相手に合わせようとしなくていい


私はとても従順な性格だった。

学生時代は、真面目でおとなしかった。今はどうかわからないけれど、’80年代、’90年代の学校は、真面目でおとなしくて意見を言わない生徒が褒められる世界だったので、その状況に適応していたのかもしれない。そんな性格のまま社会人になってしまったので、まぁ苦労した。

相手に合わせようとするので、相手に異論を言おうと思いつかなかった。

そのせいで、言うべきことを言えなくて辛い思いをすることもよくあった。カウンセラーさんから「相手から受け入れられなくていいのだ」という言葉をもらって、それからだんだん、自分の意見を言いやすくなっていった。言い始めたら、言うのが当たり前になった。むしろ昔の自分を思い出すと、「え?なんでそんなことも言わないの?」と思うぐらいになった。

生まれつきの性格や、育った環境で、その人が無意識に自然の取る行動は違う。小さい頃から思った事を口にするのが当たり前だった人から見たら、「なんで言えないの?言えばいいじゃん」と思われるだろう。
「相手に合わせるのがデフォルト」の状態の時には、それが言っていい事だという事に、そもそも気付けないのだ。

「相手に合わせようとする気持ちを捨てて、言いたい事を、相手に配慮した上で言う」という状況に変わって、本当に生きやすくなった。

ひどい上司や同僚に出会っても、これからはおかしいものはおかしいと言える。それは、今後を生きていく上での大きな自信になった。

従順だった時、私にとって、「相手から不快感を示される」という事は、あってはならない事だったのだと思う。本当に無意識で、言語化されていないのだけに、その感覚がそもそもおかしいと気付けなかった。
相手が不快感を示すのは、相手が望んでいる通りの行動をこちらが取らなかったから、という事が多い。そこで従順でいれば、相手は気分よく過ごす。
でも、そもそも相手の望み通りにふるまう必要はないのだ。一人ひとり、良いと思う事は違う。自分が良いと思う事を言って、相手が不快そうでも構わない。相手にとって都合の良い人の方が、便利だろうが、自分が「便利に使える道具」になってあげる必要はないのだ。

もちろん、相手の意見を尊重して、ものの言い方には配慮する。それをしないでただ強気に意見を言うだけの人もいるけれど、そういう人がいると周囲にとっては迷惑だ。反論してもどうせこの人に強気で押し切られて嫌な思いをすると思うと、意見も出なくなるし、何より、不快な環境になってしまう。(職場にそういう人がいて、いつもきつい言葉で押し切られるので、本人のいない所では多くの人が苦笑している。)
そうした配慮はした上で、相手の不快感は、相手の問題として、自分とは切り離す。

意見を言えば、反論があるのは当たり前。それを前提にして、話し合ってより良い方法を見つけて行けばいい。一

度言い出してみると、案外うまく行くことも多くて、次からの意見を言うハードルがぐっと下がって、生きやすくなる。大人しかった若い頃の私に、教えてあげたい。


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