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それでもわたしは

私の内側から浸食しながらそしてすべてを飲み込んだ。

 2021年11月11日、私は鬱病患者になった。
去年11月になってから顕著になってきた身体の不調は、確実に精神的モノだろうと自覚できるものだった。はじめは動悸。ズンドコと心臓がうるさい。そして少し息が詰まるような感覚。それをごまかしながらPCに向かって仕事をしていた。

 それがある日突然、通勤中にボロボロと涙が止まらなくなった。車通勤のため冷ややかな視線が突き刺さらなかったのが不幸中の幸いだと思う。ティッシュを大量に消費しながら駐車場に向かった。今思えば滲む視界で1人車を運転して会社に向かうとは危ないにもほどがある。車を停め、私の意志とは関係なく流れ続ける涙をなんとか止めようとするが、どうにもならない。お手上げ状態だった。そしてどうしようもない衝動に駆られる。

 自宅から職場までに踏切を通る。田舎の電車は本数が少ない。それでも朝の通勤、通学時間帯はそれなりの本数が走っていて、タイミング次第では数本見送っていた。そんな踏切が職場の近くにあった。どうしようもない衝動。もう、飛び込んでしまおうと思った。

 それをしなかったから私はいまこうして文章を打っている。なんとか自力で踏みとどまり、職場に休む電話を入れてその場から離れた。とにかくこの近くにいてはいけない。ただそれだけを思って車を走らせていた。再び車を動かし始めた時には泣き止んでいたのに、何も考えず、ただ運転しているだけなのに、いつの間にか視界は滲む。

 積んでいたティッシュは底を尽き、昼になるまで時間を潰してから帰宅した。あの場所から離れてしまえば涙が止まらなくなることも、息苦しさも、動悸もなくなった。その日の午後のことはもう覚えていない。

 私のかかりつけ病院は内科、心療内科のクリニックで、生まれてからずっとそこで診てもらっている。鼻水垂れただの、喉が痛いだのと体が不調の時に行くそこは優しい先生がいつも話を聞いてくれる。藁にもすがる思いで朝からそこへ飛び込み、診察をお願いした。待合室で待っている間はいくらか平気だったのが、先生と顔を合わせ、助けを求めた瞬間に全て崩れ落ち号泣した。

「しんどい」

 たったそれだけを言って顔を覆って号泣しだした私が少し落ち着くまで待ってくれた。話ができる程度に落ち着いたころ今の状況を吐き出した。内容は支離滅裂だったと思う。

 今のあなたは抑うつ状態。仕事に関連して症状が出現したと思われる。休職を指示します。要約してあるが、実際に診断書にそう書いてある。これを提出したのはその日の午後。何を言ったのか、どのようなやり取りがあったのか記憶にない。このあたりの記憶が抜け落ちている部分は、私が無意識的に記憶媒体から消去したのではないかと思っている。心理的ストレスと長期間受けると海馬の神経細胞が破壊され、海馬が萎縮する。鬱病患者にはその萎縮が確認されるらしい。私の解釈はあながち間違いではないと思う。

 先生からはふたつの提案があった。ひとつは薬を飲んで様子を見ること。ふたつめは薬は飲まず、様子を見ること。中には薬に頼らず、ストレスから遠ざかることで回復を目指す人もいるらしい。私は薬に頼ることを選んだ。なんでもいいからこの自分の思い通りにいかない感情をどうにかしたかった。そして今現在、その薬は継続して飲んでいる。

 それと併発したのが睡眠障害。私は昔から寝つきがよく、寝れないということがほぼなかった。あっても何日も続くことはなく、単発的がほとんど。そんな私が寝付くのに2時間以上もベッドで寝返りをうっている。朝方に寝て昼頃起きる。そして夜になるにつれ元気になっていくという典型的な鬱病患者になっていた。

 鬱になった人のイメージとはどのようなものか。起きられない、家から出られない、そういったイメージがあると思う。私もそうだった。起きられなくはなったが、出かけることはあった。爆発的に広がった感染症のせいで頻繁にとはいかなかったが、買い物に行ったり、映画を見たり。ただその時に応じてできないことはもちろんあった。文章を読んでも頭に入ってこず、理解できないことは今でもよくある。なんでわからないのか、と自分に苛立っていたのが、現在は少し進歩して、今は何をしてもできない時期なんだ。と考え方を変えた。これがいいことなのかはわからないが、自分が楽になったので私には合っているのだと思う。

 鬱病になり、もう2年以上が経った。体調に波はある。些細なことで考え込むことがあるし、眠剤は手放せない。時々どうしようもない不安に駆られて動けなくなる時もあるけどそれでも何とか一日を過ごしている。

 何度踏切に飛び込んでやろうと思ったか。何度首を吊ってやろうと思ったか。それでもわたしは生きている。

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