だから、宗教は人間が一番頼りたい精神の安堵を大いにもたらしてくれると思う。

逆に、私は「ぜんぶ自分次第でありたい」と思っている。自分がすべてではあるが、「自分」といってもこの大五郎の個体一つを指すというより「宇宙とか世界の一部である自分」という意味合いで。

「自分次第」で生きるということは、誰のせいにもできないから、そのぶん苦しい。これだけ選択肢が増えた世界で、「すべて自分で決める」ことは、ときに生きづらさをもたらすのかもしれない。

だからこそ、悩み多きは、宗教にお世話になったらいいんじゃないかな。(入ってる人いたらご意見ください
ちなみに、私は「ぜんぶ自分次第だぜ」と思ってる自分の人生がめちゃくちゃ好きである。

自分で、自分を縛らないこと

「親だから親らしく」とか「こんなに仕事がんばってきたからやめられない」とか、「私はこういう性格だから向いてない」とか、自分のことを、過去の経験や肩書きで決めつけちゃうのは、もったいないと思う。

進路を悩んでる方が、「私は〇〇な性格なんで」って捉えて自分の道を決めようとされるのを聞くと、「自分の性格ってそんな早い段階で決められるんでしたっけ!?」と大五郎はびっくりしちゃう。

「今のところ、〇〇なパターンが多いので、現時点では△△が合いそうかな」とか、そんな曖昧な感じでいいと思う。人間って変化していく生き物だもの、アイマイミーマイン

(なお、自分もやりがちだが「うちの子は〇〇な性格なんで」って幼児期から親が捉えるのも危険だと思う。思い込みってこわいヨネ)

自分で決められないことをどう受け容れるか

結婚は、年齢の上限がないから何歳になってもできるけど、妊娠と出産はどうしても生物学上のリミットがある。

私は、10代の頃から「子どもがほしい」と思っていたけど、自分が結婚するイメージがなかったので、きっと自分では産まず、里親制度を利用したり、子育てに携わる仕事をしたりするんじゃないかと思っていた。

たまたま、ありがたいことに子どもを授かることができ、相手方が父親を辞退されたので未婚シングルマザーという生き方をするようになったけど、この流れは自分でやろうと思ってできるものではない。あらゆるタイミングが重なって、あらゆる偶然のつながって成り立つことだ。

逆に、これがまったく望まない結果で、人生が狂うパターンだってある。子どもがほしくないのに、いろんな事情で子どもを授かることになった人、子どもがほしいのに、いろんな事情で子どもを授からなかった人、子どもが欲しくて授かったけど、いろんな事情で辛い想いをしてる人、この辺は人間が意思でコントロールできる世界戦ではなく、誰もが望むようになるわけではない。まさに、「神のみぞ知る」的なサムシングである

人生は、そもそも自分で決められない

私たちって生まれることすら自分で決められないし、いつ死ぬかも概ね自分で決められない。自死や安楽死など自己決定により命を断つパターンもあるが、それらを除いて多くの場合いつ自分が死ぬかはわからない。

命と同じように、人生ってすべてを自分の思い通りにはできない。(引き寄せの法則的な話もあるけど、ここでその話はしない)

『自分でコントロールできる部分』と、『自分でコントロールできない部分』を棲み分けて考えないと、思い通りにいかないことにヤキモキして、苦しい時間が多いんじゃないだろうか。

自分が自分の圧倒的理解者であるということ

何にせよ、この世界はとっても楽しいし、とっても苦しい。いろんなことがあって、一喜一憂して、それが人間という生き物の嗜み方だと思いたい。
うまくいかないこと、思い通りにいかないことで足止めを喰らう人がいたら、まずは自分が誰よりも自分のよき理解者であってほしいと願う。(きっと綺麗事に聞こえるだろうけども

自分で選べることが増えたからこそ、自分次第の重責は背負いながらも、それを楽しむことができれば最高に自分らしい人生が歩める。ただ、自分がコントロールできることと、できないことの棲み分けは意識的にしておかないと、生きるのがしんどくなりやすいと思う。その棲み分けがむずかしいから辛いんだろうけども。

なんて、いろんなことを考えるけど、結局私にできることは、今日という一日を幸せに生きることしかないと思うに至ります。
いったい何が書きたかったのだろう、と思うけど、もしかしたら、誰かが、私の文章を待ってくれてるかもしれない、と勝手に想像を膨らませて文字を記してみました。今日の十和田は雨です。

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