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6『アーサー王の死』『アーサー王物語』

 法政大学の授業「創作表現論」で学生が書いた作品の中から秀作を紹介します。第6回のお題は『アーサー王の死』『アーサー王物語』です。

「創作表現論」についてはこちらのページをご覧ください。

「アーサー次期生徒会長物語」 酒粕

 授業終了のチャイムと同時に教室のドアが手荒に開けられる。腹をすかせた野生の男子高校生たちが1階の購買へ奇襲をかける。先陣を切るのは筋骨隆々の運動部の男たちだ。我々は蛮族の略奪が落ち着いたころに階段を降り、売れ残りのパンを物色して、テーブルに座り、あれこれと話しながら食べていた。
「なあ水野、今度の世界史のテストの難問、何が出ると思う?」
 三田が焼きそばパンを口に含んだまま聞いてきた。名門男子校である我が校は、どの教科のテストも授業通り、教材通りに出題してはまるで差がつかない。そのため、難関大学で稀に出題されるような超難問がテストに含まれている。世界史のテストで毎回学年1位を獲得する俺に三田が聞くのはいつものことである。
「まだわからないけど、ル・シャプリエ法あたりが出そうだな」
「あー。マイナーもマイナーだな」
 まぁそのあたりだよな、と言わんばかりに頷いて焼きそばパンを口に運ぶ。佐原は知らねえよ、と今にもいいそうな顔である。
「知らねえよ、それ」
「お前は理系だからカテナリー曲線とか書いとけばだいたい当たるぞ」
 ひとしきりくだらない話をしたあと、我々2年生のフロアに戻ると、一角で人だかりができていて、続々と人が集まっている。何気なく様子を観に行こうとすると、後ろから走ってきたクラスメイトの豊田に肩を叩かれる。
「エロ本だ! エロ本! エロ本!」
 それだけ言うと豊田は、運動部の集合のように走ってその集団へ向かっていってしまった。去年の体育祭の騎馬戦で活躍した時よりも喜々とした表情で発せられた、豊田の突然の汚言であっけにとられたが、近づいてみると状況がわかってきた。
 社会科準備室の引き戸の間に、B5ほどの大きさの黒いビニール袋が挟まっている。どうやらそれがエロ本らしく、運動部の男がなんとかして引っ張り出そうとしている。他の生徒がそれを取り囲んで、コロッセオの見世物のように声援を送っている。体育祭の色別リレー並の盛り上がりである。これが偏差値75オーバーの男たちとは思えない。思いたくない。
「こいつらが官僚になったりエリートビジネスマンになったりすると思うと、頭が痛いな」
 俺の心を読むように佐原が呟く。続けて三田がにやにやしながら俺の方を見る。
「あのエロ本を抜くと次期生徒会長になれるらしいぞ」
「聖剣エクスカリバーかよ」
「『アーサー王の死』で刺さっている剣はエクスカリバーとは別物だぞ」
 一般の認識に合わせて発言しているだけだ、と言おうとしてやめた。その頃魔法陣の中心では、力尽きたバカが次のバカにバトンタッチし、『大きなカブ』状態になっていた。
「並べば引っこ抜きに挑戦できるみたいだな」
 佐原が指を指す先で、夕方のラーメン二郎ぐらいの、まあまあの長さの列ができていた。家柄の良い、品のある男が多いからか、やけに秩序立って列をなしている。その目的は下品極まりないのだが。
 俺はいいと言ったが、2人に強引に参加させられてしまった。以前生徒会に入りたいとこぼしたのがいけなかったのだろう。「一気に会長に出世できるぞ!」と、三田は息巻いていた。
 我々の番がやってきた。佐原が引っ張るがびくともしない。すぐに諦めて三田が引っ張る。それでも雑誌は抜けません。
 俺の番が来た。すぐに諦めるつもりだったが、軽く力を入れて引っ張ってみると……少し動いた? まさか、と思いつつも、今度は力を込めて思いきり引っ張ってみる。
 むしろ何故いままで抜けなかったのか、というくらい簡単に、すぽっと、黒いビニール袋が抜けた。
「おおおおおおおおおお!」
「水野がやったぞ!」
「さすがは優等生!」
 会場が一気に沸き立つ。割れんばかりの雄叫びがフロアをいっぱいにする。体育祭の結果発表を思い出した。そんなに喜ばれると嬉しいような気がしてくる。黒い袋を掲げてみせつける。俺が次期生徒会長だ!
「すげえよ水野!」
 三田と佐原も狂喜乱舞している。俺はここで雑誌の黒いビニール袋を脱がせた。
 さっきまでの騒ぎが嘘であったかのように、その場が静まり返った。親の葬式のような静寂に包まれた。
 俺が黒いビニールを外すと、そこに現れたのは、世界史の参考書であった。それも俺が知る限りなかなかの難易度のものである。世の受験生の9割はこのレベルに到達しない。
 みんなが落胆するのが手にとるようにわかった。あんなに情熱を注いで追い求めた結果がこの参考書であったのだから、仕方ない。こんなに落ち込まれると、俺が悪いような気さえしてくる。ごめんみんな。しかしこいつらは自分の気持ちに正直だな。
 皆がとぼとぼと、各々の教室へ戻り、闘技場は雲散霧消した。我々3人だけがその場で立ち尽くしていた。
「まあ、お前にとってはそっちの方が嬉しいんじゃないのか」
 不敵な笑みを浮かべ、佐原が小突いてくる。
「俺達も戻ろうぜ、アーサー」
 イラッときたがスルーし、我々は教室へ戻った。俺は次の世界史のテストでも学年1位を獲得したし、生徒会長にもなれた。

