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会社を辞めて漫画家になったら人生が最高になった話 part1 社会人暗黒時代編

こんにちは、ごきげんよう
先日コバエ殲滅に大成功した私です どうも!ガハハッ!

noteを始めたきっかけが
「コバエのキツさは140字では語れないから」だった私ですが
長い文章、書いてみたらすごい楽しい!!!!!
学生時代、ブログをやっていたときの気持ちを思い出しました

なので引き続き、自分のこととか、気になったこととか、
たまにひっそりと書いていこうと思います!!

さて、タイトルの通り
現在私は漫画家として生計をたてている身です
漫画家としてデビューしたのは2019年のこと。
それまではとある金融機関に新卒で就職し、2年半程勤めました。
確か。多分そんくらい。嫌すぎてよく覚えていない。
ともかく、
今日は自分が会社を辞めて漫画家になるまでの話をしようと思い机に向かっております

何故突然そんな身の上話を…という感じる方もいるかもしれません
しかし、先日こういう話を目にしました

「会社を辞めて漫画家になろうなんて考えない方がいい。そんなことができるのは一握りの人間のみだから」


こう仰っていたのは自分よりもずっと知名度のある方。
要するに、「仕事を辞めたら描く」なんて言って結局いつまでも手をつけずに終わる人は少なくないぞと。
本当に成す人は大体仕事しながらも1本2本書いているもんだよと、
そんな感じの話だったと思います。

これは確かに一理あるし納得できる。
堅実で、現実的な考え方だと思います。
考えなしに辞めて後悔する人は世の中にいっぱいいるし。

ところで私、会社辞めてから突然漫画家になったんですよね!

そういう奴もいます。そういう話をしに来ました。
あと仕事がクソ辛かったから辞めよう!!そういう話もさせて下さい。

無理な時逃げた先は別に行き止まりじゃないです。
どっかの知らん道に出るだけです。
確かにちょっと怖いけど、道ではある。
歩いていけばなんとかなるかもしれない。

私は結果として漫画家になったことで
人生は豊かで最高のものに変わりました。
一方社会人時代はこの人生の中で今のところ最も消し去りたい、
辛くて、嫌な日々でした。

私は絵を描くのが好きだったのに、社会人になるまで一度も
「漫画家になろう」とはしなかった人間です。度胸も自信もなかった。

でもなぜか今、漫画家になっている。

今回のnoteは、私の学生時代~社会人時代
そして、その後どのようにして漫画家になったのかを
つらつら、だらだらと書いて行こうとおもいます。

同じ境遇にあって、会社が死ぬほどつらい人とか
「漫画家になりたいけど…」と思っている誰かの背中を少しでも押せることを願って。


クソ長くなってしまったのでこちらも数回に分けて書きます。
今回は学生時代から、社会人時代の話まで。
正直社会人時代の話は、なるべく辛すぎないように書きますが
楽しい内容ではありません。
現に辞めてるしな!!!!だってつらかったんだもん!!
あと一切美化してません。
「ここは良かったけど…」なんてフォローもしてません。
「あれはあれで学びになった」なんて言うつもりは毛頭ありません。

最高に時間の無駄だったぜ!

クソみたいな日々を送っただけだったぜ!!

マジで辞めてよかった!!!!!!

あんな所、命がいくつあってもたりねえや!!!!!!!!!!!!!!!!

胸を張ってそう言わせてください!!!!!

学生時代~社会人時代の話

私はとにかく絵を描くのが好きな子どもでした。
気付いた時にはもう、絵を描いていた。漫画も描いていた。
そして小学生の頃の夢は「画家」。
画家て!!!!!!!!!!!!

当時は漫画家とか、作家とか、
違いすら良くわかってなかったんだと思います。
絵を描いてんだから画家やろ!!!みたいな考えをひしひしと感じる
無知!!!!

そしてそのまま中学生になり、見事に腐女子になりました。
忘れもしない。あれは中学1年生のある日

友達が青いビニールの袋に入った本を持ってきた。

「これ、面白いから読んでよ!」ただそう言われた。
帰宅して袋を開ける。

私「?知ってる漫画だ でもなんか…絵柄が違うな

察しのいい腐女子の皆さんはもうお分かりですね。
この時手渡されたのは

アニメイトの袋に入れられた某少年漫画のアンソロジー(腐向け)


でした。
今思うけどあれって著作権的にセーフなのか?

