新たな「花譜」と新たな「廻花」

はじめに

 この記事にはオタクの個人的お気持ち表明が多分に含まれます。予めご注意のうえ、それでもよろしいというたいへん奇特な方は、続きをご覧ください。

花譜 4th ONE-MAN LIVE 「怪歌」

 前回のワンマンライブである「不可解参(想)」から約10か月ぶり、現地開催のワンマンライブとして武道館で行われた「不可解(狂)」から実に1年と5か月ぶりの開催となります。
 声出し可能のワンマンライブとしてはあの伝説的なライブ、無印の「不可解」以来となり、観測者が待ちに待ったワンマンライブといえます。
 ライブの内容も、非常に満足のいくものだったと言って差し支えないでしょう。カンザキイオリ氏が生み出した大切な曲の数々はもちろんのこと、賛否両論のあったゲストとのコラボレーションも、ワンマンライブをよりよいものへと昇華するための大きな助けとなったと思います。
 これまた否定的な意見の多いVH花譜も、新たな演出の提示として私は捉えました。「攻めたライブ」の真骨頂がそこにありました。

「廻花」の開花、その衝撃

 さて、本題に入りましょう。4th ONE-MAN LIVE 「怪歌」にてあらたな存在が生まれました。その名は「廻花」、「花譜」から生まれ落ち、「花譜」であって「花譜」ではないもの。
 まさに、まさに「衝撃」でした。廻花がステージに現れた際のそのどよめき。畢生忘れられない一幕でしょう。
 いつか来るかもしれないとは心のどこかで悟っていたこと。しかし、正直私は最初に「困惑」の感情を抱きました。この感情は終演まで尾を引き、私の思考を引きずるものでした。

「廻花」の捉えかた

 観測者のみなさんの多くが懸念していること、それは「花譜」という存在の"揺らぎ"でしょう。
 「廻花」という存在は簡単に言い放ってしまえばVTuberの「魂」あるいは「中の人」と形容できるものです。神椿的には「オリジン」と呼ばれる存在です。
 VTuber界隈においては、基本的に「中の人」についてオープンな場で言及するのは御法度とされています(近年はそういった不文律は崩壊しつつあるようにも思える)。
 バーチャルシンガー「花譜」のワンマンライブにおいて「廻花」が登場したのは、まさしく「パーソン」と「ペルソナ」の急接近であり、VTuberの従来の在り方を大きく揺るがすものでした。
 廻花が現れたとき、観測した者たちは新たな存在に対する歓喜の「予感」と、花譜の存在価値や今後の活動への「不安」を感じたことでしょう。
 では我々は「花譜」と「廻花」、これらの存在と関係性についてどのように捉えればいいのでしょうか。ここからは私独自の解釈を述べさせていただきます。
 まず、そもそも「花譜」には二つの側面があると考えます。にほんのどこかにいる、歌を歌うのが好きな一人の少女、女性としての「花譜」と、作詞者や作曲者、デザイナーにプロデューサー、クリエイターなど多くのコンポーザーの協力によって形作られる、集合的な概念としての「花譜」です。
 「花譜」という存在は、「花譜」ひとりのみによって成立するものではありません。まだ何者でもなかった少女という才能の原石を見つけ出し、「花譜」を誕生させたPIEDPIPER氏、そうしてデビューした花譜を二人三脚で支え続けた花譜のマネージャーさん、花譜のメインコンポーザーとして花譜に数々の歌を与えた、花譜の半身とも言えるカンザキイオリ氏、花譜の「キャラクター」を生み出したPALOW.氏、共に並び立つ仲間である「魔女」の面々など、花譜に携わる全てがバーチャルシンガー「花譜」というプロジェクトを形成しているのです。
 そして「廻花」とは、そんな一人の少女が「花譜」というプロジェクトを通じて得た経験を、「花譜」というフィルターを通して、自らのより内なるものを外部へ出力するための新たな「表現形態」だと言えます。
 「廻花」は決して「花譜」の存在を揺るがすものではなく、表裏一体で一心同体の関係性であり、「花譜」ひいてはバーチャルシンガーの域を逸脱しない、彼女の「自由」をさらに広げるための新たな「花譜」の在り方なのです。
 私は比較的早く「廻花」を定義できましたが、すぐには受け入れられなかった方も多くいたと思います。この違いについては、Xなどにおいてすでに言及されている人もいましたが、花譜を「バーチャルの」アーティストとして捉えていたか、一人の「少女」として見ていたか動画の違いであると思います。
 花譜のアイデンティティは、バーチャルの肉体のみに宿るものではありません。花譜が花譜である由縁は、「声」に「動作」に、「言葉」に「意思」に、等身大の彼女が世界に映し出す全てが彼女のアイデンティティなのです。
 「花譜」は「廻花」であり、「廻花」は「花譜」であることは、『かいか』で彼女が歌い上げたように、誰にも否定することのできない、彼女の魂の「存在証明」なのです。

最後に

 さて、このような長ったらしい駄文を最後まで呼んでくださった方はいるのでしょうか。いや、いない(反語)。しかしこれこそ自己満足の極致、「創作」なのではないでしょうか。
 昨年12月に20歳を迎えた花譜。彼女はこれからも「音楽」に真摯に向き合い続け、ますます成長していくことでしょう。
 また、「廻花」の誕生によって、活躍の場はさらに広がり、いずれ「バーチャル」と「世間」の壁を破壊するアーティストとなるでしょう。
 そんな早足で駆けていく彼女と彼女が生み出していく歌に置いていかれないように、我々観測者も進み続けていかなくてはなりません。


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