見出し画像

「出会いの珈琲屋さん」 大場愛紘

(以下は2023年11月30日の金原のブログからの転載です)

 こちらは創作表現論の授業の秀作です。毎週ひとつ課題をこなさなくてはならない。のに、こんな作品が出てくるところがうれしい。というわけで、大場さんの短編小説を。このときのテーマは、「『ハムレット』を読んで、何か書け」だったと思う。

出会いの珈琲屋さん 大場愛紘

 高校の授業が終わり、帰りのホームルームで配られた進路希望の調査書と、進路面談のお知らせの紙を、学校指定の黒い革のスクールバッグに入れる。二年以上使ったこの鞄は、底の方がよれよれとしてきた。草臥れた鞄だ。
高校三年の秋。夏休み明けの九月も残暑は厳しかったが、十月の半ばともなれば秋風が新涼を送り込んでくる。年々暑くなってくる夏を必死に耐えた身体を労る暇もなく、喘息持ちの私の肺は秋の空気を吸うことを拒み続け、それでも全身に冷気が染み、体内まで冷やしていく。
 息ができない私は、日に何度も何度も深呼吸やため息をつく。私だけでなくとも、この時期、この教室ではため息が増えるというのに。
 来月のはじめにやってくる、進路希望の調査書の提出締め切り。受験生の山場と言われる高校三年の夏休みを終えた同級生たちは、志望の大学と、自分の今の学力の差に一喜一憂し、進路希望をころころ変える。しかし、次の進路希望の提出が実質、最終決定となる。教室の緊張感も高まっていた。
 教室のあちらこちらから面倒くさそうなため息のほかに、帰る前に自習をしていくのか、志望校のレベルを下げるだの、推薦入試にするだの、アルバイトは受験が終わるまでやめるだの、どんよりとした声が聞こえてくる。
 未来の話をするたびに、現状が浮き彫りにされ、私たちは現実を見つめることになる。恋バナやら文化祭やらの話をしていたあの頃がどれほど昔なのか、はたまた最近なのか、分からなくなっていた。
 私もプリントやファイルを鞄に詰めつつ立ち上がる。草臥れている鞄だが、ここのところはこの鞄にはあまり荷物が詰まっていない。せいぜい英語の教科書と授業プリント数枚が綴じられたファイルくらいのものだ。あと筆箱。
 学習塾の教材や、英語の単語帳、厚さ五センチはありそうな数学の問題集をいっぱいに詰め込まれ、十キロ入りの米袋と張り合えそうな鞄が、あちらこちらでぎしぎしと立ち上がっていくのを横目に、私は教室を出る。
戦後から男子高、共学の工業高校、地元で一番の不良高校を経て、自称進学校を掲げるまでに成長し、生徒数も三千人を超えるこの私立高校の学費は、すべて教員のお給料に吸収されているのか、校舎の改修工事は全く行われていない。教室のドアが、全く開かない。建付けが悪く、薄水色の塗装が剥げて、下の木の色が見えすぎている。
 本当に開かない。がたがたと格闘する私は注目の的、ただでさえこの時期自習もせずに教室を出るなんて、受験舐めてんのかと言われても文句は言えない。
 私は教室から向けられる目線を確認するのが怖くて、ありもしない腕の筋肉に力を込めてドアをこじ開け、そそくさと教室から出た。
 足早に昇降口まで行く。下駄箱から黒のローファーを取り出し、持って帰って洗うのが面倒で、ずっと置きっぱなし履きっぱなしの汚れた上履きを放り込む。
 地面に置かれた木の簀子の上をぐらぐら歩きながら靴を履き替え、門を出、携帯のロック画面を確認する。約束の時間まであと四十分。少し急いで歩き出す。
 高校三年の秋、あろうことか私はアルバイトを始めた。今日がその初出勤、というか先週、履歴書を渡しに行ったその場で、お試しで働いてもらう、と言われ今日の十六時がその時間なのだ。
 そのお店は、一度も利用したことがなく、偶然見つけた。偶然そこを通った。いつもと違う道で帰りたくて、偶然。そして、偶然張り紙を見つけて、ろくに考えずに履歴書を書いて届けに行ってしまった。
