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今の私をつくっているもの。

昨日書いたのを読み返してみて、ただただ思ったことをドバーッと書き過ぎたと、話があっちゃこっちゃいってたなあと、反省。でも、また書き直すのもなあ…^ ^
そのままにしておきます。笑

前回の記事は書いてる間中、昔のことを思い出して、終始おセンチな気分でした。考えるとその時の感情がぶわっと思い出されて、あーあんなことあったなーとか、なんでこんなくだらないことを覚えているのかと、恥ずかしくなってみたりしていました。

そこで、「あれ?」と、なったこと。
結局、今の私の好み、今の私の笑うツボ、今の私の恥ずかしくなるところなんて、記憶を辿る限り、ずっと変わってないんです。
ひとりで笑ました。

中学生の時に「いつか私も大人の女性になれる日が来るんだ。」と「今はまだこどもだから私の好きな物はこれなんだ。」とか、特にファッションの面で「大人になったらこんな服装するんだろうなー。」と、ドラマや映画を観て思っていたのですが、現在30代半ば、あの頃夢に描いていた大人にはなっていませんね。笑

長女と古着屋に行くと興奮するし、なんなら、一緒のお店で「これ一緒に着れるよね。」と言って買うし、きゃっきゃっ話しながらお店の中を歩いて、ふざけて笑って、学生時代とやってること変わってないんよね。

ふと、自分の母のことを、あの頃の母の姿、私の目からはだいぶ大人に見えた母を思い出して、今の私とあの頃の母を頭の中で並べてみて…あれ?今の私の方が年上か?と、またひとりで笑いました。

大人ってなんなんでしょう。

私から見た母が『大人の女性』『母親』だっただけで、母もずっと中身は少女だったかもしれない。まぁ、たぶんそうなんだろうなとも思う。そういうところもあった。

今はもう母と話すことができないので、母はどうだったかとかそんなことは聞けないですが、母が自宅療養していた時に、母からあの時が楽しかった、自由だった、あの頃は遊んでたという話を聞きいたことがあって、「え?私が生まれる前のほうが楽しかったん?」と、笑って他愛もない話をして過ごしました。

それから少ししてから母は亡くなったのですが、母が亡くなってから自分の保険の額を上げていたのを知って、ちょうど母の楽しかった話を聞いた時期とかぶっていたので、あんな話をしたのも自分が死ぬのをわかっていたんだと理解しました。こんなドラマみたいなことあるんだなと、泣きました。

今考えると母が病気になったのは、誰のせいでもなく、母本人のせいだとわかりますが、あの頃は誰かや自分を責めたりしていました。

話がそれていってしまいましたが、母が亡くなったという視点から見ると、今の私は十分「大人になってるやん。」と思えるところはありますね。

当たり前ですが、今の私をつくっているのは、これまでの私と今の私以外誰でもなくて、全部自分がつくっています。

好きな物や好きなことは変わらない。
「好き」を無理に変える必要はないし、好きは好きでいいんですよね。
それが私という人で、別にそれが大人とか大人じゃないとか、そんなんは結局どうでもいいことなんだと思います。

てか、自分が楽しく生きてたら、それだけでいいじゃないか!

どんな話をしても最後にはこの言葉にたどり着きます。笑

私をつくっているのは私。常に私でした。笑

なんじゃそりゃ。
おわりです。



いちごの写真は家のプランターで採れたいちごです!
今日の話に何も関係ありません。
土の上に長いもが埋まってた木くずを敷いてみたら、去年より豊作で、テンションあがってます。木くずパワーすごいです。


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