一口でも、残していい。胃の健康の方が礼儀より大事。

大人になってからも外食時に、少しだけ残すという事ができずにいた。でも、満腹は突然やってくる。
あともう数口前に気付いていたら、まとめて残せたのに。あと3口では残せない。そう思ってがんばって食べては、後で胃もたれに苦しんでいた。

でもある時、ご高齢の方がレストランでお店の人に「ごめんなさいね。あと一口入らなくって」と言う声が聞こえてきた。
そうか、一口でも残していいんだ。

「少しぐらい残すのは無作法な事だ」というのは、胃が丈夫な人の作ったマナーだ。胃が丈夫ではない人にとっては、少しでも、苦しい。辛い。だったらそんな決まりなんか、捨てればいい。少しでも残していいし、お店の人にどう思われたとしても気にしなくていい。(たぶんどうも思われない事が多いだろうし。)

それ以降もなんどか失敗している。
・無意識のうちに、「あと2口だから食べてしまおう」という意識が働いしてしまう。
・食べるというのは快感でもあるので、「食べよう」という方向に気持ちが傾きがちになる。
・現状を維持しようとする「現状維持バイアス」が働く。
そうして後で苦しくなってから、「残して良かったんだ」と反省する。次こそはこういう時に、「今すぐ残そう」と自分に強く語り掛けて、失敗しないでいたい。自分の習慣を捨てるべく、がんばってみよう。

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ここから下は自己満足のための余談なのだが、こうなった背景には、母から耳にタコができるほどに言われてきた言葉の影響があるように思う。
私は子どもの頃から食が細かった。「おごちそうさまでした」と言うとよく母から、「それぐらい食べられるでしょう。食べてしまいなさい」と言われた。
どうしても無理な時は断ったが、そうすると母から不満そうな顔をされる。それは無意識に、言われる側にとっては負担になる。断るという行為には、結構エネルギーが必要なのだ。だから食べる方向に心が傾く。食べ終わった直後の満腹感というのはあやふやなものなので、がんばれば食べられそうに思えてしまい、仕方なく食べる事もあった。その後苦しんだのか、もはや覚えていない。でもたぶん、食べ過ぎでしんどくなったんじゃないかな。

今思えば、がんばって食べる必要など一切なかった。
私が食べる事で母は、「娘は「おごちそうさまでした」と言っていても、実際には言えばもっと食べられる」と悪い方向に学習してしまったのだろう。母なりに私の事を思って、「もっと食べなければ体に悪い」という心配があったのだろうが、正直、迷惑だった。

今の私なら的確に言い返せる。
「私の体の事を勝手に決めないで」
「もう無理だからこそ「おごちそうさまでした」って言ってるのに、もっと食べろと言われて困っている。私が胃もたれで苦しくなってもいいとは思ってないでしょう?それならもう言わないでほしい」

その都度断っていても、たまにでも食べる時があれば母は「言えば食べるかも」と期待してしまうだろう。だから、断固としてこう言えば良かった。

ただ、当時はそこまでの洞察力や表現力を持ち合わせていなかった。あの頃の自分を責めなくていい。年齢を重ねてこそできるようになることもある。実家を出て、母と離れて、それまでの習慣から離れたからこそ、言えるようになることもある。従順に育ってきた自分に、そこで的確に切り込む力がなかったのも仕方がない。

母は「これぐらいは食べなければ」という観念が強かったのだろう。多いと言われたから次は少なめに、というような反応はできないタイプだったようだ。品数も多すぎたので、どういう順番で食べたら、すべてのお皿に少しずつ残る状態を回避できるだろうかと、考えながら食べる事もよくあった。結構ストレスだったので、もっと早くに品数を減らしてほしいと言えば良かった(言っていたのに減らなかった可能性もあるが)。

少しずつ残す事で何か言われたかどうかは覚えていないが、もし言われても「これだけ品数が多くて、少しずつ残すのはダメだと言われても、それは無理だ」と言えばいい。

その後、「品数が多すぎるので、今後は2品減らしてほしい」のように具体的に言って、やっと品数が減ったように記憶している。できる限りの努力をする人なので、「沢山並べなければ」という観念が強かったのだろうと思う。

母となぜかうまく行かなかった時って、母の「こうあらねばならない」が狭かった事が背景にある事が多かったなぁ…と思う。

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