 喫茶店、のようだった。暗くて、落ち着いていて、店内には振り子の大きな柱時計があった。お客さんは誰もいなかったような気がする。しかし、一番妙だったのが、いたるところに富士山の絵があったことだった。油絵のようで、あちこちにあった。両手を広げたくらいの大きいものや、八つ切り画用紙くらいの大きさのもの。落ち着いたレトロな喫茶店にはあまり似合わない絵だと思ったのが強烈過ぎて。
 南に歩けばすぐに海が見える学校に背を向けて、北に徒歩二十五分。山と呼ぶには低すぎる、丘、くらいの方がしっくりくる山の麓。川が流れ、春になれば桜並木が見ごろなその場所は、地元の人たちの散歩道。そんな地元の人たちでも教えてもらわなければ気づかない小さな道に入って、すぐ。おしゃれではないが、こぢんまりとしたショウウインドウに古時計やら陶器の人形やらが置かれている。しかし極めつけはやはり富士山の絵。青い空に赤富士が描かれている。この絵を見れば、どうしたって富士山の大きな引力を感じて店に入らざるを得なくなる、そんな力を感じる外観。この店が見つかれば、の話だが。
 カランコロンカラン。ガラスのドアを引くと、入店を告げるベルが鳴る。店に入れば、やはり誰もおらず、今回はお店の人の姿も見当たらない。そう広くはない店内。ふわりとコーヒーの香りがする。
 右奥にはブラウンの小さなレジカウンター。履歴書を届けに来た時はここでお店の人と話した。レジカウンターより左側、奥の壁に沿うように立つ大きな柱時計。
 柱時計の隣を見れば、瓶に入れられたコーヒー豆や様々なコーヒーミルなどが置かれた棚が天井まで続く。上の方には分厚い本や雑誌のようなものも置いてある。決して高くはない天井。木目調のキッチンカウンター。店の中央にある丸いテーブルは五人掛け。そして壁には富士山、富士山、富士山。赤、黄、青。カラフルで存在感がありすぎる絵画は、レトロ感のある店の雰囲気にはやはり似合わないような気がする。でもどことなく、やわらかで丁寧な印象を抱く絵だな、とも思う。なぜ飾っているのか、お店の人に聞いてみようと思った。
「いらっしゃいませ。木崎さんですね」
 ふと、レジカウンターの裏の上がり框から男性が現れる。ひょろりと長いその人は、黒いシャツの袖を少し捲り、黒いエプロンを腰で結んでいる。
「あ、すぐにお声がけせず、すみません。木崎です、お世話になります」
 彼は店主で、一人でこの店を切り盛りしているそうだ。見た目は二十代くらい。黒くつやのあるさらさらの髪。物腰やわらか、話し方が穏やかで柔い声なので、貫禄を感じる。
「いえいえ、お店の中は気に入りましたか」
「はい、とても素敵です。落ち着いていて……」
 富士山のことは、急に怖くなって口に出せなかった。もしかしたら思い入れがあるのかもしれない、それは人に言いにくいかもしれない。ならあちらから話したい、という雰囲気を出されるまで聞かないことにしよう。気にはなるけど。
「それはよかったです」
 そう言いながら彼は框の上に置かれた白い紙袋を手に取る。
「これ、木崎さんのエプロンです」
 渡された紙袋の中には、黒いエプロン。
「ありがとうございます。あの私、高校の制服しかもっていないのですが……」
「高校の制服の上から着けられれば、それがいいと思います」
制服エプロン。
「木崎さんにはお召し物が汚れてしまいそうなお仕事をお願いしようとは思っていませんので、お好きな服装で働いていただいて構いませんよ」
 エプロンは着けていた方が喫茶店の店員さんぽく見えてテンションが上がるかと思いまして、と言いながら彼はふわりと笑う。
「これからよろしくお願いします、木崎さん」
私は襷掛けエプロンの紐を紺のセーターの上から肩にかけて、プリーツの入ったグレーのスカートの後ろで結ぶ。
「よろしくお願いします。ところで、今日私は一体何をするのでしょうか」
 彼はキッチンカウンターまで歩んでいき、コーヒー豆を瓶の中から取り出し、コーヒーミルで豆を挽き始めている。
「うちは喫茶店で、主にコーヒーをお出ししています。木崎さんは接客をお願いします。そのうちコーヒーも入れていただくかもしれませんけど」
「わかりました。今日はとりあえず接客……」
あれ私、採用されているのか? これは試用期間?
