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好きなことを好きなままでい続けるということ

三者面談のシーンがある。
おそらく高校の進路面談だ。

子どもの頃からサカナばかり大好き過ぎて、進路もままならないミー坊に、高校教師はお前どうすんだ、と。お母さん、もうちょっと家でも勉強させてくださいと。
「勉強の得意な子もいれば、不得意な子もいる。いろんな子がいてもいいじゃないですか。この子はこれでいいんです。このままで」と言う。
隣に座るミー坊は少し不安げだ。
自分は本当にこのままでいいのだろうか。

先生は言う。
「だって将来苦労するのはこの子ですよ」
と。
母は言う。
「いいんです。それで、いいんです」
その時のミー坊の驚きと、困惑と、尊敬と、喜びと、なんかもういろんな感情がめちゃくちゃお母さんを見つめる表情に出てて、いや、凄いなと。
きっと当時のさかなくんも、そういう表情をしたんだろうな、と思った。

たとえ困難な道をゆくとしても、たとえ苦労するとしても、この子の「好き」を続けられるなら。
この子が「好き」を続けられるなら。
それはどんなに価値のある人生だろう。
全部はきっと選べない。
たくさんの選択肢は無い。
生きること、生きていくことも、大変かもしれない。
だから、お母さんは彼の人生において、「一番大切にした方がいいこと」だけを、優先させたのだ。

小学校のシーンがある。
ランドセルは男の子は黒。女の子は赤。そういう時代だ。
偏見や、世間体もあったろう。
お母さんの、腹のくくり方というか、覚悟。
この子が将来困っても、苦労しても、「好きな事を取り上げることだけはしたくない」という強い意志。

得体の知れない魚好きおじさんの家に行くことも、めちゃくちゃ危険なのに、行っていいよという。
父親や弟は心配するし、反対する。
悪い人だったらどうするの?
イタズラされたらどうするの?
でも母はそれを許す。

おじさんの家で無邪気に魚の絵を描き続け、おじさんと魚話が盛り上がり、暗くなる前に帰ってくるという約束も忘れ、夜遅くなってしまう。
警察を呼ばれ、連行されてしまうおじさん。
母はどれだけ心配したことか。

いつだってリスクはある。
ちょっと人とは違う、個性的な子だから。
生きていく上で、この子はこの先、たくさんたくさん傷付くだろうと思ったんじゃないかな。
リスクから遠ざけることだけが、愛情ではない。

「好き」があって良かった。
それがこの子の救いになる。
「好き」なものに夢中になっているこの子の事を、みんなが笑顔で見続ける。
好意的じゃない人もいる。
でもそれでいい。
そのままで、良いのだ。

「好き」な事が、こんなにも人を救うのか。
人間は「好き」があれば、それが生きていく原動力になるのだな。
自分の「好き」を、大切にしていいのだ。



「好き」は尊い。



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