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私がいわきFCを応援するまでの話。


私といわきFCの出会いは2017年...。

いわきFCが天皇杯2回戦でコンサドーレ札幌にジャイアントキリングをしたことで、ついに生まれ故郷のいわき市に、応援できるスポーツチームができていたということを知りました。2013年に上京して以来ペットがいるのを言い訳に一度もいわきに帰省していなかった私は、2017年当時、その存在を知る由もなかったのです。

完全なるミーハー心ですが、天皇杯の話題になるようなチームができていたことがとにかく嬉しくて、当時、ちょうど20代最後の夏でいろいろやってみようというモードだったもので、半ば勢いで休みをとり、一人、できたてのバスタ新宿から高速バスに乗り、日本平での天皇杯3回戦を観に行ったのでした。それからひっそりと、サポーターを名乗っています。

まず、私がサッカーを見るようになったのは、2002年ワールドカップ、14歳の時でした。
福島にはJヴィレッジをキャンプ地として、ヴェロンやバティストゥータらを擁するスーパースター軍団アルゼンチン代表が来ており、平の街中にも歓迎の旗やプランターが並んだり一部では盛り上がっていました。
当時、剣道以外のスポーツは何もできないし興味もなかった私は、サッカー少年団に入っていた小6の弟にたまたまオフサイドを習いました。思えば弟に何かを教えてもらったのはこれがはじめてだったのかもしれません。私の出身小学校はサッカーが盛んだったのですが、中学校にはサッカー部がなかったので、サッカーはあまり身近なものではなくなっていたのです。そして習いたてのルールをもとに弟と一緒にサッカーを見ていたのですが、日本代表のW杯直前親善試合のスウェーデン戦で、リュングベリに一目惚れをしたことで、積極的にサッカーを観るようになりました。その親善試合自体はあまりパッとしない引き分けの試合だったのですが、赤いモヒカンで一人気を吐いてガツガツ攻める彼を見てなんだか一生懸命で面白い選手がいるなと思ったのでした。

その後他県の高専に進学し、寮の自室にテレビがなく、三年間はサッカーを見る事もなかったのですが、行った場所が宮城県で、当時J1に上がりたてのベガルタ仙台や、できたての楽天イーグルス、できたてのbjリーグの87ers、1歳年上のダルビッシュ選手の東北高校が甲子園で準優勝したりと、何かとスポーツで新しい動きがあり、盛り上がる仙台の街を羨ましく思う気持ちを、いつもなんとなく感じていたのでした。

そしてかくかくしかじかで高専を中退し福島に出戻った2006年、ドイツW杯の年です。この時はJヴィレッジに日本代表が合宿に来たことで、浜通りはなかなか盛り上がっており、バイト先のマダムたちがツネ様の写真を撮って来た!なんて見せてくれたりもしました。では、日韓で気に入った選手たちは一体どうしているのかと、思い出したようにスウェーデン代表を中心に全試合見てみました。

クラブは出入りがあるし、お金でいい選手を集められるわけですが、そうもいかないナショナルチームの試合に面白みを見出した私は、これ以降のW杯とEUROはまるで意地のように全試合見ています。(元来の凝り性と、女子がサッカー好きってただのイケメン好きでしょって思われるのも、若くてトンガっていた頃なので悔しかっただけかもしれないですが、全部見てるからこそ、新しく好きな選手が見つかったり、新しく応援したり注目する国が見つかったりするものだと思っています。)

当時のスウェーデンは優勝候補ではなかったのですが、ラーションとリュングベリにさらにイブラヒモビッチが入るなんて!もしかしたら何か起きるんじゃないか?
みたいな、当時の最強スペインみたいなチームではないし、クリスティアーノロナウドやメッシみたいな宇宙人級でさえ一人では勝てないけど、この三人がいて、なんらかのケミストリーが起きたら、ひょっとしてひょっとするんじゃないか?みたいな、ジャイキリしそうでしなそうなチームが好みで、(例えばドログバとトゥーレ兄弟がいた頃のコートジボワールとかも見てました。)2008年のEUROではナショナルチームとしては現在に到るまで一番推しているクロアチア代表を見つけます。とくにこの年ののユーロは、オシム元監督がWOWOWの解説をしていたことで、かなり楽しく観戦できた大会でした。

今思えばサッカーが好きなのに地元に応援するチームがない気持ちを、ナショナルチームの試合を見ることに当てていたのかもしれないですね。余談ですが、10年間クロアチアがいいって言い続けてきたら、ついにW杯で準優勝してくれるし、好きなチームが(自分にとっては)10年かかって陽の目を見たというか、勝ち上がっていくというのは本当に最高の気持ちで、好きな人たちが勝つって自分もこんなに嬉しいんだっていうのを再確認しました。