「あの、私、試用期間ですよね?」
当たり前だと思いながらも、聞いてみる。
「ああ、そうですね、見習いさんですかね……でも採用させていただきたく思います。というか、私の方ではもう採用です」
「面接とか、していませんよね?」
「はい、でも大丈夫です」
 にこにこしながら、がらがら豆を挽いていく。木と金属でできたよく見かける四角いコーヒーミル。採用された理由もわからず、接客と言ってもこの店にお客さんが来ているところは前回も今回も見たことがない。立ち位置もわからず、手持無沙汰で困っていると、
「コーヒーはお好きですか」
と、声をかけてもらえた。
「好き、というか嫌いではないですけどあまり飲む機会もなくて。飲むとしたらブラックが多いですかね」
「そうですよね、学生さんだとあまりそういう機会もないですよね」
 豆を挽き終わりミルの木箱の引き出しを開ける。近くまで行くと、コーヒーの重厚感のある、それでいて優しさを覚える香りが広がり渡る。引き出しに入った粉をフィルターがセットしてある陶器のドリッパーに移し、それを透明のサーバーの上に置き、沸かしていたお湯を粉の上に注ぐ。
 ぐるっと一周お湯を注ぐと、湯気に乗った香りとともに、粉は一体感を持ち始める。手を取り合ってふわっと膨らみ、また沈んでいく。その様子を少し眺めてから、もう一度注ぐ。すると、中心のふくらみがくぼんでいき、さらにそこへお湯を注ぐ。泡がだんだん盛り上がって、またそこにお湯を注ぐ。何度か繰り返して、粉の入ったドリッパーを持ち上げる。
サーバーの目盛りまでお湯が入ったらドリッパーを取り、後ろの棚に並んだ白いお皿に乗った白いカップを新たに取り出し、コーヒーを注いでいく。
 彼が慣れた手つきで進めていく様子を、カウンター越しに向かい合うように見ていた私の目の前に白いカップが置かれる。香ばしい湯気が顔を包む。
「初出勤の記念に」
「あ、ありがとうございます」
 どうぞ、と椅子を勧められて、カウンター席に腰掛ける。私のために淹れてくれていたのか、それとも私が一連の流れを凝視しすぎていたから気を使わせてしまったのか、むず痒い気持ちでカップの持ち手にそっと手をかけ、つまみ、持ち上げる。
「おいしいです……なんか、すごいおいしい……」
 いままでもコーヒーは何度か飲んだことがある。苦いのは苦手ではなく、ブラックコーヒーも普通に飲める。でも彼が入れたコーヒーは、ふんわり広がる香りに、優しい苦み、どこかすっきりしているようでありながら、味が濃厚だった。特別な感じがする。
「私コーヒーにあまり詳しくなくて、でもすごくおいしいです。苦いのに、うわあってなる苦みじゃなくて、もう一度飲みたいって思うような苦みで……なんかすごいです」
 良かった、と微笑みながら彼は使った道具を整理している。
「私、初めて見ました。コーヒー豆を挽いてから淹れるところ。ずっといい香りがするんですね……コーヒー豆の瓶もたくさんあって」
「瓶はキャニスターといって、コーヒー豆の保存容器なんです。密閉されているので、開けるといい香りが飛び出てきます」
「とびでて……」
 ほら、とこのコーヒーを抽出した豆の入ったキャニスターを開けてくれる。顔を近づけるとよい香りがした。
「木崎さんにお出ししたのは、ブラジル産の中深煎りの豆です」
「ブラジル…ちゅうふかいり…」
「コーヒー豆は産地や焙煎の方法によって、味が変わってくるんです」
 カランコロンカラン。そんな話を聞いていると、自分が入店したときしか聞いたことのなかった音が、他の人の手によって鳴らされた。
 驚いて振り向くと、トレンチコートを着た女性が立っていた。
「こんにちは、栗原さん」
栗原さん、と呼ばれた女性は栗色の髪を一本に束ねて、清潔感のある身だしなみだった。かわいらしい顔立ち、背は高くスタイルもよい。かっこよく働く大人の女性って感じだ。
「お久しぶりです。他のお客さんなんて珍しい」
 私は目を向けられてはっと我に返る。コーヒーでほっと一息な心地になっていたが、私は今アルバイト中だ。接客を任されていたのだった。
すみません、と言って立ち上がろうとすると、
「あら、よく見たらその制服……私その高校の卒業生よ。同じ制服を着て通っていたわ。懐かしい」
 栗原さんはトレンチコートを椅子の背に掛けて私の隣に腰を下ろしながら言った。
 入店早々お客様が店員の後姿を見るようなことなんてあっていいのか、と思い焦りながら席を離れようとする。
「栗原さん、こちら今日からアルバイトで入ってくれた木崎さんです。木崎さん、こちらはいつもお店に来てくださる栗原さんです」
「栗原です。木崎ちゃん、コーヒー飲んでいたのでしょう。一緒に飲みましょう、ほら座って座って」
 今日はカフェラテ飲みたいな、と言いながら栗原さんは私を席に戻す。
「木崎ちゃん今何年生なの?」
「高三です」
「あら、じゃあもうすぐ受験ね」
「はい…あ、いえ、学校推薦で大学に受かってしまっていて」
「あら、そうなの! おめでとう、推薦もらえて一安心でしょう」
「はい…そうですね」
「私の時は推薦入試で秋とかに進学先決まっちゃう子沢山いたのよ。今はどんな感じなの?」
「私のクラスでは、推薦をもらったのは私くらいなんです。欲しかった子は他にもいたみたいですけど、私立なので担任の先生が一般入試で合格者を出す実績が欲しかったみたいで。あれこれ言って推薦を取らせてくれなかったみたいです」
「うわ、そうか、私立だからノルマみたいのがあるのかな、先生にも。そりゃ推薦取れなかった子、恨むだろうなあ。受験勉強は大変だからね」
「後ろから刺されちゃいそうですよね、先生」
 制服が話題を呼び、初対面なのに、どんどん話が進む気がする。制服の上からエプロンを着せられたのはこのためか……?
