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これから先問われるデジタルとアナログの使い分け

久しぶりに手書きで手紙を書いた。機械的に決められたフォント、文字の大きさ、濃さ、並びで書かれた字とは違って、私の字はパーツが整っていなくてあまりにブサイクである。けれど、やっぱり自分らしくて憎めない。手紙を入れる封筒には慣れないデコレーションなんかもして、手作り感満載の手紙が出来上がった。これが他愛ない日常の連絡であれば時間の無駄と言われてしまうだろうが、そうではない大事な時のメッセージであれば、受け取る側もきっとその方が喜んでくれるに違いない。“無駄な時間”が私とその人たちにとって一生の思い出になるからだ。

手紙を書き終えてから考えたのは、デジタルとアナログの使い分けについてである。デジタルは空間を超越するが、それゆえそこに存在する一つひとつの情報の価値を希薄化する。仮に私がパソコンで書いた手紙をメールで送ったら、それは情報の海に沈んでほんの数ヶ月で忘れ去られるだろう。一方、アナログは空間を制限するが、各々が物体として存在することによって私たちに様々な想像力を働かせる。きっと彼らは手紙を読んだ時に私の準備時間を想像して「似合わないことをしたな(笑)」と心の中で微笑む。そして、時が経ってもふとそれが目に入るだけで自然と当時の思い出が想起される。

ビットコインが登場したことによって、最近では世界的にデジタル通貨の可能性が見直されているが、上述したことはお金にも当てはまる。お金が完全にデジタル化してしまえば、グローバルレベルでお金の移動は楽になるが、おそらく私たちはお金の価値を見失うだろう。数値化されたお金はたとえそれが赤字残高であっても身体的に実感が湧かないのだ。逆に、アナログなお金すなわち現金が重んじられる場面は、私たちの日常を振り返っても確かに存在する。年に一度のお年玉やご祝儀、お布施等々総じて思い出に残る特別な時である。また、現金は言語に並んで国や地域の文化、歴史を表す顔としての役割も持っている。

デジタル化が進む今日、アナログの価値があらゆる場面で再評価されている。デジタルノンネイティブ世代はデジタルを好み、デジタルネイティブ世代はアナログを好み、両者が交わることによって今後デジタルとアナログそれぞれの使い分けがより明確化されていくだろう。個人、企業を問わず、どちらか一方を盲信してはならない。これらはあくまで手段にすぎず、自身の目的を果たす上でどちらが最適かを考えることが極めて重要と言える。今回手書きの手紙を選んだのは、思い出として相手の心に深くそして長く刻みたいと思ったからだ。まだ手紙を渡せていないが、私の日頃の感謝がストレートに伝わることを願っている。

#デジタル #アナログ

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