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優しいを考える

優しさってなんだろう。
優しさについて考えさせられる映画だった。

登場人物それぞれの優しさがあった。
七森には七森の考える優しさがあり、麦戸には麦戸の考える優しさがあり、白城には白城の考える優しさがあった。

「嫌な事言う奴はちゃんと嫌な奴でいて欲しい」と言った七森。
そうだよね。
嫌な事言う時もあるけど良い人である時もあるから、自分の心に折り合いが付けられなくなる。
結果、自分自身を責めることになったりするよね。

「優しいんじゃなくて、弱いだけなのでは」と言った麦戸。
麦戸にとって、社会はあまりにも行きづらい。
それでもそこで生きていかなくちゃいけないっていうことと最終的にはちゃんと向き合った麦戸は凄い。

「私はぬいぐるみとは話さない」と言った白城。
白城の優しさは、おそらくぬいさーの皆には伝わりにくいかもしれない。
でも白城は白城なりに、自分だから出来る優しさを持って彼らと接する。
優しさというよりは、誠実さかもしれない。
わからない。上手く言えない。


被害者になることで「自分は加害者ではない」と思いたい、そういうひとは、いる。
傷ついたもん勝ち、泣いたもん勝ち。
そんなふうに片付けたくは無い。
そういうことでは無い。
優しい人が、弱い人が、そのままで生きられる世界を模索してもいいじゃないか。
そういう世界の一端を担うのが、微力であっても自分がそうなるのだと、あえて決意する人がいてもいいじゃないか。
そういう優しさがあってもいい、と思った。

果たして、私は強い。
多分、この世界では彼らのことを傷つける側の人間だと思う。
傷付けて来た人はおそらく沢山いる。
時に自覚的に、時に無自覚を装って。
それもひとつの生き方だし、否定しない。
私は私の強さや無神経さを否定しない。
彼らが彼らの優しさと弱さを尊重するように、同じように尊重するのだ。


そんな感じで、世界は成り立っている。

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