「それにしても木崎ちゃん、よく見つけたわねこのお店。彼、アルバイトずっと募集していたんだけどだれも来なくて。そりゃそうよね、お店がどこにあるかわからないんだから」
 栗原さんはころころと鈴のような声で話す。栗原さんのカフェラテがカウンターに置かれる。甘い香りが漂って、朱色の花のパターンがかわいくあしらわれた白い陶器のカップに入っている。小さくてかわいらしい栗原さんのイメージにぴったりだ。
「私も、偶然通りかかって募集の紙を見て」
「あ、あの手書きの紙。勤務地と内容しか書いてないやつね」
と、笑いながら話す。他に何を書けばよいのかわからなくて、と困ったように言う店主に、時給とか未経験歓迎とかあるでしょ、と栗原さん。
「なんか手書きの感じがよかったんです。字がとても綺麗だったし……栗原さんはここの常連さんなんですね」
「そうなの、でも最近は来られてなかったの。忙しくてね」
 カフェラテを一口啜って、ほう、と息をつく。温かくて甘い香りがこちらまで届いてくる。
「お仕事ですか」
「仕事も大変だけど……先月母が亡くなってね」
 一年前からお母様が認知症で介護が必要になったのだそう。そして先月、脳梗塞で亡くなられ、お葬式や遺産の件やら、親族で話し合っているのだとか。
「お悔やみ申し上げます。栗原さんも大変でしたでしょう」
 店主はカウンターの中でカップを磨きながら言う。
「ええ、私、母が認知症になる前に婚約していたの。でも結婚できる状態ではなくなって
保留になっていたのだけれど、その話もちょっと出てきてるの」
 お葬式と結婚式。相容れない二つが栗原さんに重くのしかかっている。しばしの沈黙、柱時計の重い振り子の音、本当に秒針を刻んでいるのか疑わしくなるほどゆっくりと振られている。私のコーヒーは冷めてしまった。栗原さんのカフェオレはまだまだ温かい。
「ご結婚のお相手は確か、高校の同級生でいらっしゃいましたよね」
店主は棚から陶器のキャニスターを取り出して、再度豆を挽き始めながら問いかける。
「ええ、そう。もう出会ってから十年くらいね。二、三年でのクラスが同じで。社会人になってから付き合い始めて、そろそろ結婚するかってなってね」
「社会人になってから再会したんですか」
「ううん、ずっと友達でたまに会ったりしてて。お互いに二十七になって、恋人もいなくて、付き合っちゃう? ってノリでね。まさか結婚するなんて」
 はあ、とため息をつく様子に、幸せな感じはない。
「結婚するって、どんな感じなんですか」
 こんな質問でいいのか私……と思いながらも、口から出てしまったものは消せない。
「そうねえ、いいのかもしれないけれど……木崎ちゃんは結婚願望ある?」
まさかの恋バナ。
「今のところは、ないです。お付き合いもしたことはありませんし。でも、いいものなのだろうな、とは思っています。漠然と」
「彼氏いそうなのに意外ね。まあ、でもそうよね、結婚……私はずっと結婚を前向きに考えたことがなかったの。親の影響かしらね」
「ご両親の」
「ええ、仲が良くなかったわ。ずっとね。母は認知症になってから、真っ先に父を忘れて、父はそれに対して何も思わなかったみたいで、放置していたけれど」
 お互い愛し合っていたようには見えなかったわ、と栗原さんはため息交じりに言うと、店主がおもむろに香ばしいものを私と栗原さんの間に置く。
「クッキーあるんですね」
「彼、お客の話が長くなりそうだと手作りのお菓子出してくれるのよ。今日は長く居座っちゃうぞ、私」
 栗原さんは伸びをしながら椅子に座り直す。
 猫や三日月にかたどったプレーンのクッキー。しかも手作り。私も三日月のクッキーを手に、コーヒーを一口。栗原さんの方を改めて見る。
「そういえば母はボケちゃってからいつも父に『はじめまして』て声をかけていたわ。父のことは真っ先に忘れて、母の発言の中に父は全然出てこなくて。でも私のことは亡くなるまでずっと覚えていたの」
 栗原さんは遠い昔を思い出すように話していく。
「父と母は本当に仲が悪くて、私が小学生の頃から、子供が成人したら離婚するんだってずっと言ってたの。……父はね、血縁の家族を大切にする人だった。自分の両親と姉たちのことは本当に大切にしていた。誰かが病気になれば、病院への送り迎えに自分の仕事を休んででも車を出していたわ。娘の私にはそんなことしてくれなかったのにね。私が風邪をひいたときは母が私を背負って病院に駆け込んでいたわ…よく覚えてる。父は母には『お前は血が繋がっていないから本当の家族じゃない』て私が生まれる前からよく言っていたみたい」
 世の中にはいろんなことを言う人がいるなあ、と思う。血を大切にする、というのは確かにいるのだろうが、自由恋愛が主流の現代では珍しいと感じる。
