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しあわせの着地点

ふだん早起きな母子ともに、めずらしくゆっくり目覚めた日ようび。

家をぴかぴかにお掃除して、ちょっとおいしいアイスコーヒーを飲んで、なんてことない日常に、しあわせだなぁと息をつく。

暮らしのなかに、どれだけ満たされた瞬間があるか
それがわたしにとって、一番わかりやすいしあわせの指標だ。

暮らしが満ちるのは、精神的・金銭的余裕があってこそ

独断と偏見だが、自分の暮らしを豊かだと感じるには、精神的・金銭的余裕が大きく影響すると思う。

今月暮らしていけるかわからない、一寸先は闇、そんな状態では、おなじアイスコーヒーも、おいしいと感じる度合いが異なってくる。

「しあわせ」って何だろう、と考えると、いろんな視点が浮かぶ。
わくわくするしあわせ、ほっとするしあわせ、キュンとするしあわせ、じんとするしあわせ、うぉー!と叫びたくなるしあわせ

わたしのなかで、自分のしあわせ具合を把握するに、一番重要なのは『なんてことない暮らしを、どれだけ愛おしめるか』だと思ってる。なにかを成功させるとか、憧れの場所にいくとか、そういうことは今のわたしに重要ではない。

朝おきてしあわせ、夜寝るまえにしあわせ、身のまわりがすきなものに囲まれてしあわせ。なんてことない、ふとした日常の瞬間に感じるしあわせ。
できることなら、毎秒毎秒にしあわせを感じていたい。

でも、たまに何をしても、どんなに日常を充実させても、心が満たされないときがある。しあわせを味わうために、『いま』に集中したいのに、どうしてもそれができない。

なぜだろう。
なぜ、『いま』のしあわせに、集中できないのか。

不安のつきまとう道を、あえてすすむ

たしか、わたしは2018年くらいに個人事業主になったので、かれこれ6年くらい、なんでも屋さんという立場(?)で、なんとか生きながらえている。(その間に、シングルで妊娠・出産・育児を経験)
会社の立ち上げに社員として参画したタイミングもありつつ、個人としてお仕事を獲得していくスタイルは、なんとか継続中だ。

わたしは人並みの経歴と実績しかないので、よくここまで生き延びているなぁと思うが、これからまだまだ野望だらけで、さらに不安定な道をつきすすむ。
(なぜ仕事が得られるかについては確たる理由があるけど、ここでは省略)

最近、一抹の不安をほころばせていたら、日常のちいさなしあわせを味わうには、雇われ仕事との相性がよいのではないかと思った。

わたしが日常に集中して、暮らしを愛でられるのは、だいたい仕事の見通しや先行きが明らかなとき。

いま、わたしは生活費を賄うお仕事を自ら手放そうとしているので、その目に見えない不安が、無意識のなかで日常にも影響を及ぼし、わたしは目の前のしあわせを掬いあげることができてなかったのかも。

だからといって、安全な道はいかない

自分の精神を健やかに、しあわせで満たそうと思えば、比較的安定した仕事を選ぶことだってできる。でも、わたしはそうしない。なぜだろう。安全や安心には惹かれない。

先行きのみえないスリルにも、一種の中毒性があるんじゃないかな。(危
これも、最近マイブームの行動分析学で説明すると、スリルを選ぶことが、自分にとってメリットだとわたしが人生を通して学習しているんだと思う。

恋はスリルショックサスペンスですわよ、ほんと。
結論として、やっぱり精神的・金銭的余裕が必要なんだ。笑

ただ、それは解釈次第で解決できる部分もあるよね。最近、諸々地に足のついたしあわせを感じにくい自分にソワソワしてたのですが、やっとこの日曜日、すごーーーくしあわせに過ごせた。これを続けられたらいいけど、おそらく当分むずかしい。笑

不安のつきまとう道を、あえて突き進むわが人生。おもしろみだけは満載で、お届けしたいと思います。

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