「怒る」のは、3歳までで十分かもしれないと思う話
本日も根拠のない主観のはなしです。
すこし前に、私が子どもに対して意識してることをnoteに書きました。
そのなかに「ちゃんと怒る」と書いたのですが、なぜ私が怒ることを大切にしてるのか、言語化を試みたもののイマイチでした。
そして、ふと「もう怒らなくていいな」と思うようになった話をします。あくまで「(今後は)怒る必要がなくなった(かも)」という話で、「(今まで)怒らなければよかった」という話ではありません。
「怒る」は、お役御免
あらためて、私がなぜ「怒る」ことを大事に思ってたかというと、『なんでも許されるわけではない』ことを学ぶためだと思いました。
産まれてこの方(赤子)、泣くことが仕事とされ、自分で首を起こすこともできず、自分でメシも食えない弱小生物。
それが成長するにつれ、歩けるようになれば、ごはんを食べられるようになれば、うんちをすれば、その行動一つひとつが親を安心させ、ときには褒められる。要は、何をしても肯定される状態。わが家は、そんな道を通りました。
お子は何しても褒められるので、あれも、これも、やってみせます。みてー!といわんばかり、なんでもチャレンジします。
どんどん力がついて活発になり、「赤ちゃんだから」と許されてきたことが、段々「好ましくない行動」と「好ましい行動」を知るステップに入ります。
そこで、「怒る」はとても重要だと思いました。お互い話が通じ合えば、会話で解決できるかもしれませんが、幼子は喜怒哀楽はわかっても、論理や予測という頭脳は発達していません。だから、いくら言っても通じないのは仕方ないこと。
「怒る」を通して
・この世の中にはやってはいけないことがある、と学ぶこと
・一番信頼してる存在が、すべてを許してくれる立場ではない、と学ぶこと
この辺を伝えられるのが重要かなと個人的に思っています。
怒りたくないけど、怒ってよかった
わが家は、相互に会話ができるようになった2歳前後から1年ほど、「ちゃんと怒る」をやりました。
具体的には、以下のことをしたら「怒る」お母ちゃんを登場させるというものです。(怒るのラインは各家庭によるので、あくまで私が勝手に定めたルールです)
物を投げる、粗末にする
人をたたく、痛い思いをさせる
道路に飛び出すなどの危険行為
上記3つに当てはまる場合は、お母ちゃんが怒ります。お母ちゃんは怒ると怖いです。子は泣きます。この泣く姿をみるのは、とても切ないです。だからすぐに慰めちゃいます。結局、怒るのは一瞬です。
気がつけば、怒る必要がなくなる
最近、私は怒ることがほぼなくなったと気づきました。理由を考察すると
先述の怒る項目3つに当てはまる行動をしても、子ども自身に自覚があるため、怒られるより先に謝ることができる。
子どもの言葉や理解が発達したので、怒るではなく説明することで伝えられるようになった。
以上の2点が理由かなと思います。まじで平和。しあわへ。
私は「感情的に怒る」ことは一ミリもしたくないです。理由は、私がされたらイヤだから。
もちろん、人によって考え方は違うので、そもそも怒ることをしない人もいるだろうし、感情的な怒りを出す人もいるだろうし、怒りまくる人もいるかもしれないし、どれがいいか悪いかの話ではなく、「私はどうする」という個人の話です。各家庭の話に口を出すつもりはございません。
これからまた成長の段階で、「怒る」のターンがどんな感じで出てくるのか、また気持ちに変化があったら綴っていきます。
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