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「旅立ちの日に?」 村上遥香

(以下は2023年12月20日の金原のブログからの転載です)

 創作表現論の秀作。
 今回も前回と同じ村上さんですが、今回はまったくテイストのちがう作品。
 こういう感性、ほんとにおもしろいと思う。ちょっと不思議な作品です。
 今回のテーマは「若者」。授業でアメリカの1950年代の若者の誕生と60年代の若者文化について話したので。

「旅立ちの日に?」 村上遥香

 灰色には思えない。朝の空気は澄んでいるはずなのに、霧がかったような、うすぼんやりとした白。高すぎないビルと隙間を縫うような小道に並ぶ小さな商店。だだっ広い駐車場。それでも土日には満杯になってしまうのは、形ばかりの地方都市、車社会のさがだった。毎年冬には自動車学校が高校生でぎゅうぎゅう詰めになる。高齢者の免許返納が時流に求められていたって、生活保護が選択肢に入るくらい困窮していたって、1日に数本しかないバスは、それも値上がり続きで廃線が年々増えるバスは、あまりに頼りなさすぎるから。様々なリスクと地続きの明日を天秤にかけて、生きるための明日をとるから、こぼれ落ちていく未来には目をつむり続けている。幸も不幸も無く、そんな街が、私の故郷だった。
 家からバス停、バス停からホームまで。時間にして20分もつけていないだろうマスクの中は水滴でびしょぬれだった。朝方は特に冷え込む、だったか。通勤通学の際には防寒対策を。ご当地テレビで名物キャラクターと化した中年の気象予報士が、うさんくさい笑みで言っていた。
 ティッシュで内側をふきながら、マスクを耳から外す。さすがに寒すぎるからか、吹きさらしのホームに自分以外の人影はない。はぁ、とはばかることなく息を吐けば、目の前にわっと立ち上る白。
 大きなキャリーケースが倒れぬよう体重をかける。寂しさ、よりも、解放感、よりも。10分後に新幹線が来る、それに乗って私はここでは無い場所へ行く。それだけ。どこかへ続く線路。朝にすがめた目に据えた現実感だけがあった。
 ふとコートに突っ込んだ手に、ビニールの小さな袋があたった。随分薄いそれには、砂が入っている。数日前、別れだからと、古い友人と開けたタイムカプセルに入っていたものだ。今よりずっと地面が近かった頃、足元の砂で何度も手を汚して、厳選して、ようやく集めた透明な砂の粒。軽く振れば、茶ばんだビニールの中で、大きさもまばらに踊っている。もう記憶の薄れてしまったあの頃は、未来の自分に託したいほど大切な宝物だったらしい。当時はガラスだと思っていたが、ほんとうは何だったのだろう。
 ここでは、若さは青さだ。テレビや映画で見る『若者』の姿は、どこか遠くの話のように聞こえた。私たちに許されているのは、制服を着て学校と塾の間に娯楽の少ない街を闊歩するだけの自由で、それを大人が青春と呼ぶから、私たちは若者だった。先生が、親が、親戚が、だれかが、一笑に付す間違いを犯し続けている姿。失敗も、成功も、優秀も、劣等も、すべてが老人たちの足跡をたどるだけの行為で、何もないはずのこの場所に、愛だとか、恩返しだとか、どうにか意味を見出そうとして。モデルケースはありふれていた。自動運転に形だけハンドルを握って、このまま道路を進んでいけば、きっとモデルそのままの幸福が手に入るだろう。父に似た義父のご飯を作り、近所一帯の旦那さんの職業事情と子どもたちの進路にだけ詳しくなる。
 少なくない捻くれ者は外へ出るけれど、いずれは戻ってそういうモノとして風景の一部になるか、そうでなければ宇宙人になる。宇宙人だったおじの、縁側でひとり煙草をくゆらしていた黒い背広の背中を覚えている。きついなまりの大合唱を背後に聞きながら、噛んだガムの紙で、鶴を折ってもらった。あれは祖父の葬式だった。
 閉塞感と表現するには甘く、暖かい。古い友人は残るという。いつか出て行こうと思っているらしいが。私はいま、故郷を出ようと思う。捻くれているゆえに。背後に迫る笑い声を背負って。青さを若さに変えたいと願って。間違っていても、その先に繋がる間違いを犯したと胸を張って言い訳をしたくて。
 荷物は案外少なくて済んだ。家具付きのアパートだったし、田舎よりもよほど物が揃っている向こうでそろえればいいだろう、という楽観もある。家と離れれば、環境が変われば、ここでなければ。何かが変わるだろうか。キャリーケースひとつにおさまってしまった私を、このまま、線路に突き落としてしまえる軽さが恐ろしくもあった。
 ゴーッと近づいてくる新幹線に向けて、風に乗るように、袋の中身をそっと撒いた。重力に引かれて落ちる砂粒は記憶よりもずっとくすんでいて、小さな驚きとともになぜか笑えてしまった。これを餞としよう。
 発車ベルを聞きながら、修学旅行ぶりの新幹線に乗り込む。戻るかも分からない故郷を背に、若者は、私は、旅に出ようと思う。