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小説『光』 金子実央

(以下は2021年10月1日の金原のブログからの転載です)

 創作表現論II(1回目)の秀作、その2。

 小説『光』 金子実央

 私が小学4年生の秋、父方の祖父が亡くなった。真冬のごとくピンと張り詰めた空気が漂う病室で、祖父が私を見つめる眼差しが少しずつ弱くなっていって。私は痛々しいまでに骨張った手を握り、瞼がそっと閉じるのを見届けた。どんどん冷たく硬くなっていく体とは裏腹に、穏やかでひだまりのようなあたたかい笑みを満面にたたえていた。生まれて初めて、人間の最期を目の当たりにした。でも涙は出なかった。まるで何かに涙を堰き止められているみたいだった。

 祖父が入院するまでは、顔を合わせるのは年に2、3回ほどで、まともに会話をした記憶はなかった。私は極度の恥ずかしがり屋で、母以外にはろくに甘えられない子どもだったから尚更だ。いつも同じ缶ビールを飲んで、ぬれおかきを食べて、ニコニコ笑っていた。笑顔以外の表情もどんな声で話していたかも、ほとんど思い出せない。私の記憶で語れる祖父の人間像はそんなものである。昔は船乗りをしていたとか、お蕎麦に必ずお酢を入れるとか、祖母とは駆け落ちしたとか、そんな情報は亡くなってから祖母に聞いた話で知ったことだ。故人の話はどうしても美化されてしまうものだから、聞き流す程度に留めていた。
 祖父が入院したのは、私の家から車で15分程度のところにある、県内一の総合病院だった。私は母に連れられてほぼ毎日お見舞いに行った。正直、放課後に病院へ行くのは面倒だったし、行っても退屈だから行きたくはなかった。母はどうしてそこまで行きたがるのかと当時は不思議に思ったものだ。別に祖父が苦手なわけではなかった。おそらく好きかと聞かれれば、好きだと答える。けれど、毎日会いに行く理由がなかった。遊び盛りな年頃というのもあったし、残念ながらそこまで強い思い入れも持ち合わせていなかった。母も私が乗り気でないことはわかっていて、帰り道にお菓子を買ってくれると約束してくれた。私は渋々、約3ヶ月間お見舞いに通った。私たちが行っても祖父は変わらずニコニコしているだけで、会話らしい会話はそこまでしなかったが、母はとても満足そうだった。「本当におじいちゃんに愛されてるね。大好きって顔に書いてあるもの」と口癖のように言っていた。私はあまり実感がない。今でこそ毎日のように顔を合わせているが、年に数回しか会っていない上、大した会話もなくお互いのこともさほど知らない。ただ同じ姓を持つ者の共同体に属しているというだけで、どうして愛することができるというのだろうか。逆にいうと、その要素だけで愛情を持っていると勘違いしているのかもしれないと思う。好きと言われれば好きというのは、つまりそういうことな気がしてしまうのだ。

 ある日のお見舞いの帰りの車内で、ふと母に聞いてみた。
「ねえ、おじいちゃんはあとどれくらい生きられるのかな」
母は驚いたように私の方を振り向く。運転中だから危ないと制し、返答を待つ。母は小さく呻いてから、
「わからないけど、そんなに遠くはないかもしれないね。いろいろ準備しておかないと」
と言った。ふうん、と呟きながら葬儀というものを想像する。ドラマや映画で見たようなシーンを繋ぎ合わせて、イメージを膨らませていく。
「喪服ないよね、もう買っておいた方がいいかな」
「お葬式の時に着るやつ?」
「そうそう。ほら、この前のピアノの発表会で着てたみたいな黒のワンピースとか。あれは、ちょっと白のフリルが多すぎるからダメだけど」
母の言葉を聞いて、少し心が踊った。歳のわりにませていた私はとてもファッションが好きだったから、新しい服を買ってもらえることが嬉しかった。お葬式がどんなものかわからないが、経験はしてみたい。そうなれば、もうお見舞いにも行かなくて良くなるし、何より早く新しい服を着たい。
「早く死んじゃわないかな……」
ふと口を突いて出た言葉はあまりに恐ろしくて、両手で思いきり口を塞いだ。運転している母をちらりと見る。
「ん? 何か言った?」
幸いエンジン音か何かで聞こえていなかったようだ。
「ううん、早く良くならないかなって」
「そうだねえ、例年通り皆で年越したいよね」
切なげに目を細めて笑う母の横顔を眺めて、ジクジクと胸が痛んだ。ガタガタと手足が震えるのを必死に掴んで押さえる。喉の奥がヒュッと締まるような息苦しさに襲われたが、母にバレないように唇をきつく噛み締めて耐える。私はなんてことを考えてしまったのだろう。自分が自分ではないような感覚に陥る。誰かに何かの間違いだと言ってほしかった。そんな人間では決してないと。悪意はまるでなかった。ある意味純粋すぎたのかもしれない。それでもこの時抱いた罪悪感から、しばらくの間逃れることができなかった。