「浮いた心は国をも滅ぼす」 松嶌ひな菜

「浮気ってさ、どこからが浮気だと思う」
「…それ、浮気相手に聞くこと?」
 玉ねぎを炒めている最中、投げられた問いにそう返すと、はは、少し困ったような笑い声がかすかに聞こえた。いま、すこし眉を下げてるでしょう。見なくてもわかる、そのずるい表情。
「逆に、どこからだと思ってるの」
 いつもなら聞けないことだから、変に緊張して、油のはねる音に紛れてもいいと思いながら声を抑えてそう聞いた。それでも、そうだなぁ、と当たり前のように聞き取ってくれる、そういうところがたぶん好きなのだ。
「関係を持ったら、浮気だと思う。一緒に食事をするくらいなら、浮気にはならないけど、触れたり、頻繁にデートしたら、浮気になる、のかな」
 最後の方は、自信なさそうに途切れ途切れ。特定の人以外といるときに、どこからが浮気だろうなんて考えたら、それはもう始まってると思うけどな。
「気持ちが浮ついたら、浮気だよ。読んで字のごとくだよ」
 そういいながら、鶏肉を一口大に切る。なんとなく、包丁を握る手に力がこもってしまって、ぐにゅ、と鶏肉が身をよじる。
「そうかぁ、じゃあこれは浮気だな」
 ふ、と背中が温かくなった。キッチンに立っているときに、後ろからぎゅってされるの、わたしが弱いって知ってるんでしょう、どうせ。
「いま包丁使ってるから。危ないよ」
「るなちゃんに刺されるんだったら本望だよ」
「またそういうこと言う」
 切った鶏肉をフライパンに入れる。じゅぅ、といい音がして、耳元の吐息を一瞬かき消す。
「なに作ってるの」
「当ててみて」
「オムライス」
「早いよ」
 腰に回した手をぎゅう、と絞められて、邪魔だよ、と言う自分の声が、どう聞いても邪魔そうには聞こえなくて嫌になる。
「昔ね、ある王様がいたんだって」
「急に何?」
「その王様には、お妃さまがいてね。そのお妃さまが、ある騎士のことを好きになってしまって、浮気をしてしまうの。そしてその騎士も、お妃さまのことが大好きなんだけど、別のお姫さまが、その騎士のことをとても好きになってしまうの。好きすぎて、騎士を騙して関係を持ってしまう。騎士がお妃さまと浮気をしていたことで、王の周りの者がすごく怒って、王と騎士は戦いをしなくてはならなくなる。最終的に王は死んでしまって、騎士と妃は禁欲生活を送りながら、弱って死んでいくっていう、悲しいお話があってね」
 耳元でなめらかに話す声を聞いて、このひとはいつかお父さんになったら、読み聞かせが上手いだろうな、なんてことを考えた。
「国を滅ぼしてまで、だれかを愛してしまうなんて、人間は馬鹿だね」
 そう言うと、頭をそっと撫でられた。手つきの慣れた感じが、今日はやけに悔しい。
「彼女にも、そうやってしてるの」
「嫉妬?可愛いなぁ」
 してるかどうか答えてくれないということは、きっとしているのだろう。
 冷ご飯を入れて力任せにつぶしながら混ぜる。ケチャップ取って、というと、長い腕が隣の冷蔵庫を開けた。ひやり、と冷気が漂って、なんだか泣きそうになった。
「ねぇねぇ」
「ん?」
 受け取ったケチャップを絞り出して混ぜると、白いご飯がきれいな赤に染まっていく。
「国が滅んで、騎士と妃は浮気したことを後悔したかな?」
「したと思うよ。ふたりとも、最後は二度と生きて会わないことを誓うんだ」
「それができるなら、もっと早く会わない約束をしたらよかったのにね」
 チキンライスをお皿に盛って、卵を割りながら言った。すこし自嘲をこめた声。
 くるくる、と溶いてフライパンに流し込む。やさしい黄色が、すこしずつ固まっていく。
「ひっくり返すから、ちょっと離れて」
「ん」
 くるり、とフライパンを裏返したら、薄い卵はほんの少し破れてご飯を覆った。隠すように、ケチャップでぐりぐりとハートを書く。あてつけみたいな、重たい、ハート。
「るなちゃんは料理上手いな」
「彼女より?」
 答えないだろうな、と思って聞いたのに、
「誰っていうか…知ってる人の中で、一番上手いよ」
 いちばん。
 浮気相手が、絶対にもらえないそれを簡単に向けられて、こんなことがどうしようもなく嬉しい。
「早く食べよ」
 真正面の席に座って、二人仲良く手を合わせる。まるで仲のいいカップルみたいに。
 いただきます、と神様に挨拶なんかして、今夜もわたしたちは浮気をしている。もしかしたら、国よりも大事な何かを滅ぼして。

