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これは正しい感情だろうか?

ハンチバックをようやく読み終えた。

読み終えてから感想を書くまで一週間くらいかかった。
面白かった。
面白いというのが正しい感想なのかどうかはわからないが、素晴らしい文学だった、と感じた。
これは文学だ。

ページ数だけで言えば、他の本に比べたら圧倒的に少ないほうなのに、読み終えるまでに結構時間がかかった。

読んだ人はわかると思うが、一気に読むのがつらいというか、休み休みじゃないと自分はきつかった。
読み進めるのに体力がいる本だった。

この本が私の元に届くまでにどれほどの道のりがあったのだろう、どれほどの物語があったのだろう、と考えている。
この本が芥川賞を取り、多くの人の手元に届くまで。

ちなみに私は紙の本を買いました。
会社帰りに駅の本屋に立ち寄り、手に取り、レジに持って行きお金を払い、書店のカバーをかけてもらう。
そういう一連の行為を経た後に、読み始めました。

本を読んだ人はわかるかもしれないけど、何も悪い事をしている訳では無いけどなんだか罪悪感を感じてしまった。
この気持ちはなんだ?
これは正しい感情だろうか?

いくつかの書評を読んだ。
本書のことを『強烈な文章にユーモアを交え……』と評し紹介している文をよく見かけたが、ユーモア?これが?ユーモア……かなぁ?と思った。
なんかそんな言い方をするのは大変失礼な気がした。
ユーモア、と形容するにはあまりにも深く、重く、強い怒りと復讐心を、私はこの文章に感じた。
微塵もユーモアなどとは思わなかった。
そんなふうに言える人はきっと、この本や作者のことを遠くに置いている人だ。
自分の世界と大きく隔てた、どこか遠くに置いている人だ。
日常に「それ」が無い人だ。
だからそんな言葉が出てくる。

これは私の感想ではなく、感情だ。
読んでいる最中も、読み終わったあとも、言葉に出来ない、私の奥底から沸き上がる感情。
この感情はなんだ?

苛立ちや蔑みというものは、はるか遠く離れたものには向かないのだ。

『ハンチバック』市川沙央 著

とにかく一人でも多くの人の手に渡るといい、そしてもれなく全員がそうであろう、読後沸き上がる感情と向き合うといい。

読み終わって何日も経つのに、まだ言葉にならない感情に支配されている。
船酔いのように、さざ波のように、繰り返し私の脳を支配する。
良い本だった。


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