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日記

私は、私が私の持つ力でこの世界の人たちが助かればいいのにと思っている。

幼い頃から不思議だったことがある。
どうして、学校はそれぞれの特性を考えて対応しないのかなって。
私が学生だったころは、まだそういう対応は主流じゃなかったから仕方がないのかもしれないけど。
だから、大好きな美術と同じくらいに教育の勉強がしたかった。


教育の世界は、多様性に疎くて、人権がないと思ったのは、一昨年行った教育実習だった。

担当してくれた先生は、子供のことを1番に考える本当に素晴らしい先生だったけど、中学の時の大好きだった恩師にも会えてよかったけど。
でも、空気感が私のことを拒否しているような気がした。
何かから外れたときに見られる、ちくちくした視線ばっかりで見られていた。

大学で勉強した、多様性を伸ばすような生徒への対応とは真逆の空気で、本当に悲しかった。
学生のときの悲しかった私のような子たちを救えれば、と思っていた。
でも、救うにはその場所に受け入れてもらわなければいけないんだな。
多様性なんかなにもなくて、普通という価値観でしか動けない人間しかいない。
それが学校の先生なんだなと思って、悲しかった。
それは、1年間教員として精一杯働いた私が1番に思っている。

私は、先生と呼ばれるべき人間ではない。
昼からお酒を呑んだり、ぼーっとゲームをしたりする、美術と多様な価値に面白さを感じる、ただの人間。
でも、そんな私の持つ力なら誰かを救えるんじゃないかって思う。
生徒たちが1番に輝けて、楽しく、それでいて学び、考える場所を提供できると思う。
そのために徹夜をして考えることは苦しかったけど、試行錯誤するたびに、彼らが笑い、多様な価値に触れ、考え、それを制作へ転化させていくのを肌で感じたのが、本当に楽しかった。

毎日、毎日、私に関わる人たちが救われればいいと思って先生をしてた。
だから、髪の毛を青く染めたよ。
多様な価値に触れて欲しいし、それを知った上で学ぶべきことがこの世界にはたくさんあると思っている。
だから、そんな私の教育観はやっぱり変わらないよ。
後悔もしてない。
生徒にとっていい先生は生徒が決めればいいと思う。
私がいいと思う子にとってはよかっただろうし、嫌な子にとっては嫌だっただろうし。
その価値をまるごと含めて受け取ることが、人間として生きるための責任だと思うから。


本当に、尊くて楽しかった。
でも。
もっともっと、10年20年先を生きる彼らへ、美術を通じた学びを提供をしたかった。
それだけが、悔しい。

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