「君と二人、空想の旅」 岡本夏実

「ねえ、あなた、そろそろご飯が出来るわよ」
 扉の向こうから、妻が私を呼ぶ声がする。それがどうにも嬉しげで、早くとこちらを急かすようであるのは、今日の夕飯が、私達二人にとって特別なものだからだろう。それでも今まさにこの作業が調子に乗り出したところだったので、ごめん、キリのいい所まで進めてから行くから、と彼女の方を振り返らずに言葉を返す。すると途端にばたりドアが鳴って、大きな足音を立てながら妻がこちらに走ってきた。そして長い腕を甘くぐるりと、私の肩口に絡ませた。
「ねえ、それって夕ご飯よりも、私との時間よりも大切なの? 別に後でもいいのなら、先にご飯にしましょうよ。もうすぐお肉が焼きあがるのよ」
 今日のはバッチリ下味もつけて、焼き加減だって完璧なんだから。しばらくずっと教室で練習してきたんだから、味に自信もあるのよ?
 そう私の耳元でその可憐な唇をさざめかせる彼女に、いつだって私は敵わない。すまない、許してくれ、とそう口にして振り返ると、彼女はやった、とその口元に笑みを浮かべ、それじゃあ行きましょ、と私の手を引いた。
 前菜からコーヒーまで、あなたに聞いたお話通り、全部美味しく仕上げてあるの。どれだって自信作なんだから、今日だけは一緒に食べたくて。そんなことを聞いてしまえば、途端にお腹が空いてきて、ぐう、と鳴ったその音を彼女に聞かれてしまう。気恥ずかしくて顔を伏せた私に、それでも彼女は優しく微笑みかけてくれた。
「おお、これは凄い。まさに、あの本にあった通りだ……! ああ、君は何て素晴らしいんだ」
「まあ、ね。あんなに目をキラキラさせて語られたら、私だって張り切っちゃうわ。それに、私だって食べてみたいと思ったんだもの」
 昼間からずっと篭っていた書斎兼研究室を抜けて、十数歩としないうちに辿り着いたそこは、今日はその趣を変えて、何やら異星風の情緒を漂わせていた。この近辺では中々見かけないこの色調も、部屋のあちこちに置かれた小物も、そして何より、部屋の中央のテーブルに置かれた彩り鮮やかな料理たちも、全てが彼女によってあつらえられたものだ。そしてそれらは全て、私があの書斎で見つけ、彼女に語ったものなのだった。
「ああ、本当に、夢みたいだ」
「まあ、ある意味では夢そのものね。こんなお部屋もお料理も、私、あなたから聞くまで想像したことも無かったわ」
「僕だって、実際に目にしたことがある訳じゃないよ。今回元にした本には挿絵も無かったし。そういう意味では、君がいて初めて、この夢はこうして形になっているんだよ」
「まあ、嬉しいわ。そうそう、こんな感じでいいのなら、そろそろ絵の方も仕上がると思うのだけど、……締め切りまで後何日あったかしら」
 褒められた嬉しさからか緩んでいた顔を一瞬引き締めて、彼女は僕に問いかけた。僕自身はもう乗り越えたそれを思い返して、その日数を告げる。そう、あれは、確か。
「明後日が締め切りだったはずだから、後二日ってところかな。……大丈夫そう?」
 それを聞くや一瞬彼女は一瞬顔を曇らせてしまう。きっとこの光景を用意してくれるために時間をかけすぎて、本業の絵の方に力が入っていなかったのだろう。それでも、こうして形になったなら、彼女の筆が止まることは無い筈だ。彼女にとって、絵筆で魔法をかけることは簡単なことだ。今日だって、これまでだって、部屋にキャンバスにと魔法をかけて、誰もの心を奪ってしまう。今回もきっと期日までに、さらりと片付けてしまうのだ。だから僕は、きっと大丈夫だよ、楽しみにしてる、と更に続けた。勿論、もし駄目そうなら僕がごねて締め切りを伸ばせるように担当さんと戦うから、と言ってみるのも忘れない。それでも今日は晴れない顔を続けていたが、君のためなら何日だってもぎ取って見せる、そう口にしたところで、彼女はようやく、もしそうなったらお願いするわ、と僕に笑いかけてくれた。
「まあ、締め切りなんて後で考えればいいんだし、とりあえず食べ始めちゃいましょうか」
 そしてそう続けたので、僕は彼女の言葉に従って、小さく手を合わせた。これは、僕がかつて訳した本の中にあった作法で、他にも色々あったかの地の食前の慣習の中でも特に気に入っているものだった。感謝を告げられて、個人主義で、一緒に口にする言葉もそう長くない所が特にいいと思う。
「うん、そうだね。それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
 かつて僕が気に入ったと熱弁したからか、彼女も僕と同じように、かの地の作法をなぞるようになっていた。それが今なおどこかこそばゆい。そんな気持ちを抱いたままでは、こちらを見つめる彼女の瞳を真っすぐ見てはいられなくて、僕はこっそり、視線の先にあったサラダをつついた。
「ねえ、そういえば、なんだけど」
 その矢先、彼女に話しかけられて、僕は思わずびくりと肩を跳ねさせた。なに、どうしたの。そんな言葉が裏返って喉から飛び出してしまう。しかし彼女は、僕のそんな様子も目に入らなかった様子で、今日は何の本を読んでいたの、とそのまま問いかけてきた。
「今日は……地球の、『アーサー王物語』とかいう本だったかな。イギリス、そう、緯度50度辺りにあった島国の王様とその騎士たちの話らしいよ」
「騎士、っていうとこれまでのお話にもよく出てきていたわよね。馬に乗って戦う、のだったかしら」
 そういえばそんな話も多かった、とこれまで手がけてきた本を思い返して思う。元にしている本の出土先が偏っているということもあっただろうが、どうにもそういう職業には固定のイメージが付きまとうらしい。思えば彼女に語ってきた話では、大概の「騎士」はそんな役だった。
「まあ大体そんなところかな。勿論まだ全部読めたわけじゃないけれど、馬に乗って戦うのを重視しているところはあったような気がするよ」
 それでもどうしてか、あの話に出てくる騎士は、そんな物語に出てきたそれとは違うような気がするのだ。これまでの騎士が綺麗な背景の大道具、あるいは「王子様」を彩る煌びやかなアクセサリーであったのに対して、今回のそれは、良くも悪くも温度があった。あれは、彼女に語ることが出来る話だろうか。騎士という言葉に多分に夢を持っている彼女に語りたいと、僕自身がそう思えるだろうか。どうにもそうは思えなくて、だから今回はどうにか話を濁そうと思った。
「同じ馬に乗っている人だと、白馬の王子様、なんて言葉もよく聞いた気がするわ。あれとはどう違うの?」
「うーん、騎士で王子様、っていうのも、騎士で王様、っていうのもいたから、違うようで違わないんだけど、全員でもないし、おとぎ話に出せるほど清廉潔白でもなかったから、あんまりこうして語りたくはないんだけど」
「今更そんなことは気にしないわよ。……ねえ、知ってるでしょ。私、隠される方が嫌なのよ」
 だが、彼女も中々鋭い。それに彼女は、話を濁されるのが、物語を隠されるのが嫌いなのだ。何でも知りたいし聞きたい、それが彼女の望みだった。
 このままでは、一から百まで語りつくすまで、彼女に許してもらえなくなってしまう。
 だが、彼女に満足してもらえる程、僕はまだあの本を読めたとは言えない。それにもしいつか読み終われたところで、あの話は一般向けの作品として出版することが許されるかも分からないのだ。そうなれば今、彼女に断りを入れて断片的にでも語ってしまうことが、結局は近道になるのだろう。僕は、意を決して、あの物語を、人間たちが紡いだ、あの何重にもベールの掛けられた数奇な運命についてを彼女に語ることにした。
