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映画「夜を走る」が置いていった何か

見たのはもう5月なのか。
半年経っても、折に触れて思い出すというのはなかなかの名作だったのではないだろうか。
少なくとも自分の中では。

洗車のシーンが全てを表していたかな、と思った。
私も初めて洗車体験をした時はびっくりしたんですよね。自分が動いてる錯覚があって、でも動いてるのは洗車機械の方で。
自分が動いてるのではなく、動いてるのは周りなんだよね。
この映画の主人公たちも、そんなセリフを吐く。

「俺は何も変わっていないけど、周りがどんどん変わっていく」
「自分は動いてない。周りが動いているだけ」

というセリフが表すように、状況は本人たちを置き去りにしてどんどん変化していく。
概ね悪い方へ。

結末がどこへ向かうのか全く分からないし、途中から何が本当で何が冗談なのかも分からなくなり、見ている自分自身も置き去りにしていく。
一体何を見せられているんだ。
この物語はどこへ向かっているのだ?

独特の、やや文学的な表現もあり。
見終わったあと、「はぁー……」とため息が思わず漏れてしまった。
知らず知らずのうちに、肩に力が入っていたがゆえの脱力。
そして残る余韻。

こうして半年後、少しでも何かしら書き残しておきたくなるほどの「衝動」、思い出して耽る「感慨」、そしてある種の「裏切」を私の中に置いていった作品でした。

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