そんなわけで、サッカーが好きだけど実はスタジアムに行ったことはない、という中途半端なおうちサッカーファンとも言える私が、最初にサッカースタジアムで見た試合が、前述のいわきFC対清水エスパルスの天皇杯3回戦だったわけです。

アラサー女子の私にとって、たった一人で他県のスタジアムにサッカーを見に行く、というのは、これは、とても大きな一歩でした。清水といえば、一瞬リュングベリが在籍したこともあり、在籍している間に見に行かなかったという後悔も私の背中を押しました。

今思えば、スタジアムデビューが清水戦のあの試合だったということは、本当に本当に良かったと思っています。

清水で体感した、Jリーグのチームがあるのが当たり前の街の風景というのは、憧れそのものという感じでした。オレンジ色で満員のシャトルバスに恐る恐る乗り込み、(一人だけ堂々といわきFCのユニを来たおじさまがバスに乗ってこられて、めちゃめちゃ心強かった。)バスから外を眺めていると、スタジアムに向かって楽しそうに歩いていくオレンジ色の人々がたくさん見えました。

清水さんの陽気なサンバのチャントといわきを思い出す浜風も相まって未だに節々で思い出す原体験となっています。


サポーターがゴール裏に集まると言うことさえいまいち分かってなかった私は、アウェー用のメインスタンドで見ていたのですが、逆にその選択で、現地で見るサッカーというものはカテゴリに関係なく、ものすごく迫力があるんだ!ということを思い知ります。

試合は負けたものの、終了後は清水の選手が芝に寝転がざるをえないほどハードワークさせたいわきfcの躍動は、初見だというのになぜか誇らしく、清水サポーターの方がいわきのコールをしてくれた優しさに感動し、最高のスタジアム観戦デビューとなったのでした。


ここまでを2019年、JFLに昇格が決まった時の勢いで書いてなんだか恥ずかしくてオチをつけることができずに、長いこと寝かしていました。
何歳になっても、女性でも、1人でも、新しいなにかを見に行くのは楽しいよ!的なことを伝えたくて書いたような気がします。


清水戦で試合観戦デビューし、気持ちはほっかほかになったものの、運転免許を持っていない、当時まだ土日仕事の職についていた私には、なかなか追いかけづらい東北リーグの2年間。結果を見守るばかりの辛抱の日々でした。
天皇杯や地域CLなんかをなんとかちょこちょこ見に行って、さてさてやっと全国リーグにやってきた!現地に行くぞー!!と意気込んだ矢先にコロナ禍がやってきて、さらに辛抱の2年間を過ごすことになります。そんな中でも感染症の流行の合間を縫って見に行った数試合はとても楽しいものでした。

そしてこの作文を出す出さない、私なんかがしゃしゃって語るには早いと、モジモジしていた3年間の間に、私の応援するチームはついにJリーグにやってきました。

Jリーグ1年生の彼らは前半戦を首位ターン。
ここまでうまく行くほど甘くはないと思っていたけれど、もしかしたら彼らならやれるかもしれない。きっとサポーターみんなそう思っていたんじゃないでしょうか。そういう可能性を感じさせてくれるチームです。

私がサッカーを見始めた2002年W杯から20年経ちました。いわきには何もない、文化がない。ずっとそう言われて育ちました。決して嫌いというわけではなかったけど、自虐的な雰囲気がだるくていわきを出た15歳の私に、いわきFCができたことを教えたらとってもびっくりするだろうな。

わたしがいわきで過ごしたのは、22/34年。自分の田舎を全肯定できるほど、正直まだいわきのことをわかってないと思います。でも気候とか味付けとか体に染み付いた肌なじみのようなものはやはりいわきにあって、全肯定できなくったって、いわきFCとかハマドリちゃんとか、大好きって思えるものが田舎に一個でもあるのって、なんだか心強かったり、居心地が良かったり。帰る理由があるって結構いいものです。


長々と3年かけて自分語りをしてしまいましたが、結論としては、サッカーを見るのが好きだし、いわきFCが好きだし、ハマドリちゃんはかわいいってことです。


増長な文章でしたが、女子中学生がおばさんになってしまうくらい首を長くして待っていた、地元のチームと出会うまでのお話でした。

サッカーの試合は一期一会。2度と同じ試合なんて見れません。その1試合を大切にこれからもずーーーっと楽しんで行けたらと思います。

なんとなく、改めて、よろしくお願いします!


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