「ああ、何というかね。お話としては、一人の立派な王の話、なんだ。うん、多分。何分保存状態があまり良くなくて、読めない部分もあったんだけど、そうでなくても僕自身はあんまり好きな話ではなかったかな」
「ふうん。まああなた、幸せな話の方が好きだものね」
「ああいや、幸せじゃない訳ではないはずなんだ。きっと幸せな時期というのもありはしたんだと思うよ。でも、ちょっと、いつもの癖がね」
 皇道歴も五桁を回り、平和な時代もそれだけ長く過ぎた現代においては、宇宙旅行は実に手軽なものとなっている。休日のドライブがてら副業のトレジャーハンター業に、なんて台詞が珍しいものでもなくなるくらいには、それは身近になっていた。
 そうなると、自然と各星の特徴に目が向けられるようになって、どの星が好きか、なんて質問も、もうありふれたものになってしまう。そして勿論世の中には、そうした問いを極めてしまう者も少なくない。
 僕もご多分に漏れずその一人である。理系ではないし数字には強くないので管理コードは忘れてしまったが、かつてその星に住んでいた知的生命体には「地球」と呼ばれていたという、岩肌のごつごつしたとある惑星が僕は好みだ。そういうとああ、という顔をされることが多いのは、この星が、我が星の資源採取計画の失敗例として、あるいはその際滅ぼしてしまったというその星の知的生命体が築いた文化から有名になっているためである。
 僕がこの星を好んでいる理由は最早言うまでもないだろう。彼女にも語っているように、今や仕事にもしているように、地球に住んでいた知的生命体、自らを人間と呼称していた彼らの作り上げた物語に興味を持っているからだ。
 世間的には、かつて滅ぼした知的生命体、なんて認知をされているこの生き物は、しかし一方では、我が星の持つ軍事力を見誤らずに我が星に恭順していたなら、今も友として近くにいたかもしれない、などとよく囁かれてもいるのである。実際、彼らの作り上げた文化に関しては、科学力や軍事力で劣る部分を除けば、十分同じ知的レベルに存在していただろうと推測できるものが多く発見されている。近年の宇宙旅行ブームも相まって何度目かのブームが起こりかけている、そうした「人間文化」の一つとして存在する物語、言うなれば「人間作家」たちの本を、この星の公用語に訳して一冊の本にする仕事をしている僕は、いうなれば、人間語の翻訳者であり人間文化の研究者である訳なのだ。そして妻はそんな僕の見出したお話を一番に聞いて愛してくれた愛読者であり、現在は僕が翻訳した本の挿絵を描く仕事もしてくれている。
 だが、そんな僕には、あまり良くないと言われてしまう癖がある。それは、人間の研究者でありながら、人間という生き物を好んでいると言いながら、だからこそ、人間が神と言ったものに縋るその姿を、人間が一時その理性を失うその瞬間を、好きになれないことだった。
 勿論僕たちの種族にだって感情はあるし、そういうものを好きになれないということ自体がその証明でもある。これは種族的なものではなく、どちらかと言えば家系的なもの、個人的なものなのだろう。もしかしたら、最近問題になってきている、「人間系」なんて呼ばれる若者世代ならもっと人間の物語に、人間の感情に共感できるのかもしれないが、翻訳作品を多く世に送り出し、そうした世代を生み出したと名指しで批判される僕自身は、どうにも人間の短慮さや情に駆られて動く部分が苦手なのである。
 だから、この物語に登場する騎士たちも、どうにも好きになれなかった。何故なら、
「あなたのいつもの癖、っていうと、ああ、もしかして、」
「どうにも皆、直情的で、考え無しで。僕は、人間の想像力ってものを愛してはいるけれど、ああいう姿を読むたびに、どうして滅びたか分かってしまう気がするんだ。それで、どうしようもなく愚かに見えて仕方が無くなる。……どうせ僕達だってそう変わらないなんてことも、分かってはいるつもりなんだけどね」
 それは例えば、本の序文や作中の随所で、キリスト教と呼ばれた人間の宗教が絶対の規準として愛されていることであったり、最後には他の宗教をついでのように攻撃していることであったり、イギリスとかいう国を愛する気持ちであったり、アーサー王他の人間達が、部下や大切な人を殺されて怒りに我を忘れる描写であったりして現れていた。
 それは必ずしも劣等の証明ではない。それでも、僕達星間人に見合う性質でもない。百年もすれば死んでしまう生き物だった彼らにとっては、短く熱く命を燃やすその生き方は合っていたのだろう。一つの宗教を絶対として他を見下し殺す姿勢だって、その短い一生の間に星間人以上に数を増やせるというあの生態を考えれば、そう悪いものでもなかったかもしれない。今回のこの物語だって、その当時はもっと人間の寿命が短かったことを考えれば、それに見合った熱を持つ素晴らしいものとして取れたのかもしれない。それでもそれは、優に数百年を生きる僕達に見合った熱ではない。
 だから今回の物語もまた、どうにも好きになれなかった。騎士物語とは大抵がそうである気もするから、結局、仕事でもないのにそれを読んだ僕が悪いのかもしれないが。それでも、僕はあの人間達を理解できなかったし、それを悲しく思っていた。
「本当に、いつもながら、人間の想像力というものには感服するばかりなんだけど。それでもね、やっぱりそこが気になっちゃって。やっぱり向いてないのかな」
 好きなものを読んで、語って、それを本にしよう、なんて言われて。そうしていたら人間系、人間世代、なんてものを生み出したと言われてしまうようになって、朝の情報番組なんかでも名前が出されるようになって。挙句の果てに好かれたり嫌われたり、二者の間へと押し出されるようにさえなってしまった。人間そのものの好き嫌いよりも、その文化の面白さ、より純粋なところにある興味が全てであった僕にとっては、それはただただ苦痛でしかなかった。
 それだけで、読まなければ良かったのかも、と思えてしまう僕はもしかしたら、こういう仕事には、この趣味には、向いていないのかもしれない。人間文明の主要な文字はあらかた読める、人間文学を読みやすく訳せる、なんて言われて仕事は絶えないし、わざわざ自分で集めなくても勝手に持ち込まれるそれを読むのも好きだが、こんなに疲れるくらいなら、いっそ全部放り出してしまった方がいいのかもしれない。もう読むのなんてやめてしまおうと、もう何度思ったことだろう。
 それでも、ああ、それでもだ。
「それでも好き、なんでしょう。今回だって、きっとなんだかんだ言って楽しんで読めたんでしょう?」
「ああうん、まあ、展開はね。それに、まあ、その」
 僕が語って、君が喜んでくれるその顔を見るのが好きだから。
「ええ、ええ、大丈夫。言わなくたって分かってるわ。……ねえ、続きを聞かせてくれるでしょ?」
「ああ。このアーサー王っていうのは、イングランドっていう土地を治める王が、自身の臣下の妻に懸想したことがきっかけで生まれた子供なんだけど、でもこのアーサー王自身もね、もう結婚してて夫もいる血のつながった姉と恋に落ちるんだ。素晴らしい王になると言われていたこの王は、この恋がきっかけで神の怒りを買って、やがて王国をも失って戦いの中で死んでいくんだ……」
 だからきっと、君のために僕はずっと、読み続けるし語り続けるのだろう。もしかしたら僕よりもずっと、物語を愛する君のために。そして、君と共に、二人で夢を見続けるために。
                               fin

