好きな曲繋がりで、もう一つ

亡くなった「大切な誰か」が主軸になっている好きな曲は以下の4つ。

「1万回ダメだって、1万1回目がある。 明日がその1万1回目かもしれない。」

↑↑これは、闘病中の座右の銘のことが多い。

話はガラっと変わります。誰か大切な人が亡くなった時、それを癒す言葉や行動はそうそうない。ただただ、いつものあの場所で、逆に会ったこともない他人に囲まれて、ラジオの音楽が流れるガヤガヤした雰囲気の中で、理解不能なその事象が事実だと、安全な環境で時間差で脳が認識するのを待つくらいしかできない? のだろうか。これは、4つ目の曲と実体験からのふとした考え。

根本的には、私も長生きして、色々やりたい。

まぁね、最近、たぶん私自身は諦めてて、あとは好きなことして楽しんで、幸せな思い出を作れたら、その後はもう天命に任せようと思ったり、その素敵な「思い出」が踏ん張る力になって欲しいと願ったり。実際は、その素敵な出来事を生存にしがみつく柱にしたい、それが作れないと、もう無理……という過酷な感じで耐え忍び、サバイブして、いずれ再び窮地から這い出る、みたいな?

しかし、心のどこかでは、もしも向かう先が変えられないのならば、苦痛が最も少なくて速い道を、と、望まぬそれがせめて最小限の苦痛のことをどこか望んで、ちょっと投げやりな感じに高望みしないことに徹しつつ、それでも最善のアウトカムに賭けたいと願った時もあったりね。

神様の「奇跡的治癒」って、3通りあると思っている。これは本音。

① その名の通りの「病気平癒」
② 病気ないし怪我はそのままでも、それが空気くらい当たり前になって、共存が当たり前すぎて、日常としては「普通」で、取るに足らない事象となること。(平癒と心境は同じ?)
③ 天国という楽園に行く

皆が「完治」や「病気平癒」と祈る時、きっと①を心から願っていることだろう。

しかし、人類史、いや、世界が始まって、未だ嘗て(いまだかつて)不老不死の生物は存在したことがない。

すると、まぁ、③(又は地獄)というのは全員がいずれどこかのタイミングで、各々の歩みで辿る道であろう。

全てを受け入れてなお、目の前の幸福な一瞬一瞬を逃さず掬い上げ、目一杯謳歌して生きたいものだよね。

それは、大切な人との時間ほど毎秒を噛みしめて、一緒に過ごせる一瞬一瞬を本当にその場で一緒に過ごし(上の空ではなく、その人に集中して)、大切にしていきたいね。

今を大切に生きよう!


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