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青天の霹靂4 END

 詳しい日付はもう覚えていないことの方が多いです。記録をつけていたわけでもないので、完全に私の脳ミソに頼って書いています。なのでリハビリが始まった日はいつなのかわからないんです。ですが、理学療法士の方が迎えに来てくれました。移動は車いすでした。いつもより低い視線で道を譲られながら進んでいくのは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。何から始めたのかも覚えていません。やったのは足首を動かすことでした。動くようになった私の右足首は動くだけで、力はまだ戻っていません。ぐっと手で押されてもそれを押し返すことはできませんでした。あとは足に電気を流してもらいました。動かなくなったのは右足首ですが、右足全体が痺れて感覚が鈍くなっていたので右足の方が強い電流まで耐えていました。日を追うごとに何か変化を感じたわけではありません。理学療法士の方が言うには良くなっているらしいです。内容だけ書くと足を動かすような動作、電気、スクワット、あとは病棟を歩いていました。はじめは歩行器を使いながら、終わりの方は何もなしで。日ごとに段階を踏んでいたのは分かりました。年齢のこともあって回復は早く、リハビリすることないなあ。なんて話ながら体を動かしていました。退院してからもリハビリは続くと思っていたのですが、それもなかったです。周りの人に若いからね、と言われましたが本当にそうなのかはわかりません。

 平日はリハビリがありますが、休日はありません。日々のイベントが食事しかないのです。入院も終盤に差し掛かると体は元気で、ベッドを起こすことなく1日座っていられたので本当に暇でした。いくらPCを持ち込んでいるとはいえ、できることは限られます。あぁ今日も暇な1日が始まると思った矢先、Drが創部を看てくれました。うーん、いいね!いつ帰ってもいいよ!そう言いました。その前に看護師さんから病室が埋まってきているからできれば早めに退院してほしいと言われていました。急いで母に連絡しました。運よくその日は母の仕事が休みだったので、その日のうちに退院です。話がとんとん拍子に進み、急いで荷物をスーツケースに詰め込みます。看護師さんも大変だったと思います。明日か明後日だと思っていたら今日だと言われてので。準備があるので昼から迎えに来てもらうことにしました。荷物を片付け終わった部屋で最後の食事を摂りました。忘れ物が無いかチェックしてもらい、ナースステーションで看護師さんにお礼を言って退院です。

 2週間の入院予定でしたが、11日で退院になりました。後は自宅で療養だったので、少しづつ歩く距離を伸ばし、車の運転も始めました。

 今の状況ですが、右足首は普通に動きます。痺れはくるぶしから足先、親指にかけては残っています。1年かけてやっとここまで来ました。退院した時には膝から下すべて痺れていたので大きな進歩です。右足の親指の力は完全には戻っていません。動くようになりましたが、まだ感覚は鈍く、左と比べると動き方が違いますが、日常生活には何の問題もありません。

 腰椎椎間板ヘルニアの治療は基本的にまず投薬治療です。痛みを取り、飛び出した椎間板が吸収されるのを待つ。これが一般的です。痛みが強く続く場合はブロック注射をして痛みを取る。私のように麻痺が出てくると手術の適応になります。麻痺が出るとここからは早いほうがいいので、話が進むのは早いです。私が言われたのは飛び出た椎間板は吸収されるから待てば治る。だが、足は時間が経てば動かなくなり、手術しても麻痺が残る。手術するなら早いほうがいい。そういわれました。こう言われたら答えは受けます。としか言えなかったです。

 あとから聞いた話ですが、母はできれば手術を受けてほしくなかったみたいです。身近に椎間板ヘルニアの手術を受け、失敗し足が不自由になった方がいるから。手術を受けたのがまだ23歳の私で、若いのに消えない傷が腰に残るからだそうです。すでに成人している私が手術を受けると決めれば親の同意はいりません。説明は一緒に聞きましたが、最終的には私が決めたことです。傷のことは私は気にしていません。他人に見られるのも平気です。恥ずべきことではないからです。体にメスを入れたくないというのは分からないわけではありません。怖いのも、痛いのもわかります。否定するわけではありません。形成外科という科があります。そこで相談するのもひとつかもしれません。

入院記はこれで終わりです。読んでいただきありがとうございました。

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