「佐久比詩郎のサブカル日記~『アーサー王の死』編~」 西島周佑

 佐久比詩郎は大学の図書館でノートパソコンと対面していた。詩郎の通う大学は田舎に作られたおかげで土地を多く保有している。そのためそこいらの大学よりも図書館が広く、蔵書数も他を圧倒しているらしい。そして今は週に一度ある授業を組む中で空いてしまった一コマの時間を潰している。画面の右側で適した文献を引用して、左側でスライドを完成させていく。アパートのWi-Fiは契約している通信量を超過してしまいすこぶる重いが、大学なら制限の無いWi-Fiがあるのでパソコンが本来のパフォーマンスを発揮してくれる。制限が来てしまったのは夢中になって長い落語をつけっぱなしにしていた、というただの過失だった。そして最後に結論を述べる一枚を書こうか、というところで画面の右下に表示されたデジタル時計の数字が目に入る。時計は次の授業開始の20分前を示していた。次の授業は図書館とは離れた建物で行うのでそろそろ移動することにする。完成している部分まで保存し、USBメモリを抜き取る。土地が余っているからと建物と建物の間隔を大きく空けられると、移動が大変だというのに気が付かなかったのかと疑問に思う。コンセントからノートパソコンのコードを抜き取り、パソコンとの接続部を外したコードとパソコンをリュックサックにしまって立ち上がった。
 図書館を出ると強烈な日差しが目を焼いた。反射で腕を掲げて影を作り目を瞑った。今日は天気がいい。頼んでもないのに陽気な太陽を受けながら舗装された道を歩いていると視界の先に妙な物が点々と配置されていた。不審に思いながらも進行方向なので近づいていくとそれが何なのかが分かった。それは舞台美術だった。大道具とも呼ばれる演劇や映画で扱われる、いわば偽物の空間を作り出すために必要な作品たちだ。縦横10メートル程度の正方形に広げられたブルーシート上に、人が乗れるような台やおそらく背景となるだろうパネルのような物などがあった。ペンキ生乾き注意と書かれたコピー用紙が端に張り付けられており、シートを取り囲む人口芝の緑色が眩しい。その中で一つ、詩郎の目を引くものがあった。
「……剣……?」
 自分にはちょっとした特殊能力がある。それは小説や映画や漫画アニメに至るまでサブカルチャーに触れるとその内容に関連した小さな出来事が身の回りに起こる、というものだ。ある時はトレーディングカードゲームのアニメを見た次の日に、久しぶりに覗いた古本店でそのアニメのカードを中古で買い取り販売を始めていた。またある時は水のCG表現が凄い海の映画を見た帰り、原付バイクでのすれ違い様に打ち水をぶっかけられた。もっともサブカルチャー作品に触れたとき必ず発動する能力ではなく、起こるかはまちまちなので特殊能力というよりも他の人よりも多く縁があるくらい、とも言える曖昧な代物だ。なので偶然の範疇、と言えばそれまでなのだが、統計的に自分がその偶然に遭遇する確率は常人よりも遥かに高いように思える。偶然は何度も遭遇しないから偶然だと言うのに。
 そして今回出くわしたのは石の塚に突き刺さった剣だ。おそらく本物の金属では無いが金属のような光沢がある剣が鞘もなくむき出して石の塚に刺さっている。これは――
「王の選定の剣……か」
目の前に現れた物体と関連したサブカルチャーはやはり“アーサー王伝説”だろう。
「アーサー王の死」という長編小説を昨日の夜に読み終えている。漫画やゲームを嗜む人間ならどこかで一度は聞いたことがある“アーサー”という名。鎧を纏った金髪の男女がアーサーと名付けられている例は詩郎も今まで何度も見てきた。まぁ今回は関連した物に遭遇しただけでこれ以上は何も――
「すげぇだろ」
起きない、と考えていると突如後ろから声を掛けられ、ビクッと背筋が伸びる。男性に声をかけられたのだと気が付き振り向く。
「あぁごめんごめん、驚かせちゃったな。触ったりしないならそのまま見てくれていいぞ」
振り返ると居た男は黒いTシャツに半ズボンのジャージという動きやすそうな服装だった。まだ寒い日もあるので衣替えが少し早すぎるようにも思える。覗く四肢は筋肉質で活発な印象を受ける。
「これ……全部あなたが作ったんですか?」
「あぁ。どうしても人手が必要なところは手伝って貰うけど。こだわりがあるからな、これだけは譲れねぇ」
文脈から会話を続けてみたが、それは凄い。何人かで作ったのだろうという前提のもと尋ねたのだが、まさかこれだけの数とクオリティの物を一人で作っていたとは。見た目の質感はどれも一目で作り物と分かるような仕上がりではない。
「あー何となく話しかけちゃったけど。君何年生?」
「二年生です」
「あーじゃあまだ授業が大変な時期だ。この時期に四年生がこんなに朝早くからいないとは思ってたから、一年生か二年生のどっちかとは思ってたけどな」
右手を顎につけてこちらをまじまじと品定めするように見てくる上級生に気まずくなり、質問をすることにする。
「去年もここで作業してらっしゃいましたっけ?」
「いや、今回の劇の製作からここでやり始めた。演劇部の技術力を見せつけて宣伝しようって訳よ。特にその剣は良く出来てるだろ? 実はそれもう乾いてるけど置いてんだよ。気に入ってるから」
確かにここを通る人の目には必ず留まる。わざわざこんな目立つところに置いてあるのはそういう魂胆だったという訳か。今日の朝はこの道を通らなかったが、もしかしたら朝から作業をしていたのかもしれない。
「凄くいいと思います。どれも本物みたいで」
「だろだろ~。いやぁ分かるやつにはこの凄さが分かるよな~」
自らの創作物が褒められて自分のことように喜ぶ上級生。
「舞台美術はもはや俺の使命だからな。普通の人間は使命なんてないだろ? けど俺にはあるのが嬉しくてやっちまうんだよな。出来ちまうことをちょびっとずつやってるとそのうち君も使命が見つかるかもしれないぞ」