当時ピュワッピュワだった私は、
男同士がなぜか頬を染め見つめあっているのを見てこう思います

「フーン…いいじゃん…」


同人女ロードを駆け抜ける他に、道はありません
そんなこんなで、中学~高校で見事にオタク腐女子になり、
イベントに行き、人の作品に触発され自らもコピー本を出し
次第にバイトでお金をためてオフ本も出すようになりました。

でもこの時の私はもう漫画家になろうなんて思っていません。
むしろこう思っていました。

「世の中はお金がないと成り立たない。将来は安定した職業に就いて、
素敵な人と出会って、結婚するんだ!」

うーん 堅実なことで!別に今だってこの考えを否定はしません。
だって、理想のお手本がすぐそばにありますからね。親です。
両親は仲も良く、学生当時で父は大手企業の管理職、母は専業主婦
3人の子ども(私、兄、兄)を全員大学まで入れさせてくれました

この時すでに、母が常に家にいてくれることで自分の心を支えてくれていたことも、父が必死に汗水垂らして働きながら小言のひとつも言わずに行きたい学校に行かせてくれていたことも、子どもなりに理解していました。

両親は常々「好きなことをしなさい」と言ってくれていたので
もし、「漫画家になりたい」とか「専門学校に行きたい」とか
本気で相談していたなら、やってみたら?と言ってくれていたと思います。

でも、そういう親だからこそ私はこう思っていました。
好きな学問を学ばせてくれたからこそ安心してほしい。
時間を無駄にせずしっかり学んでいいお給料の仕事に就くべきだ
親のような、真面目で堅実な生き方をしよう。

別に我慢してそう思おうとしていたわけじゃなく
自分としても博打みたいな世界に飛び込む勇気なんてありませんでした。
だったら安定を取って当然、安定と言えば金融だ。

なんか、友達のお姉ちゃんも銀行員だって言ってた。
お給料がいいらしいじゃん!

このときから漠然と「銀行員になろう!」そう思って生きていました。
なんて夢のない…とか言わないでね!

そしてそのまま4年制大学へ進み真面目に勉強し、
就活も頑張って、ついに念願の銀行員になります。

さあ!楽しい地獄の始まりだぜェッ!!


これを見てる現職の銀行員が居ないことを願います。
まじですいません。

でも本当につらかった。仕事内容よりも人間関係が。
初めに書きましたね、2年半くらいでやめたって。

あまり詳細に書いてしまうと身バレしそうなので控えますが、
この世の嫌な人間を寄せ集めたみたいな、そういう空間でした。

お気に入りばかり贔屓する性格の悪いお局
生理が来ると滅茶苦茶機嫌が悪くなり人前で私を怒鳴りつける女の先輩
機嫌が悪いとゴミ箱を蹴り飛ばす男の上司
陰口 人格否定 パワハラ セクハラ

なんていうか、もうなんでもありだ。書いたらきりがない。
自分がされてるわけじゃなくても横でやられるだけで心臓が痛い。
まるでイジメ現場を見ているような気分で過ごす日々。

新しくできた営業課の後輩は、何か困るといつも私を頼ってきた。
他の人には聞きにくい空気ってことだったんだと思う。
内心怖かった。いつか自分がこの可愛い後輩に
「それ前も教えたんだけど」とか言ってしまう日が来ないか。
私もアイツらに似てきてしまうのではないか。

いい人だった同期の男の子は、ある日突然来なくなり
2か月程経ったある日皆に挨拶にきて、そのまま退職した。
その挨拶中、後ろに立っていた人が言った言葉も覚えている

「忍耐力がねえなあ」と。
本当にそうだろうか?
これが現代かよ…ほんとに…!

それでも日々は続きます。

そんなある日、私の個人メールにとあるメールが届きます。

「あなたの同人作品を見ました。漫画のお仕事をしませんか?」
それは、とある出版会社の編集部の女性からのメールでした。
日に日に自分が駄目人間に思えてきていた私にとって
こんなに嬉しいことはありません。
自分を必要としてくれる人がいる。

※ちなみに、先に言っておくと後々私が漫画家デビューするのは
この出版社からではありません。

しかし、やりたい意思はあるものの、勤務先は政府系金融。
基本的に、兼業は禁止されているようでした。
そのため保留として、唯一信頼を置いていた上司に相談します。
その人は親身になって聞いてくれ、本社にも申請してみると言ってくれました。

結果は

許可できない

というものでした。理由は
そんな暇があったら資格取るなり自己啓発にいそしめ。
そういうことでした。

納得がいかない。
だってやれることは全力でやっていたからです。
取れと言われた資格は欠かさず勉強して取った
先輩方が何年も何年も落ち続けている難しい資格だって通勤時間に勉強して合格してきた
何が不満なんだ。
やることやってるだろ私は。
ふざけんな

…とは言えようはずもなく。
丁寧に断りのメールを入れて、この話はなかったことになりました。

そしてこう思います。
「やっぱり、私には漫画家になる道なんかない。夢は夢のまま。」

そういう日々を送っていくうちにも
どんどん自己肯定感は下がり続けます
朝ご飯は食べられなくなり
毎朝通勤中お腹を下すようになり
ストレスからか出社すると耳の聞こえがわるい。