「お酒に酔って調子のいいときだけ私に話しかけてきて、それ以外は愛想が悪いだの、育て方を間違えた失敗作だの言って。母にも、家族じゃないやつが口出すなとか言ってるくせに、私がこんな風に育ったのはおまえのせいだ、とか言ってて。
 たしかに私は人見知りで、にこにこしたり友達をつくることも苦手だった。愛想もあまりなかったかも。でもそれは私自身の性格で、母のせいではなかったと思っているの。
母はピアノが好きで、よく弾いていたのだけれど、それを見て父は『ピアノなんか弾いて何になるんだ』てぐちぐち言ってた。私は母の弾くピアノが好きだったし、楽しそうに弾いてる母の姿も好きだったの。でも電子ピアノだったから、ちょっと不調が来て廃棄することになったんだけど、それを決めたのは父で、母は動かないピアノであっても結婚前から使っていたものだからって捨てたくなかったの。でも父が捨ててしまった……母はピアノを弾くことが唯一の気分転換だったのに。
 それから、私が高校生くらいの時、父が仕事から帰るのが遅くなったの。一か月に使うお金の金額も増えて。昔から釣りが好きだったから、それにお金はかけていたみたいだけれど、それにしても出費が多くなって。仕事の付き合いだって言っていたけれど、本当は不倫していたの。母はすぐに気づいていた。なんでわかるのって聞いたら、『長く見ていればわかるものよ』て。
 すべては父と母の考え方の違いで、正解も不正解もないのかも。でも私、なんだか母がかわいそうで。私が生まれて、お金も必要。だから離婚したくてもそう簡単にはいかない。私のせいではないのかもしれないけれど、なんというか、自分の思う方向にしっかり進もうとはしない母の姿に腹も立ったし、同情もした。私のために家族の状態を保っていることも。でも私はいつでも協力する体制ができていたわ、心の準備の面でもね。私はそれを母に伝えたわ。でも母は結局何もしなかった……」
私も親に失敗作だ、と言われたことがあった。鬱憤が溜まってたまらず吐き出そうとした結果そういう言葉になるのだろうか。世の中には虐待も頻発している。それぞれ程度というのは比べるものではないが、失敗作なんて言われてもこれはただの暴言で、大したことはないと思っていた。
けれど栗原さんの話を聞いて、成長する途中の人間に対し、その成長の環境を形作る一番身近で影響力のある人間が「失敗作」だなんて言葉を投げかけるなんて、ひどいことだと感じた。彼女も、私も、随分なことを言われていたのだと、気づく。
「失敗作は絶対にありえないことです。だから、そんな言葉は嘘にしかならないですよ」
 そうかもね、と笑いながら栗原さんは、ずっと悲しそうな顔をしていた。
栗原さんの両親は、最初は好きになって、結婚したのだろう。私は、相手を愛する気持ちから、慈しむ気持ち、尊重する気持ちになっていくのが結婚生活なのかと思っている。
「ご両親は、恋愛結婚ですか」
「ええ、そうよ。職場結婚。母は結構、美人だったのよ」
 栗原さんは嬉しそうに携帯に入っている若いときのお母様の写真を見せてくれた。
「栗原さんに似てます」
 そこには、柔らかな髪色で、くりっとしたかわいらしい目をした女性が微笑んでいた。髪を後ろで一本に束ねている姿も、今の栗原さんに似ている。
「そうかしら、ちょうどこの写真を撮った頃に母は父と出会って結婚したの。まあ、結婚まではかなり時間がかかったみたいだけれどね」
「どうしてですか」
「父は姉が二人いて、とてもかわいがられて育ったの。そんなかわいいかわいい父を、母が奪っていったように見えたのでしょうね、結婚もすごく反対されて二番目の姉は猛反対で大号泣。だからなかなか結婚にたどり着けなくて、ようやく結婚出来たころには付き合ってから十年近く。二人とも三十半ばを過ぎたころだったらしいわ」
 私だったら三十超えたらもう結婚諦めちゃうなあ、と栗原さんは言う。
 確かに、子供が欲しくなったら、産むタイミングを考えて三十過ぎで産むのは私だったらきつい。もう少し若いうちに産みたいと思ってしまう。
「……でもたぶん、これは私が勝手に考えたことだけれど、父は母のことが好きではなかったわ。わからないわよ、たぶんね。美人の母を手にできたことに喜びを感じていただけ。母の本質を見ていたのかしら。いいえ、見ていなかったと思う。向き合っていなかったと思うの……だって父は母のことを、付き合っていたころから今まで一度も名前で呼んだことがないらしいの。ずっと苗字呼び。私が生まれてからはお母さんって呼んでいたし」
 親になると、家庭ではその役名で呼ばれてしまう。学校の教室では私は木崎、と苗字呼び。私を名前で呼んでくれる両親が亡くなれば、もう私を名前で呼んでくれる人はこの世にいなくなる。