よほど褒められたことが嬉しかったのか上級生は饒舌に喋り、どこかからかうような笑みを作った。そして詩郎から一度視線を外し、改めて舞台美術を見た。詩郎もそれに続く。全体的に落ち着いた色で仕上げられた立体物の中で、黄金の剣がひと際輝いて見えた。
「そうかも――」
詩郎が口を開いた途中でキーンコーンカーンコーンと大きなベルが校舎中に鳴り響く。十分前になるベルなので図書館前のこの位置からだとそろそろ移動しないと開始時間に間に合わない可能性がある。
「おっと悪いな声かけちまって。次授業だろ? まぁめんどくさい先輩に絡まれたと思って諦めてくれ」
「いえ、凄い物を見させて頂いて楽しかったです」
「ホントか? まぁお世辞でも嬉しいや。もし良かったら七月の終わりのどっかの土日で講演する予定だから良かったら来てくれ。舞台美術もここにあるのが全部じゃねぇからさ」
「都合がついたら伺せて貰います」
「ん。じゃあ呼び止めて悪かったな。授業頑張れよ」
と言って軽く手を振って別れた上級生は近くにあったベンチに向かった。よく見ると小さな鞄が置いてあり、そこに座って舞台美術に関心がありそうな人を観察していたらしい。立ち止まってまで見ていた詩郎に興味がわいて話しかけたのだろう。
 詩郎は授業が行われる建物を歩いて目指す。サークルを部と呼んで真剣に取り組む姿勢の上級生などとは初めて話した。面白い人に会ったな、という感想と共にベルが鳴る直前に言われた“使命”という言葉がやけに頭に残っている。“使命”という言葉でふと浮かんだのは王となる前の少年アーサーは剣の裁定で王となる使命に気づかされ、国を背負うとなったとき迷わなかったのだろうか、という疑問。
 己の甘さから自身の円卓の騎士団のうちで内乱を起こし、収まりきらなかった残り火の中、息子で円卓の騎士の一員だったモルドレッドに殺されて生涯を終える。王であり、騎士であり、気高い騎士の団結を愛していたアーサー王は一度はその手腕で国を大きく繁栄させたが、最終的には部下たちの殺し合いで国を滅ぼした。国に捧げた一生は国に殺されて終わったのだ。自分の使命だと信じたものに従ったアーサーは、結果だけ見れば失敗した。
 騎士として誰よりも強く、信頼していた部下のランスロットが王妃グィネヴィアと密会していた現場を押さえられてから、アーサー王の従える円卓の騎士団は崩壊を始める。そうして最終的にフランスへ逃げたランスロット討伐の間国を治めろというアーサー王の命令をモルドレッドは守らず謀反。さらにイングランド大陸のイギリス人の多くは新しい風俗習慣に惹かれるようにモルドレッドを支持し、苦楽を共にするといって味方になったという。アーサー王が面倒を見たかつての部下でさえ、復讐で乱心したアーサー王に味方をしなかった。
 学生の数が少ない道を速足で進む中、歩道の端に炭酸飲料の空き缶を見つける。唇の奥を噛みしめて苦い顔を作るが、誰かが捨てねばならないので屈んで拾う。
 騎士という二つの漢字の並びに詩郎はこれまでピンとくる人物がいなかったが、作中のガウェインは真の意味で最後までカッコいい騎士だったと思う。弟ガレスを殺されるまでランスロットを憎み切れぬ中立であり、騎士として最後まで王の味方であったガウェイン。ガウェインはランスロットに受けた怪我によって死ぬ間際でさえ、アーサー王を守るため憎き敵だったランスロットと和解して味方につけて欲しいとアーサー王へ進言し、それを伝えるランスロットへの手紙まで残した。円卓の騎士団の崩壊を招いたランスロットさえ、本に記されていた通りなら王を裏切るつもりは無かったのかもしれない。ランスロットはグィネヴィアの命を守ることに必死で、武装せず抵抗する力すらなかったガレスをガレスと気付かずに殺していたことを悔やんでいた。そして自分の行動が決定的な円卓の崩壊を招いたことを悔やんでいた。ただグィネヴィアと愛し合っていただけだった。全てが終わり、生き残って出家していたグィネヴィアと再会したランスロットは、二度と会わぬことを誓い同じく修道院へ出家した。そしてグィネヴィアが死んだあとは自ら食を断って病み衰え、死んだ。他の騎士ではアーサー王を王足らしめた聖剣エクスカリバーを湖の精に返還し、アーサー王の死を看取った若き騎士ベディヴィアの姿勢などはイギリスの騎士像がどのようなものだったか垣間見ることが出来た。
 詩郎は手に入れた固い缶の感触を確かめながら歩く。そもそも詩郎はイギリスの歴史書のつもりで「アーサー王の死」を読んだ訳ではない。たとえあの本の出来事全てが実際に起こっていた事実だったとしても、残されて綴られている文章は物語として脚色され、伝文と想像の織り交ぜで出来上がったはずだ。アーサー王の残っている逸話全てが偽りで、アーサー王など存在しなかったと言い切れる証拠がないとも序文に書いてあったが、荒唐無稽な出来事ら全て実際に起きたことは到底信じられない。本当にあった出来事なら夢があるなぁとも思うが。
「使命、かぁ……」
 ぼうっとそのフレーズだけ頭に浮かぶ。あの物語が実際に歴史に起こったことかどうかはさておき、あの中にいるアーサー王と円卓の騎士たちの多くはやりたいことを貫き通す信念があった。だから少年アーサーが与えられた使命に迷わなかったかの答えは、石に刺さった剣を抜くことができたアーサー王は迷うことなど許されなかった、ということなのかもしれない。石に刺さった剣を抜くことができ、それが王となる存在の証明だと言うのなら、そうするべきだと神の思し召しとも言える周りが授けた使命を、迷いなく進む以外の選択肢がアーサーという人間には無かったのかもしれない。もし自分がアーサーの立場だったなら別の者の方がもっと上手くやれるのではないかとかを考えて尻込みしてしまうだろう。
 普通に生きているだけの詩郎に使命なんて大層なものが与えられることなどそうそう無い。自分は一生のうちに何を成し遂げるのだろうか。そんなことを考えて足の進みが疎かになっていたことに気が付き、詩郎は空き缶を強く握りしめて走った。

