どんな小さなジャッジも

どんな小さな裁きも見落とさず赦しに差し出すことを日々している中のひとつとして。


(私の)狂ったエゴは優劣をつけたがる
偉そうにしないでとか、もっと下手にでてほしいとか、対等でいたいとか。
そういうことに目を向けさせて、モヤモヤさせておこうとする。

対等でいたいと願うということの裏には、例えば、私は見下されていて憤りを感じるとか、馬鹿にされているのではないかと言う苛立ちと悲しみの感覚や、私より偉そうにするなんて、なんて場違いな子なの?という傲慢極まりない思いなどがあり、他にも何通りものジャッジに溢れている。

リアルワールドで私たちは対等であり、対等と言うより同じ一つの心であるわけだから、そもそもこのような考えは浮かぶはずがない。

なので、このへんてこな考えを訂正してください。

Jesus、あなたの清いヴィジョンで私も見たいです。

ワークブックレッスン53・3 (13)
無意味な世界は恐れを生み出す。

完全に狂った考えは、安全も希望も差し出してはくれない、と書いてあります。

私はエゴに囚われた無意味な世界を選ばないという選択ができます。

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