そして、元々そんなに強くもない心が壊れる日は突然やってきます。
多分、また女の先輩に嫌味を言われたか、何かあったんでしょうね。
夜、残業を終えて帰宅して膝から崩れ落ち床に突っ伏す。

立ち上がれない。

涙が止まらない。


そして母親の前でとうとうこう口走ります

今すぐこの世から消えたい。

自分にはなんの価値もない。


私は元々、結構明るい性格です。根暗でもありますが。
自慢じゃないけど笑顔が素敵だねっていつも言われるし通信簿にもいっつも書かれてました。自慢じゃん!
それくらい、毎日笑顔で過ごしてきました。
人の笑顔が好きでした。
悪い所を責めるより、人のいい所を探して見ようとしてきました。
人には親切に、真面目に生きる。
学生時代はバイト先でもとっても良くしてもらって、
未だに連絡を取り合う程、人が好きで仕事が好きでした。
それがこうなってしまった。

他人が嫌で仕方ない


チクチクと言葉や行動で刺されバカにされ続ける日々で消耗した心は、
「他人を恨むか」「自分が消えるか」「死ぬか」
そういう大きな選択肢しか見えなくなっていました。

生きろバカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

命は大事にしましょうね。

まずは3年 とか 若いうちの苦労は買ってでもしろ とかね。
ないです、そんなもんは。
でも当時の私は真面目ちゃんだったので、
素直にその教えを信じようとしていました。

クソくらえ!!!!!!!!!!!ねえよそんなもん

そんな言葉を信じたせいで、毎日毎日
「今この階段から落ちて怪我すりゃ会社に行かなくて済むんだろうか」
とか考える羽目になった。

どっかの会社辞めてほしくない人が言い出したんじゃないの、これ。
知らんけど。そんくらい納得いかない。
まあ、どうでもいい。

私はそうは思わないとだけ言っておきますからね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


あと、親の前で自分の命を軽んじるようなことを言ってしまったこと、
正直滅茶苦茶後悔しました。(後々謝りました)

床の絨毯にしみ込んでいく涙を情けなく感じながら
母親にこう言いました「会社を辞めたい 限界、つらい」

もしも母がこの時私を否定していたら終わっていたかもしれません。
でも言ってくれました「そうしなさい」と。

もうこうなりゃ勝ちですね。
次の日も一応会社には行ったし仕事もしましたが
私の腹の中にはずっと

「フン テメーらとももうすぐお別れだぜ!!!!」
そういう気持ちがありました。
でもなんていうか、そういう気持ちになると不思議と仕事が楽になってそこから暫く持ち直していたように思います。
あんま覚えてないんですけど。

でもこれは覚えています。
数日間の有給に入る前日の帰り際、嫌なお局と
パートのおばさん 同じ課の十数人ひとりひとりを探して
「明日からお休みを頂きます。何卒よろしくお願いします」
とかいう訳のわからん挨拶(伝統ルール)をしている時でした。

「あ もうこの会社やめよw」

そう思った。なんてすがすがしいんだ。なんやねんこの伝統。ダルいわ。
私は自由だ!!!!!じゃあなお前ら。
お前らが私に押し付けたクソめんどくさい仕事やっといてね!
こんな奴らにいじめられながら生きるより、
自分に仕事しないかって言ってくれた編集さんみたいな人の役に立ちたい。
断ったときでさえ
「残念だけど、またいつか一緒にお仕事がしたい」、
そう言ってくれたあの編集さんのような人と働きたい。

ウンウン!
私の替えなんていくらでもいるもんね!!!!
じゃあ自分にしかできない仕事探すわ!!!!

あばよ!


私はこのまま帰宅し、「やめるわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と家族に宣言。

翌日には飛行機に乗って東京へ行き
ホストクラブでベロベロに酔ってイケメンにお姫様だっこしてもらって帰りのタクシーに乗せられて(※覚えてない)
ホテルのトイレでマーライオンみたいな吐き方をしていました。

いやあ 楽しかったよ!!!

生きるってこういうことだから!!!!皆!!!!!(そうか?)


そんなわけで、少し長めの休みの間、じわじわと調べます。

「🔎退職代行サービス 料金」


もうね。奴らのツラなんか見たくないですから。
代行サービスを使えば制服の返還から諸手続き全て代行の人が間に立ってやってくれることを私は知っていました。
ちなみに法的に問題もありません。
妥当な権利です。

腹を決め、先ほど登場した「唯一信頼していた上司」に電話をかけます。

さあどうなったのか。

へへっ 人生はこうでなくっちゃ!!!!!!!!!!!!


今は心からそう思います。

長くなってきたので次回に続く!


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