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"今は干からびるまで泣いて良い"


そう言ってくれたのは、わたしを大切だと言ってくれる人だった。





友人が死んだ。

一緒にスノボ行ったじゃん。あの子の誕生日一緒に祝ったじゃん。ぜんぶわたしが、本当に大好きな人たちだけを呼んで幹事した会でさ。雪山の中に誰かが投げ捨てたゴミ袋をわたしたちの荷物だと勘違いして大騒ぎして、結局ただのゴミだったオチでシラフでゲラゲラと、夜中でもないのにお腹千切れるくらい笑ったじゃん。
サシで日本酒いろいろ巡ってさ、酔っ払いながら二人で色々試してさ、トイレが和式のおじさん臭い居酒屋に下町の趣を見出してワクワクして通ったりさ。ちょっとレアな日本酒のパッケージ「可愛い〜」ってよくわかりもしないのに写真撮って、わたしあの絵ちゃんと覚えてるよ。



元気でいますか?
大事な人はできましたか?
いつか夢は叶いますか?

わたし、この曲ずっと知らなかったんだけど、2016年の月9の主題歌だったのだね。なんて良い曲なんだ。

泣いちゃうわこんなの。無理。



"人生色々やなことあるけどさ、助け合って生きていこうな。こうやって吐き出せる人がいれば、人生どうにかなる。距離は離れてもずっともだよ"

"しんどいことをしんどいね、って言い合えるのが、共に暮らす、ってことなんだと思うわ"


これもまた、別の友人たちがかけてくれた言葉。
わたしは友人が少ないと思っていたけど、こんなに人間関係に恵まれていることに気付いてまた別の意味で涙が出たりして。

なんなんだろね、ほんとに。


3.11のときのどなたかのTwitterの言葉を引用する。
これは今年の能登半島地震でわたしが3日ほどごはんを食べられくなった際に見つけた言葉。

緊急時に、何もしないことが最良でありうることを認め、何もできないことを受け止め、何かした気になることを戒め、何かしないと不安になる気持ちと戦うことの別名を、祈ると呼ぶ。僕は宗教者ではないけど、今回ほど祈ることの意味について考えたことはない。



ごめんね。
訃報を聞いてから何度もあなたのことを書き落としたけど、それでもしんどくて。
供養になんかならないけどもう一度言葉にさせて。


わたしを大切と言ってくれる人がいる限りは生きていなくちゃと思う。
だって大切な人が死んだら人はこんなに悲しむの。

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