「消えた王」 堀尾奏

 私の中には処刑台がある。私は父の代わりに処刑台の前に立ち続けているのだ。私は幻のレンガを積み重ね時を無為にしてきた。私は大きな城を築いてきたつもりであったが城は幻影にすぎず、私はせっせと自分の墓穴を掘り続けていたにすぎなかった。これから生まれ来る希望は私を滅ぼし、またその子も私の代わりに処刑台の前に立ち続ける運命にあるのだ。もう下らない仮面劇は終わらせなくてはならない。許せ! 我が子よ! 


 名君として人々に知られている王がいた。仮にその王の名前をKとする。Kは実に優れた名君であり、大きな戦争を平和的な終戦に導いたり、民主主義的な様々の制度を国に設けたりと、実に多くの功績を残しており、国民はKについて行けば戦はたちどころに収束し、永遠のユートピアに安住することが出来るのだと本気で信じていた。そんなKの奥方は今、一つの新たな命をお腹に宿していた。Kはいずれ生まれ来る我が息子のことを思い幸せな思いに耽っていた。
 そんなある夜の事、Kは夢を見た。Kは一匹の蝶になっていた。実に心地よい快感に包まれながらKは街中を飛び回っていた。しかし、次第にその心地よさは耐え難い苦痛へと変わっていった。街の中にある何に対しても手で触れてみるということが出来ないのだ。蝶となったKにとって町はまるで蜃気楼か幻影のように思われた。街の至る所に自らが果たした偉業の痕跡がある。Kの尽力により誕生した自由と幸福の国。しかし、Kはそのどれにも触れて確かめてみることが出来ないのだった。Kはついに街が幻影なのかそれとも自らの存在が幻影であるのかの区別がつかなくなりどうしようもないむず痒いような感覚を抱いた。Kは死のうと思った。しかし、蝶となった状態においては自殺を図ることすらできないのだった。生きているのか死んでいるのかもわからぬ、まるで幽体離脱でもしてしまったかのような感覚。
 Kはハッとして目を覚ました。Kは言い知れぬ恐怖と不安に怯えていた。「人生は砂のようなものであり、何かにしがみついてみたところで滑稽な仮面劇にしかならないのだよ。私が積み上げてきたものは虚構のレンガで造られた虚構の城だ。なくてはならないものなんて本当は何もなかった。」これはKの父が遺書にしたためた文章の一部分である。「いや、そんなはずはない! そんなことがあってたまるものか!」Kは自分に言い聞かせるかのように大声でそう叫んだ。
 次の日の夜のこと、Kの夢の中に魔女が現れた。「お前に未来の世界を見せてやろう。お前の倅が君主として王座に立った後の世界じゃ。」魔女はそう言うと大きな水晶玉を襤褸のようなみすぼらしい服の中から取り出した。水晶玉は不気味な青い光を放っていた。人を深い谷の底に溺れさせてしまうような青、人生を無意味化してしまう青。Kは水晶玉の放つ青い光に心を奪われていた。
 Kは気が付くと自国の市中にいた。だが、通り行く者は誰一人としてKの存在に気が付かなかった。Kは道行く人々に話しかけた。「おい、私のことが分からぬのか?」人々は皆怪訝そうな面持ちで「いえ、全く存じ上げませんね。以前どこかでお会いいたしましたでしょうか?」などと答えるのだった。Kは不安が体中の穴という穴から這い出して来るような感覚に襲われた。Kはなおも市中を探索していると次のような文言が添付された大きな銅像を見つけた。「我らが偉大なる君主アーサー王、我らを真実と平和に導きし救世主! アーサー王の世よ永遠なれ!」アーサーとは紛れもなくKの倅である。Kはまたその横に小さな奇妙な銅像を発見した。なぜ奇妙なのかというとその銅像には顔がなく、その真下に墓穴のように大きな穴が口を開けていたのである。そしてその銅像には以下のような文言が添付されていた。「ここに名もなき王の功績をたたえる! 我らが救世主アーサー王を生みし名もなき王の墓!」Kは愕然とした。すると突然、顔を包帯で覆った黒装束の大男たちがKの両腕をがっしりと取り押さえてKを墓穴に放り込んだ。男たちは言った。「馬鹿な奴だ。お前は数十年もかけてせっせと己の墓を掘っていたのだ。」Kの意識は暗闇の中へ消えていった。
 Kは目を覚ました。「ああ、何ということだ! いずれ生まれ来る希望が私を滅ぼしてしまう! 私の外部的経歴の一切は消し去られてしまうのだ。私は一体今まで何をしてきたのだ? せっせと自分の墓を用意してきたとでも言うのか? 私は無数のレンガを意味もなく積み上げて虚構の城を築いてきたにすぎないのだ。糞! 壊してしまえ! 私は透明人間になってしまうのだ。外部的経歴が消え去れば私も消滅してしまう。思えば私が積み上げてきたレンガに一体何の意味があっただろうか? なくて困るものなど何もなかった。全ては虚構の産物なのだ。いずれ生まれ来るものは老いぼれの存在をかき消してしまう。まるで黒板上のチョークの粉を拭き取るように! 人生など影絵の踊る束の間の地獄にすぎないのだ! 消し去ってしまえ! 何もかも! だが、親父も俺と同じ思いをしていたのか? 親父も俺と同じように処刑されたと言うのか? 親父が処刑され、それから俺は親父の代わりに処刑台に立ち続けていたと言うのか? 何と呪わしいことだ! こんな宿命をなぜ受け入れることが出来ようか? 待てよ、あの子もいずれは……」全てを終わらせなければならぬ。
 Kはその晩、妻の腹を斧で断ち割り、自らの手で我が子の命を奪った。「許せ! 我が子よ! これが私にできる唯一の救いなのだ! 愛する我が子に神の祝福のあらんことを!」Kは狂ったように大声で叫び、自らの首を斧で切断した。
 Kは犯行の前日に次のような遺書を残していた。「本当に恐ろしいのは戦争などではない。日常だよ。夜の静けさが私を戦慄させるのだ。私の中にはいつも処刑台が設置されていて、ほんのした弾みで死刑は執行されてしまうのだ。果たしてこの苦しみをこれから生まれ来るあの子に耐えることが出来ようか? せっせと砂の城を造りながら私たちは一歩また一歩と自分の墓穴に向かって歩んでいくのだ。」