 それからまもなくして、祖父は亡くなった。その最期に立ち会うことができたのは、皮肉にも私一人だった。自宅から往復2時間かけて来てお世話をしていた祖母ではなく、毎日一緒にお見舞いに行った母でもなく、実の息子である父でもなく。たった一人、私だけだった。母が売店に行っていた、ほんの少しの時間。私が祖父のそばで折り鶴を作っていた時だった。祖父の様子が急変し、慌てて立ち上がる。座っていた椅子が倒れるのも構わず、祈るようにナースコールを押した。小学生の私が携帯電話など持っているはずもなく、母を呼ぶこともできない。医者が来るまで、何度も声をかけ続けた。そして、震えながらわずかに伸ばされた手に気付き、心の中で生まれた少しの躊躇いを振り払い、強く握った。
「まだだよ、おじいちゃん。まだ死んじゃだめだよ」
私は俯いて、囈言のように繰り返していた。私しかいない時に死なないでほしい。この期に及んで、私はどこまでも自分勝手だった。冷たい汗が背中を流れ、頭がキンと痛んだ。嫌な予感というのはこういうものだと身を以て知った。ようやく病室にやって来た医者は祖父の様子を見て、静かに首を振るだけだった。私はまた俯く。私は絶望に胸を苛まれる。こんな私が、最低な孫が、一人で見送っていいわけがない。そんなのあまりに祖父が可哀想だ。それに私は、一生あの罪悪感から逃れられないじゃないか。残される私は、どんな気持ちで生きていけばいい?
「…………うぅ……」
祖父の呻き声にパッと顔を上げる。何かを伝えようとしているのか、私を見つめる瞳には柔らかな光が宿っていた。こんな状態になっても、この人は——。私はただ呆然と、その光を見つめていた。少しずつ、少しずつ、まるで淡い月がゆっくりと雲に隠れていくように。長いような短いような時間を経て、祖父はこの世を去った。太陽も月も見えない部屋で、私は一人立ち尽くしていた。
 祖母たちが駆け付けたのは、それから15分後くらいだった。近くの花屋で病室に飾る花を買っていた祖母と、売店で雑誌を選んでいた母と、仕事帰りに病院に向かっていた父。3人はほとんど同時に病室にやって来た。皆、既に泣き腫らした様子だった。病室に足を踏み入れた途端にベッドのそばに崩れ落ちるようにして座り込み、祖父の抜け殻に縋って泣いていた。祖父だけが、静かに笑っていた。私はそっと祖父の手を離し、逃げるように壁に寄り掛かる。自分の両手を握ると、いやに温かった。それが何とも気持ち悪かった。けれど、どれだけ不快に思っても、私には温度がある。祖父にはない。私は今この瞬間も生きていて、祖父は死んでいる。共同体から一つの個が失われた。たった一つ。そのうちには補完される一つだ。それでもどうしてだろう、私という存在を共同体に繋ぎ止める光がふっと遠ざかった気がするのは。私という存在が、一歩、消滅に近づいた気がするのは。

 その数日後、通夜と葬儀が執り行われた。祖母の希望で家族葬となった。私は新しく買ってもらった黒のセットアップを身に纏い、先の丸いパンプスを履いて参列した。肌にピタリと張り付くストッキングが鬱陶しくて、早く脱ぎたいとそればかり考えていた。そんな涙一つ見せない私に、祖母が声をかけてきた。
「ねえ、おじいちゃん死んじゃったね。もう戻って来れないんだよ」
私が祖父の死を理解しきれていないと思ったのか、心配そうな声音でそう言った。しかし、それは自分に言い聞かせているようにも見えた。現に祖母は、自身のその言葉でまた泣き始めてしまった。私はその姿にひどく恐怖を感じた。理由はよくわからない。ただ、涙を零しながらギラギラと光る祖母の瞳に、同じ人間とは思えない不気味さを覚えた。祖父の最期を見るよりもずっと恐ろしい記憶として残った。

 時は流れ、祖父の七回忌を迎えた。私は17歳、高校2年生になった。ごく普通の県立高校に通い、平凡で平穏な日々を過ごしていた。3回目の法要にして、ようやく祖父の死を受け入れることができた。というより、自分自身を納得させることができるようになったのだ。同じ共同体に属しているだけの祖父が、どうして私に愛情を感じることができたのか。それは、とても単純なことだ。光は、愛なのだ。祖父を共同体に繋ぎ止めている光の一つ、それが私だった。同じ姓を持ち、同じ時を生きている私だった。それと同時に、祖父の存在は私を生に繋ぎ止める光でもあった。祖父の最期に見えた、瞳に宿る光。あれは間違いなく愛だった。今は自信を持ってそう言うことができる。だから、罪悪感は捨てた。そういう気持ちはきっと、光を曇らせてしまうから。今、私にできることは、自分の光を守ることだ。それは自分自身だけでなく、家族や友人を守ることになる。そして、祖父にできる唯一の贖罪と、愛情表現だ。

「おじいちゃん、愛してるよ」
空に向かって呟いてみた。当然、返答はないけれど、雲の切れ間から穏やかな光が差している。それだけで、祖父と繋がっているような気がした。それだけで、私は愛されていると実感できた。

一筋の涙が頬を伝う。塩辛くて温かい。私は、今日も生きている。