「名前で呼んでもらえないのは悲しいですね」
「そうよね、私も彼氏には苗字で呼ばれているわ。名前で呼んでくれた母はもういないし、父はもう長いこと私の名前を呼んでいない……」
 カフェラテは冷めてしまった。
「お母様は、お父様を好いてらしたのでしょうか」
 ずっと話に耳を傾けていた店主が口を開いた。カウンターも片付けられて、きれいになっている。
「付き合ったときは好きだったでしょう。ああ、でもどうかしら、なんというか……母は穏やかな家庭で育った人で、汚い言葉遣いをしない親に育てられたの。祖父母を見ていたらわかるわ、ああ、自分たちの娘に愛情を注いで、丁寧に育てたんだって。そんな母にとって、父は衝撃的だったんだと思う。自分の人生が変わったって思うくらいに。丁寧とは程遠く、激しくて、乱暴で、でも胸が高ぶる出会い。丁寧に優しく触るだけではわからない面白さがあることに気づいてしまった。だから、母は若気の至りというか、出会いに酔っていたのだと思うわ。それが愛なのかは、分からない」
「栗原さんも、彼氏さんとはそのような出会いだったのですか」
 店主が聞く。栗原さんは恥ずかしそうに、困った顔をする。
「ええ、彼も、私にとっては劇的な出会いというか、私の世界を変えてくれたなって思う人だったんです。全然タイプの人ではないし、今までの彼氏とも全然違う感じの人で、どちらかというと真逆なの。私は両親を見てきたから、絶対に同じような出会いも結婚もしたくないし、しない自信があった。でも、結局私は母のように、良くも悪くも私の人生や価値観に大きく影響与えるような、でも自分のことを大切にしてはくれない人を選んだのかなって思ってしまって……もちろん、彼はいい人で、私の事をすごく考えてくれるし、母の介護のことで結婚のタイミングも気遣ってもらった。とても感謝しているの。でも、なんだろう。彼と父は違うし、私と母は違う。だから両親の姿を自分たちに重ねることは、それこそ人の本質と向き合おうとするのを避けているようでしょう……でもどこか重ねて勝手に不安になっている自分のこともすごく嫌だなあって思う」
「自分が進もうとしている未来に、先に到達した人を参考にするのは当然だと思います。確かに、参考にし過ぎると現状が見えにくくなってしまうから難しいですね……」
 受験もそうだ。私は夏までは志望校に向かって勉強していた。卒業生の合格体験記を読んで、どう過ごすのか、どう考えればいいのか、その通りにしたら合格できるのではないか、と人のまねごとをして、自分と向き合うことを放棄したこともあった。自分を知ることが怖いから、人に頼っていたいという気持ちもあったと思う。だから、他の人を参考に自分の将来を考えることは、きっと誰でもやってしまうことなのだ。
「そうよね、でもやっぱり重ねすぎるのは良くないわ。彼と話をして、これから向き合っていくべきなのよね」
 ちょうど柱時計が午後六時の鐘を打つ。もうこんな時間なのね、と栗原さんは鞄をごそごそとあさり出し、お財布を取り出す。
「あ、そうだ、帰ったら仕事しなくちゃいけないのよ……テイクアウトのカフェラテ、一杯いただけるかしら」
 店主は、喜んで、と整理したコーヒーミルやら道具を持ち出して豆を挽き始める。財布をのぞきながら、栗原さんは言う。
「……母が、父を真っ先に忘れたのは、母なりの父への復讐だと思っているの」
「復讐、ですか」
「ええ、今まで我慢して我慢して、思い通りにできないことだらけで、諦めて、不倫のことも、稼ぎが少ないことも、家のことを何もしないのも、結局母はすべて背負ってやっていた。文句は言っていたし、父と喧嘩もしていた。母も意見をしっかり実行できるほどの能力を持った人ではなかったわ。でも、付き合い始めてから名前も呼んでくれない、自分のことも、自分の両親のことも大切にはしない。若いときはもしかしたらシャイな人ね、で済んでいたかもしれないけれど、そうもいかない年齢になってくる」
 忘却は最大の復讐。
「お母様は、認知症になってから、穏やかに過ごされましたか」
栗原さんは少し泣きそうな顔で、しあわせそうだったわ、父のことは一切口からでなかったの、と言う。
 でも、私は何故か、これは気になったし、言ってみたいことだと思ってしまった。
「お母様は、お父様をちゃんと好きだったと思いますよ」
「……そうかしら」
「私、認知症の方は、人のことを忘れるとどちら様ですかとか誰ですかって聞くイメージが勝手にあるんです」
「たしかに、私もそのイメージがあるわ」
「もちろん個人差はあるのだと思いますけど、お母様は『はじめまして』だったんですよね」