「少年の戦い」 藤田海碧

 誰だって自分が特別だという感情を持ったことがあるはずだ。若い頃、特に思春期に抱きやすい感情。この感情が進みすぎると現代では中二病という病気にもなってしまうこともあるらしい。この病気は彼らの優れた想像力によって大きな力が体現したかのように錯覚させる。今回の話は、自分が特別な人間だと信じ込んでしまった12歳の少年の話だ。

 彼が挑戦を始めたのは約一か月前。
「うぉおおおおおおおおお!」
必死に力を込める少年の名前はジャック。彼は一か月前まで家の仕事の手伝いをするだけのただの少年だった。しかしそんな彼の人生が変わったのは、教会の前に現れた石に刺さった一つの剣だった。その剣が石に刺しただけの剣と違ったのは、この剣を抜いた者が王になるという文言とそれを証明するように誰にも抜けない剣。もちろん街の男たちは全て試した。彼の弟、4歳になる末っ子のチャーリーも試した。(彼は他の男にはできない事をやってのけた。彼は聖剣と呼ばれるその剣の柄を唾液で汚した)もちろん誰も抜けない。もちろんジャックも例に漏れず抜けなかった。しかし彼はこう考えた。
「王の称号は諦めず、思考を繰り返したものに与えられるものだ」
と。

 その日から彼は夜になると家族を起こさないようにゆっくりと家を出て剣を抜こうと試行錯誤していた。(夜に剣を抜きに行くのは昼だと家の仕事の手伝いや兄弟の面倒を見なければならないからだった。そう、ジャックはいい子なのだ。)
ジャックは今までさまざまの方法で剣に勝負を挑んできた。

ROUND1
 まず試したのはとにかく毎日力を込めて剣を引っ張るということだった。力を加え続ければいつか抜ける。それが彼の出した回答だった。しかし惨敗。引っ張り続けた結果変わったのはジャックの掌の皮の厚さだった。

ROUND2
 次に試したのは剣が刺さっている穴を広げるように剣をぐるぐる刺さったまま回そうと頑張った。穴が緩めば剣が抜ける。彼の出した二回目の回答。しかし今回も惨敗。穴が緩むどころか剣は一ミクロンあたりも動かず、変わったのはまたしてもジャックの掌の皮の厚みだけだった。

ROUND3
 ジャックは掌の痛みの中で気付いたのだった。手がダメなら足を使えと。それから毎晩ジャックは蹴った。聖剣を。この時のジャックの頭の中ではこれが正解だった。頭の中には聖剣を足蹴にしているなんて一切思っていない。彼の中で聖剣を抜くために必死な自分は美しいものだったからだ。しかし、やはり惨敗。剣は動くことなく、罰当たりな行為のせいなのかはわからないがジャックの靴はボロボロになり、そのせいで母親に叱られ、当分の間裸足で生活することになった。(裸足で剣を蹴ることはできず、この作戦は続行不可になった。もし作戦続行だった場合、罰当たりにもジャックはあと3日もこの作戦を続けようと思っていた)

ROUND4
 ジャックが昼に仕事の手伝いをしていると婦人方の会話から
「剣を抜くには手か口よ」
と聞こえてきた。ジャックは思わず耳を大きくする。
「やっぱり上下運動が大事よね」
そう聞いたジャックはさっそく今夜試そうと夜を待った。
次の日の朝、ジャックの手と舌には切り傷があり、その方法をそれ以降試すことはなかった。

ROUND5
 そして現在、彼は力を込めてハンマーを振っていた。ジャックの出した最後の作戦は
「剣が抜けないなら台座の石を壊せばいいじゃない」
だった。
ジャックは舌と手を切った次の日の晩からハンマーを振り続けた。渾身の力を込めて。叩くたびに心地の良い金属音が響く。石とハンマー、明らかに勝負はすぐ着くはずだった。しかしこの石、実はただの石ではない。聖剣よりも固い素材で作ってあり聖剣よりも頑丈なのである。金を隠す金庫は金よりも固い素材で作るのと同じ理由だった。しかしジャックはそんなことは知らない。彼は毎晩ただただハンマーを振り下ろし続けた。
そんなジャックの右腕が左腕より太くなったころ、仕事の手伝いで街を歩いていた時にちょうど聖剣の前を通りがかった。今夜こそ抜いてやる。そう心の中で思いながら右腕に力が入る。早く夜になれと思っている目の前で聖剣は抜けた。
一瞬だった。
少年がパッと現れて、パッと抜いていった。しかもその剣を友達に渡そうとしているじゃないか。ジャックは膝から崩れ落ちた。
今までの努力がすべて無駄に終わったのだ。持つ者と持たざる者の違いを齢12にしてまざまざと見せつけられたのだ。ジャックの目の前は真っ暗になった。
しかし肩に置かれた手で現実に引き戻される。同情なのかと肩に手を置いた人物を見ると、大きな白髪を蓄えた背の低いおじいさんだった。しかし彼の身体はしっかりとした筋肉で覆われ、腰にはハンマーを携えている。
「君だろ。毎晩鳴らしていたあの心地の良い金属音。手の皮の厚さを見ればわかるよ。」
そう、これがのちに鍛冶屋王ジャックと呼ばれる少年の物語である。
これから彼とハンマーの紡ぐ壮大な冒険はまた別のお話。


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