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武術太極拳の憧れと悔しさと気づき

武術太極拳というスポーツでは、ジュニア区分とシニア区分で演武をする内容が大きく異なる。ぼくがやっていた「太極拳」種目に関してはジュニア区分からシニア区分へ上がることは、全く異なる競技へ挑戦するくらいにレベルが高くなる。

そもそも武術太極拳とは、コート上で演武をして点数を出しその採点で順位を競う芸術スポーツのことである。

今回は武術太極拳のシニア区分、いわゆる「自選難度」を競技してきてこれまで感じた憧れや悔しさを書いていきたいと思う。

自選難度への憧れ

自選難度をぼくがはじめて意識したのは中学2年生のとき。そのときのぼくは24式太極拳という演武を練習していた。

24式太極拳は大人になった今でも学びがあるほどに深い内容のものではあるが、演武全体を通してみると少し単調に見える。しかしぼくはそんな単調に思えるような太極拳にも面白さを感じていた。

そんな時期にYouTubeで見たのが2009年に台湾で行われた国際大会で演武していた太極拳の中国人選手だった。
そこで彼が演武していたのが正に自選難度であった。

自選難度とは簡単に言ってしまえば、武術太極拳の演武に跳躍などの難度動作やダイナミックな動きを加えて、よりスポーツらしくしたもののことである。

それを見たとき、これまで単調に思っていた太極拳にも跳んだり速く動いたりするものがあると知った。とても衝撃的だった。ぼくの中で太極拳という概念のパラダイムシフトが起こった感じがした。

そこからYouTubeでは自選難度の動画をたくさん見るようになり、大会では自選難度の先輩選手を応援することが楽しみの一つとなった。

全日本大会において、自選難度の応援は各チームごとではなく、東日本と西日本という大きなくくりでまとまって応援をする。ぼくは北海道の選手だったので東日本の応援をしていた。

当時北海道で練習していたぼくにとって、東北や関東の武術仲間と一緒に応援すること自体が楽しかった。そしてそんな観客席から見る自選難度の選手はカッコよく、そして輝いていた。

いつからか、ぼくも自選難度の選手になることが目標になっていた。

自選難度の選手になって

17歳のときに運の良さが重なり、自選難度の試合にデビューすることができた。(シニア区分とはいえ16歳から転向することは可能だった。)

しかしいざ一つ自分の目標を叶えたところで出てくる課題は山積みであった。
前述したとおりジュニア区分からシニア区分への転向、つまり自選難度への挑戦は全く別の競技をするぐらいの大きな壁があった。
演武内容はどうやって決めるのか、音楽は何を使うのか、練習はどうやってやればいいのか、わからないことだらけだった。

だがこれまた幸いにも東京の仲間・コーチの繋がりや当時のチームコーチ、そして両親のサポートがあって何とか形を整え初の試合に臨むことができた。

憧れであった自選難度の初試合演武。

一番最初の難度動作は少し危なかったけど何とか片足で着地し、成功させることができた。その時に起こった歓声と拍手は今でも覚えている。それだけで自分もやりきった思いがした。

試合の結果は決してよくなかったが、十分な満足感があった。

その後、武術太極拳の自選難度選手として本格的に活躍を目指そうと大学進学と同時に上京し、日本連盟の本部センターで練習を始めた。

そこから更にしばらくして、本場中国のトップチームで練習できる機会を得た。

中国では1ヶ月間滞在し訓練に参加したが、本場中国でのプロのレベルに驚いた。

自分がこれまで挑戦しようとも思わなかったハイレベルな難度動作を当たり前のように成功させていく。難度以外の純粋な太極拳の技術についても優雅さ、美しさ、迫力、全てが完璧だった。

当時、学生で日常でも武術太極拳のことばかり考えていたぼくは、あのような選手になれたら何にでも投げ出したいと思えた。


大学卒業後は社会人になっても武術太極拳をつづけていきたいと考え、競技継続を軸に就活し、ご縁を頂いた会社に就職した。

就活と就職を通して別競技のアスリートとの繋がりが増え、社会においてのスポーツの価値、アスリートにとって必要なことを意識するようになった。中国で感じたこととは対照的に、アスリートはもうスポーツだけやっていればいいわけではないことにも気づくようになった。

悔しさとコロナ禍

社会人アスリートとして臨んだ2019年の世界選手権。大きな失敗をして成績も本当にひどいものであった。本当に落ち込んだ。

アスリートと会社員の二足の草鞋を目指そうとしたからひどい結果を招いたのではないか、やはりアスリートは結果を出すことだけを第一に考えなければならないのではないかと、これまで社会人を通して築いてきた自分の価値観が崩れていった。

その悔しさと悩みから逃げようと、社会との繋がりは捨てて武術のことだけ考えていたくて、がむしゃらにトレーニングや練習を続けていった。

そしてそんな中で迎えたコロナ禍。訓練だけでなく大会も次々と中止や延期になった。当然、頑張る糧としていた目標もなくなった。

しかしぼくにとっては、武術から一旦少し離れ冷静になることができた期間でもあった。もちろん訓練や大会がないのは辛かったが、当時あのまま続けていたらどこかで潰れてしまっていたのではないかと思う。

2020年の夏に新卒からお世話になった会社を退職し、個人で武術を指導して普及への活動にも専念していこうと考えるようになった。

大会から離れたことでスポーツとして武術太極拳の社会的な価値などを再度考えるようにもなってきた。SNSも以前に比べて投稿数を増やしていった。まだわずかだが、そこから頂く仕事もできた。


そして2021年現在、相変わらずコロナ禍はつづき、全日本大会も再度中止になった。
その中でなぜ現在も武術太極拳を続けているか、よく自問をする。しかしそれは単純に武術太極拳が好きだからだろうと思う。

自選難度もつづけて8年になる。ぼくがジュニアだったときに憧れていた選手のポジションに今ぼくがいる。だが当時憧れていた先輩と比べ、国際大会で目立った成績を特にまだ残せてなくて恥ずかしい思いである。

しかしこのコロナ禍で大会がない今でも、ジュニアのときのぼくのように自選難度に対して憧れをもってくれている人はいるかもしれない。

大会がなく表演も少ない今だからこそ、そうした人たちに対してSNSなどを通じて何か見せてあげられないかと思う。
ぼくの自選難度に憧れを抱くなんて自惚れかもしれない。だが一人でもいてくれれば今の武術太極拳には大きな資産ではないかと思う。


今改めて社会人アスリートとして二足の草鞋を実現させたいと思える。

競技選手としてもかつての憧れの姿に追いつき追い越したい。

そして今憧れてくれている人に背中を見せてあげたい。

こうした思いは改めて考えるといかにもスポーツマンらしい当たり前のようなことだが、そこに気づくまでに時間が掛かった。

その気づきを忘れないためにここに書き記しておく。

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