「……そう、そうね、毎朝『はじめまして』だったわ」
「はじめましてって誰かと出会って言う言葉です。お母様はお父様と、もう一度出会いたかったのではないですか」
 コーヒーミルの豆を挽く音は止まらない。耳に心地よく届く豆の挽かれる音。
「その出会いが、お母様を変えたんです。結婚していなくても、もしかしたら栗原さんと彼氏さんみたいに長く付き合いを続けられるほどの相手になっていたかもしれないです。結婚を選んだことで、お二人はうまくいかなかったのかもしれないです。でも、お母様にとってお父様との出会いは記憶を失っても忘れられないほど幸せなことだった、とか」
 すべてを忘れて、自分だけ幸せに生きることは、むかつく相手への最大の復讐であると、聞いたことがあった。栗原さんのお母様にはそれもたしかにあったのかもしれない。でももはや確認などできない。ならばその出会いが、家族の思い出が、それを導いた二人の出会いが幸せであったから、『はじめまして』の言葉が出てきたと考えることもできるだろう。
「……実は私もその可能性を考えていたの。両親は仲が良くなかった。でも一度はお互いを選んでいる。小さい頃は父と同じ布団で寝たり、父の趣味の釣りに一緒に行ったり、クリスマスの夜には枕元にプレゼントを置いてくれた思い出もある。父と母が出会ってくれてよかった。……よかった、同じように感じてくれる人がいてくれて」
 私、間違っていなかったかも、と目を赤らめて言う栗原さんは入店した時よりもすっきりして、かわいらしい様子だった。
「母は復讐しているのかもって思って、家族を蔑ろにした父は痛い目見ればいいって思ってしまった。でも父は気にしていないし、『はじめまして』ていう母はいつも嬉しそうだったから、もしかしたら、復讐だと思っていた行為はすべて母自身が幸せになるためだったのかもって思っていたの」
 テイクアウトのカフェラテが出来上がり、レジカウンターへ栗原さんは移動する。
 すると、店主は私にこそっと耳打ちをし、栗原さんのカフェラテの入った茶色い紙袋を渡してくる。私は急いでよれよれの鞄から筆箱を取り出しに行く。
「たくさんお話しちゃったわ、長居してごめんなさい」
「いえ、お客様の少ない店ですから、いつでも」
「木崎ちゃんにも長く話に付き合ってもらちゃった。でもなんだか話せてよかった」
 栗原さんはトレンチコートを着て、鞄を持ち上げ、出口へ歩いていく。その姿を追いかけて、私は紙袋を手渡す。
「栗原さん、カフェラテです」
「ああ、忘れていたわ、ありがとう……」
「私の初めてのお客様です。私にとって特別です。今日はありがとうございました、はすみさん」
 栗原さんは驚いたようだったが、タンポポが綿毛を飛ばすように、ふわりと笑ってくれた。
 栗原さんがお店を出て、店内はまた柱時計の振り子の音だけになる。
 店主は片づけをはじめ、私もカウンターを拭き、クッキーの乗っていたお皿を洗う。このクッキーが絶品すぎて、すぐに食べ終わってしまった。
「私、栗原さんとお話できてよかったです」
 よくわからないが、感想を言いたくなって、彼に話しかける。
「良かったです。木崎さんなら、きっとうまく話を聞けるだろうと思っていました」
「……どういうことですか」
「木崎さん、最初に履歴書をお持ちいただいたとき、人の目を見て相手のことを良く知ろうとする雰囲気が出ていました。きっと自分の中でもいろいろ考えながら、周りを見て、頑張って相談に乗ってくれる、そんな人なのではないかと思っていたんですよ」
「あんな十分くらいの訪問で、ですか」
「はい、勘でしたけど、採用の決め手の一つでもありました」
 私の勘は大当たりでしたね、と彼は笑う。
「ああ、あと採用の決め手はもう一つ、履歴書の字です」
「字……」
「ええ、きれいな字でした」
「あ、ありがとうございます」
「きれいな字は、相手の心をほぐし、信頼に繋がります。大事なことです」
 二十代に見えるのに、貫禄があるこの男は、たぶん人生経験が豊富なのだろうか。もしくはここに来るお客さんたちの影響か。このお店は一体何なのだろう。コーヒーは提供するがお客さんがいないからずっと一人の言葉に何時間も耳を傾けている。
「ここは、話せる喫茶店なんです」
 私が気になっていることの答えが急に飛んできてびっくりする。ちょうどお皿は洗い終わった。
「今日の栗原さんがお話されていた身の上話のようなことは、身近な人だと話せる人が限られてきます。身の上話はあまり人に聞かせにくい、と感じる人もいます。けれど、自分一人で決めた選択であっても、誰かにそれで大丈夫だよって言って欲しいときもありますよね。その大丈夫だよ、を言ってあげるのが、この喫茶店。今までは私の役割だったんです」
