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#10 宗教とストーカーについて思うこと

今回はうまくまとまらない話になると思います。そして個人の経験や、憶測で話す部分もあるので、大変恐縮ですが後半は有料です。。

コンニチハ、東京出身青森在住のマリエです。思考のアウトプット記事でございます。

"好意"は、憎悪や狂気に変わる

「モテる」って言葉には、ポジティブなイメージがあるじゃないですか。でも、モテるってめちゃくちゃ恐ろしいことだと個人的には思ってて。
なぜなら、意図しなくても他者から「好意」を向けられる可能性があるから。そして、その「好意」は、ほんの小さなスイッチで「狂気」や「憎悪」に変わるから。

不特定多数の人に好意を持たれることは、つまり憎悪や狂気の対象になる可能性を高めるということ。これは大げさじゃなく、本当にそう思っています。
(そんなことないよ、と思う人もいるかと思いますが、あくまで個人的意見でございましゅ)

先日、とても悲しいニュースになった博多駅前女性刺殺事件。また、twitter界隈でアクティブな"子ども連れ去り別居"と叫ぶ共同親権推進過激派。それぞれ、恋人関係や家族関係(恋愛関係でなく親子関係も含む)に起因して、憎悪や狂気をむき出しな人が、社会に少なからず存在してると感じざるを得ない昨今。
この特定対象に向けた狂気や憎悪は、もう見過ごせないレベルで、個人間の問題ではなく社会全体として考えていかなきゃいかんのやと思う。

お友達が教えてくれたwikipediaのストーカー分類を参考に貼り付けておきます。(引用はこちら)

宗教は拠りどころ

一見関係がないようだけど、宗教についても今回は触れたい。私は、宗教自体には好意的で、宗教は多くの人々の拠りどころになる尊い存在だと思う。

京都の三十三間堂や、ローマのドゥオーモ、バチカン市国のバチカン大聖堂なんかを実際に目で見て、宗教がもたらす人類のエネルギーの偉大さを痛感。重機がない時代に人の力で壮大なものを創り上げる歴史遺産に、「何かを信じる人々のパワー」は甚大だと示された気がする。宗教って本当にすごい。

ただ、私が思うに、宗教って"何かの不足を補うため"のものであって、人生が満ち満ちているときには必要ないのではないかなと。「死ぬことが怖い」「幸せになりたい」「地獄に落ちたくない」「飢えたくない」など、不安や恐怖、不足を解消するための手段として、信仰の道を選ぶ人がほとんどなんじゃないかな。
(いまの時代、生命を脅かすほどの危機的状況に陥りづらくなってきたことで、宗教があまり身近じゃなくなった人もこの日本では多いと思う)
(かつ、一度信じると「信仰しなくなったらバチが当たるのではないか」と恐れて不安が解消されても信じ続けるんじゃないかしら)

この不足を補う、欠落を埋めるために、宗教や恋人や家族など何かしらの対象を拠り所にする人がいる。それが幸せならいいのだけど、その拠り所に依存しすぎて、拠り所に自分の存在をすべて掌握され、自分のコントロールが効かなくなる。それが、いつぞや人の狂気を引き出し、周りが見えない行動に発展してしまうことにつながるのではないだろうか。

自分以外の何者かに、自分の存在が依存する点で、ストーカーと宗教(の一部の過剰な信仰・カルト)は共通するなど思うのです。

※くどいようですが、宗教すべてがそうだと言いたいわけではありません

人は幸せになりたい

カルトのような人を騙したり信仰を強制するような過激な人も、執拗に相手を追いかけるストーカーも、「誰かを傷つけるため」に行動を起こしてるのではなく「自分を守るため」の手段としてそのような方法をとっていると思う。

はじめは誰もが「幸せになりたい・幸せでありたい」という気持ちを持っていて、そこで自分の尊厳が踏みにじられたと感じたり、自分が侮辱された(裏切られた、見捨てられた、etc.)と感じると、そのような状況に至ったのが自分の行いのせいではなく、他者や社会のせいと考えるようになり、攻撃性を増して自分を守ろうとする。
(宗教の場合は、過度な恐れや不安を煽られることから身を守ろうとする)

ただ、このような攻撃性による解決はその場しのぎでしかなく、本質的な本人の「幸せ」を得ることにはつながらない。なぜなら、他人に依存し、他責にし続ける限り、自分の幸せは他人に握られているようなものだからだ。

加害者のケアを考える必要性

加害者の肩を持つ気はないが、ストーカーやカルト等による事件を解決するには、加害者側の心の問題を解決しないと根本的な解決にならないと思う。

めちゃめちゃ参考になる記事があったのでシェアします。事例が具体的で想像しやすい…

<前編>

<後編>

本人たちの心のこんがらがりを解いて、今自分がおこなっている行為が本質的には自分の幸せに直結しないんだと解釈を変えていく。きっと、「それでも攻撃をやめられない!自分の幸せなんかいいんだ!」という人だらけだろうけど、上の記事にある認知行動療法を適切な専門家のもと長期に渡って受け続けるしかないのだと思う。

どうやって加害者に法律で行動規制をしても、「法律なんてどうでもいい」「死んでもいい」「すべて捨ててもいい」と思う人が現れたら、誰も止めることができない。規制ルールだけでは防ぎきれないものを、どうやったらいいか考えるこの記事に、きっと答えはでない。

実際にあった話

ここからは、個人の経験談です。

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