性同一性障害とイマジナリーフレンド

たまにはきちんとテキストを書こう。
Twitterでの連ツイに慣れて、つい短文をばらまくのが癖になっている。

昔の話だ。私が、自分が性同一性障害だと気付く前に、どうやって違和を処理していたかという話。

結論から言うと、イマジナリーフレンドとして捉えていた。

実は今でも、この身体は双子の姉のもので、自分は双子の弟なのだ、という感覚は僅かに残っている。昏睡状態の姉を看護しているような、姉の介助をしているような。どうみても見下ろす身体はそれに連なる一人称視点だいうのは理解しているのだが。私は一人っ子だというのもよく理解しているのだが。
認識身体と物理身体が大きくかけ離れてしまうと、勝手に補完されてしまういい例だ。最近だとヘッドマウントディスプレイでのVRとか。

そう、私は双子の弟だった。いや、姉だった、と言うべきだろうか。今を基準にすれば、弟でいいのだけれど。会話をしたことはなかったが、ずっと一緒に過ごしていた。そこにいて当たり前の存在で、疑うことも気にかけることもしなかった。

普通イマジナリーフレンドは会話できるらしい。イマジナリーフレンド、という言葉だけ小さい頃に知って、勝手にそれだと(無意識に)思い込んでいただけなのだから、しかたないが。

で、高校受験のシーズン辺りになって、周囲がやれ模試だ内申だ偏差値だと騒いでいる中、姉が消えた。そのことに気付いたのは、模試の用紙に名前なんかを書いているとき、性別欄の女に丸をつけて、「?」となったことだ。このときに初めて弟の自分が身体を動かしていることに気がついた。

もちろん、実際は私は弟ではなく、単に性自認に気付いただけなのだが、当時の私の中での処理は上記の通りになった。
そして当時は性同一性障害という言葉を知ってはいても、自分と重ねてみることなどしなかった。これは前に書いた、「心の性別」という表現のクソっぷりに起因するのだが、前に書いたからこの話は飛ばそうか、うん。

で、中学3年、14歳のときに気付き始めて、気付き終わったのが18歳だ。そして19歳の今でも気付き切れてはいないから根が深い。
まあ、シスジェンダーの人は生涯気付かないのだろうから、時間はかかって当然なのだろう。

そう、中学3年で姉がいなくなってしまったのだ。それでも私はそのまま、流れるように流されるように、高校を受験し、合格し、入学し、通学してしまった。
そしてまあ、姉のふりなんてそう長く続くわけがなく、たちまち不登校になった。

それから自室に引き篭もって、とにかくこの訳の分からない現状を整理しようとした。そして、寝ても覚めてもいろいろなことを考え続けて、いろいろなことに気が付いていった。
ちなみに、無意識のイマジナリーフレンドに気が付いたのは16歳頃で、その辺りの日記を読むとなかなかおもしろい。恥ずかしいので挙げないが。
そして、そのイマジナリーフレンドの正体が性同一性障害であると確信したのが18歳、というわけだ。

いやあー、本当に不登校になったときは訳が分からなかった。母に心療内科に連れて行かれ、そこで語る言葉を持たなかった私に「言わなきゃ分からない」とイライラした口調で言い放ったカウンセラーさんのこの言葉は、今もよく覚えている。
それを聞かされたそのときは、そりゃもう怒りと悲しみの入り混じった感情が爆発したものだが、数週間して怒りは収まらないものの、たしかにその通りなのだ、言語化しなくてはならないのだ、という気持ちになった。結果ここまで来られたのだ。

でもせめてもうほんのちょっと優しく言って欲しかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?