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青天の霹靂3

 朝、変わらず腰は痛いままです。随分早い時間だったと思いますが、主治医が来室されました。私の右足首が動くことを確認し、昼前には部屋に戻るからね、と言って颯爽と去っていきました。朝早くからご苦労様です。

 オペは全身麻酔で行われました。自発呼吸も止まるので必然的に人工呼吸器をつけます。その際に喉を傷つけることがあるため、口腔外科のDrに喉を診てもらいました。少し傷があるが、問題ないとのことでした。言われると喉に違和感があるなあ程度でした。腰の方が痛いので忘れていました。

 ここからのこともなぜか曖昧な時間があります。朝食が運ばれてきました。術後だし、胃に優しそうな朝食だろうと思っていました。ところがどっこい、目の前に置かれたソレは200gのほかほか白米、みそ汁、魚、お浸し、牛乳、味付け海苔でした。日本人の朝食ならこれだろうというメニュー。どんぶり一歩手前の器に盛られた白米の量に驚きました。こんなに食えるか、心の中でと悪態ついていたのですがぺろりと完食。そのあとには着替えさせてもらい、ついていた心電図などを外されたのは覚えてますが、そのあとの時間のことがどうしても思い出せません。もしかしたら寝ていたのかもしれません。荷物をまとめようにも自力では全く動けないので、ここでもされるがまま。身を任せていると病棟から迎えが来てくれました。少しの振動も響いて痛かったですが、もう痛いのは常になのでこんなもんだと思っていました。

 部屋に戻ってきても景色が変わっただけで、何も状況は変わりません。ベッド上安静なので座ることしかできないのです。そもそも痛みで背中を浮かせることもできなかったので、動いていいですよと言われても無理ですが。電動ベッドをフル活用し体を起こし、なんとか食事を摂る。そして電動ベッドに頼って寝る。それだけでした。全身麻酔の弊害はありました。よく聞くのは吐き気だと思います。私はそれは全くなくて、頭痛がありました。麻酔で寝ているだけだと思っていても体にメスを入れて、薬で強制的に体の機能を止めるのだから必然的に体にはダメージが残ります。それを思い知ったのは昼食でした。ハンバーグと白米は覚えています。半分程度は食べたと思いますが、それ以上は無理でした。全く動いていないのでおなかも空かないのですが、それ以上に体がしんどくて食べる、という行為に体力を持っていかれてしまいました。そのあとはあまり覚えていません。寝て過ごしていたのだと思います。夕食も同じく半分程度しか食べれませんでした。私は出された食事は極力残したくないので、いくら口に合わなくとも完食を目指します。そんな私が食べられないのだから体は弱ってんだ、と妙に落ち着きました。もう一つ、看護師さんに半分は食べないと点滴を抜針できないと言われいたのでなるべく食べてやろうと意気込んでいました。あっけなく撃沈しましたが。

 次の日、状態はあまり変わりません。左腕には点滴。腰の創部には分厚いガーゼ(どんなものか見ていない)。創部の右下あたりには血を抜くためのドレーン。動けないので尿道カテーテルがそれぞれついていました。担当の看護師さんがバイタルチェックに来室されると創部の確認があります。柵に必死に捕まり体を横向きにしている間に看てもらうだけですが、これが意外と疲れる。そして皆さん口をそろえて言うのが綺麗に縫ってもらってありますね。でした。今も表面はデコボコしてますが、特に気にしていません。自力で歩けなくなる可能性があったのが、普通に歩けるまでになりました。傷跡なんて気になりません。私の場合はです。この日は前日とほぼ変わりありません。

 次の日の朝、規則的な生活(強制)をしている私は6時前に目を覚まします。そしてテレビをつけ、めざましテレビを見るのです。個室のため音量はだいぶ落としていますが、イヤホンなしで見ていました。何時ごろかは忘れましたが、主治医が看護師さんを連れて来室されました。腰見せてね。と言われ、どうぞと柵にしがみつきました。ここで言われたのが管抜こうかの一言でした。あぁ、わかりました。処置室かどこかでするのかなと思いきや、そのまま手袋をつけ、処置の準備に取り掛かっています。まさかのここで?と思っていると腰に種類の違う痛みが走ります。思わず腰が引けてしまいました。看護師さんがごめんね、痛いよね。と謝ってくれましたが、耐えれる範囲です。私は点滴の方が嫌でした。実際にドレーンを抜管しているところは見ていないので正確には分かりませんが、感覚的にはそのままズルズル引き抜かれた感じです。そして2日近くドレーンが入っていた場所には穴が開いているのでそれを蓋されて処置は終わりました。ここで驚くことがありました。あんなにあった傷の痛みがほぼ消えました。私が痛い痛いと言っていたのはメスを入れた場所ではなく、ドレーンだったようです。もちろん痛みはありましたが、あの、腰を痛めた時に比べれば大した痛みではありません。そして、尿道カテーテルもこの日に抜いてもらいました。夕方には持続の点滴もなくなりました。ルートは確保したままだったように記憶しています。

 体から出ていた管がなくなり、行動制限もなくなったら今度は自力でトイレに行く、ということが日常の中で発生します。トイレに行く際はナースコールを。と言われていたのでボタンをぽちり。さあ立ち上がろうとするのですが、どうやって立つのかわかりません。2日半立っていないだけで立ち方を忘れました。足に力が入る感覚もなくなっていました。いちど立ってしまえば、歩いてしまえば大丈夫ですが、それまでは少し怖かったです。はじめは車いすでの移動だったので、個室内の数歩すら車いす経由でした。これが非常にめんどくさい。歯を磨くために洗面台に向かうのも車いす。個室内なのにです。すぐに使わなくなりましたが。それからは歩行器でした。これは退院まで使っていました。なるべく腰に負担がかからないようにだそうです。

 ここからの入院生活は快適そのものでした。痛みが軽くなったので寝返りがうてるようになりました。いろいろと掴まりながらですが自力で動けるようになりました。こうやって文字に起こしているといかに自分が何もできなかったのだと思い知ります。昼は高校野球を見て、眠くなったら昼寝をする。夜になれば自然と睡魔がやってくるので身を任せて寝る。夜中にけたたましい音を鳴らしてやってくる救急車に起こされ、また寝る。とにかくやたらと寝て過ごしました。もともとよく寝るんです私。暇つぶしにPCを持ち込んだので見れていなかったアニメを一気見し、ゲームもしてました。ここだけ見ると休みの日の私となんら変わりありません。

 気分が乗ってきたので一気に書き上げるかもしれません。自分でもいつ書くのかわからないので確信はないのですが、自分のために最後までやり切ろうと思っています。それが終われば今の状況も少し文字にできたらと思っています。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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