 これからは木崎さんも、と付け加える。
「でも、木崎さんは今日、栗原さんが言ってほしかった言葉を言ってあげることができていたように思います。『もう一度出会いたかった』。すてきなお話ですね」
 初めて人から言われた自分にできること。
「全く根拠はなかったんですけど」
「いいんです。実は、栗原さんは看護師さんなんです。だから認知症についてはかなり理解があるはずです。忘却にも個人差があることも。けれど、お父様だけをとことん忘れるお母様は、復讐しているのだと思うことで、栗原さん自身の中でお母様を救ってあげたかったのではないでしょうか。かといって、結婚に愛がないというのも、結婚を控えた栗原さんにとっては笑顔になれない話です。一人で立てていた憶測を、木崎さんも同じく思っていてくれたことが、きっと栗原さんに寄り添ったはずです」
教室から一人で出たときも、別に後ろめたさはなかったと思っていた。しかし、なんだか興を削いでしまいそうで嫌ではあったのだ。受験が大変なことはわかる。私だって、夏は受験生をしていた。していて思ったが、どんなに悩ましくつらい世界でも、それは結局、自分一人の世界なのだ。
 でも、ああやって人と話して、ため息をついて、ああ、悩んでる、という感情を共有することは、今自分がやっていることも今まで自分が決めてきたことも、間違っていないことを他人に確認してほしいだけなのだと思う。確認されたからと言って、その決定が大きく揺らぐことなどないのかもしれない。それでも話したくなってしまうのは、私たちがまだ若いからだと思っていた。
 でも、生きるのに慣れるなんてことはない。不安になったら誰かに話を聞いて欲しい。それは話しにくいことかもしれない。そんなときに、この喫茶店があれば、迷える人々は救われるかもしれない。
私は受験の悩みを誰にも相談しなかった。学校推薦をもらったことも、私の選択が私にとって正しいのだと自信もなく、一人でこそこそと悩んでいた。
でも今は少し、正しい選択だと思える。この店に出会えたことがその理由だ。
誰かに小さくてどうしようもない悩みを打ち明けることは、案外大事なのだと思った。
「木崎さん、はじめてうちに来られた時、とても悩ましそうな顔をされていましたけど、今はなんだか、変わりました」
「ちょうど推薦をもらった日だったんです。でもそれで良いのか、受験から逃げたのかとか考えて、自信が持てなかったんです。でも、今の選択でよかった」
 それは良かった、と彼は優しくつぶやく。
「これからよろしくお願いします。気になることは、遠慮せずになんでも聞いていいですよ」
 それなら今度、富士山の絵について聞いてみる。
「そういえば、お名前、聞いていませんでした」
「え、あ、私ですね。すみません。私は木月と言います」
「木月さん。なんだか似ていますね、木月さんと木崎」
 そうですね、と木月さんは笑ってくれた。誰かに笑ってもらうことはうれしいことだ。
「そういえば栗原さんのカフェラテのスリーブになんて書かれたのですか」
「ちゃんと接客要員として、お客様の誘客を少々」

 いつもの、と言ってもしばらく行けていなかった喫茶店の店主さんは相変わらず、静かに話を聞いてくれる人だった。少し違うのは、あのかわいらしいアルバイトさん。ゆったりとして、濃厚な時を紡ぐあの空間には珍しい高校の制服姿だったが、彼女の真面目さが、話の中から学べるものや人の気持ちを必死に吸収しようとする若いエネルギーが、ああ、話を聞いてもらえている、という安心感になって、つい話過ぎてしまった。
ふと、帰り際に渡されたカフェラテを紙袋から取り出す。あの喫茶店の店主はコーヒーマニアで、暇さえあればぐるぐるコーヒー豆を挽いている人だ。店内のコーヒーの香りがこの紙袋にもしみ込んでいる。だから、あの店の紙袋欲しさにいつもテイクアウトをしてしまう。
 カフェラテは紙のカップに入っており、コーヒースリーブには文字が書かれていた。
『はすみさん 素敵なお名前をこのお店で呼ばせてください またお待ちしています』
 高校生の女の子から手紙をもらってしまった。とても丁寧な字。繊細で、あたたかくて、彼女自身を表しているような。なんだかうれしくて、スキップでもしてしまいそうなリズム感で桜並木を進んでいく。落ち葉が増えて、寒々しい姿になってきた桜たち。川の流れの音がより寒さを増していく。空はもう暗い。星が澄んだ空に瞬いている。
 母が私の名を呼べなくても、父が私の名を呼ばなくても、彼氏が私をお母さんって呼ぶようになっても、彼女は私を名前で呼んでくれる。両親のことも、結婚のことも、ゆっくり考えようと思う。出会いに酔った結婚にも、挑戦してみようと思う。
 カフェラテはまだ温かい。