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大学生に話しまくって気づいた自分の性質

今日村・留学の広報のため恩師の杉岡先生のご厚意で福知山公立大学で地方自治論の前座で3分話をさせてもらったのと、2回生ゼミ3回生ゼミでめちゃくちゃ時間を作ってもらってたくさん大学生に話をたくさん聞いてもらいました〜🎉
(杉岡先生、受講生、ゼミ生の皆様、貴重なお時間をありがとうございました✨)

なんで幾億光年ぶりにnoteを書いたかと言うと、せっかくの機会をもらったのにうまく話せなかったのと、真剣に聞いてくださったみんなのおかげで新しい学びを得たのと、村・留学の広報をしたいから露出度を高めたいからです!(一つの理由だけでは怠惰な私はきっと動けませんでした😂)

ということで、以下、今日ゼミで話した私なりにこれを大事にして生きればいいって大学生の時に教えて欲しかった〜!の気づきと補足です。(なお、これ以外にも補足したいことたくさんある気がするのでまたnote更新するかもです。。。予私のやる気にかかってます。。。😆)

私めちゃくちゃ怖がり故に、頭でっかちで考えすぎて選択する際に自分で納得しないと選べない性質があることに今日気づきました!!!(新しい自分の学び!!!)

気づいたきっかけは、質疑応答しながらなんかみんな私のことめちゃくちゃやりたいことが初めからあった人間であるかのように質問してくるな…!と思ったんです。私もともと感情薄いし、好きとか嫌いとかあんまりない人間です!!!(だからこそ今日話したことを言語化できるんです😂)

小さい頃からある性質とすれば、本当に怖がりであるという性質です。たぶんそこから派生して、そもそもなんでなの?みたいな思考の癖がなぜか小さい頃からありまして。
選択を迫られるとそもそも何故今このタイミングで選択しなくちゃいけないんだろう?とか、この選択肢の設定であってる?とかを考えちゃう人間なんです。これは私の性質なのかもしれない。

選択の基準はやりがいとか自分に向いてるかとかまで明確じゃなくても良いと思っていて、、、(というか、そもそも行動する前から何がしたいとか何が得意とか何が好きとか余程本能的に生きてる人間or余程自己理解が進んでる人間じゃないとわからないと思う!)

なので、その選択の基準なんて自分が納得できるのであればなんでもいいと思っていて。

例えば仕事を決める(バイトを決める)とかでも、家から近いからとか、実家から通えるからとか、自分が満足のいく暮らしに必要な金額稼げるから。なんとなく惹かれるから。とか本当になんでも良いと思う!

ただ親が賛成したから(反対したから)、先生が賛成したから(反対したから)、尊敬してる人が言ってたから、とかで選ぶとその道で挫折した時に自分に責任を持ってきにくくなって身動きが取れなくなる気がしてます。

親・先生・尊敬してる人の意見を取り入れるにしても、私が〇〇に相談して、その意見に納得したからそうしよう!は全然アリだとも思う!(ニュアンスの違い伝わるのか…!)

自分というフィルターを通して選んだかどうかでその道を進んだ先で、主体的になれるかどうかが違ってくる気がするのです。(自分の人生に主体的じゃないってどんな状況だよ〜!ってツッコミいれたくなっちゃった!)

例えば家から近いところがいいと思って選んだけど近すぎると仕事とプライベートの頭の切り替えが出来なかった!→自分には20分程度の通勤の時間が最適だ!ってなるかもしれない。
(そうなったら次選ぶときは、20分程度の通勤で済むところに次は転職するか!or20分程度の通勤で済むところで一人暮らしするか!とかの選択の基準が細かくなってより幸せな暮らしに近づく〜!)

長々と書いちゃったけど、その自分の価値基準はその人それぞれだからなんでもいいと思います!でもその自分を幸せにするための基準は自分にしかわからないから、違和感とか心地よさとかをヒントに自分が幸せになれる判断基準探しながら生きていこうぜ〜って話をしたかったのでした!!!

すごく拙い話を真剣に聞いてくださった皆さんありがとうございました。
私も今日の時間を経てより学びが深まりました〜✨✨

お互いにいい未来を選んでいきましょう〜!お〜!!!

ちなみに、今回は村・留学に興味がない大学生にも刺さるよう私なりの幸せへの到達の仕方を話させてもらいましたー!
私がどんな選択基準で久多に暮らしているかは村・留学期間中のサスティナブル講義でお話できればともったいぶって終わります😎
https://mura-ryugaku.com/distinations/kuta-summer24/


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