【自己紹介】ミナヅキじゅんとは
はじめに
やあ、諸君。
最近、頭の中に色んな言葉が渦巻いていてね。研究成果や自分の成長について、記録をつけておきたいなと思ったから、Noteにまとめることにしたよ。
あくまで自分用のメモなので、その時その時辿り着いた考えが書いてあるだけで、それが正しいってわけじゃないけど…
自分が辿った軌跡が、誰かにとって必要な学びになることもあると知ったので、ここに手記を残しておく。
その前に、ぶっちゃけミナヅキって「何やってる人なの?」「どんな人なの?」って思ってる人もいるだろうから、ここに「ミナヅキじゅん」がどんな人物かという簡単なプロフィールをおいておくよ。
プロフィール
▼プロフィール
1993年6月21日、神奈川県生まれ、B型、女性
▼肩書き
「株式会社SQUAD.U」取締役 / シナリオ制作部門&音響制作部門統括
https://squad-u.com
▼職業
プロデューサー、作家、音響監督、音響デザイナー、声優養成所講師、星詠み師
※声優は別名義だから調べても出ないよ
https://twitter.com/m_juno888
▼作品のテーマ
「神話や伝承の再構築」
「"教え"の継承」
https://fori.io/minaduki-jun
スキル
・企画 / 制作 / プロデュース
・ストーリー原案
・小説執筆
・シナリオ執筆
・シナリオ協力 / シリーズ監修
・作詞
・音響監督 / 音響ディレクター / 舞台演出
・声優ワークショップ / 養成所講師
・ボイスカット / 整音
・BGM選曲 / 編集
・キャスティング
・発注業務 / 制作進行 / プロジェクト・マネージャー
・イベント企画 / 運営
・ホロスコープ・リーディング
・タロット&オラクルリーディング
・姓名判断
影響を受けたもの
小島秀夫監督作品、ジブリ作品、FF、KH、モンスターハンター、バイオハザード、ポケモン、美少女戦士セーラームーン、少女革命ウテナ、神風怪盗ジャンヌ、マクロス、ガンダム、エヴァ、ジョジョの奇妙な冒険、NARUTO、BLEACH、REBORN!!、D.Gray-man、HUNTER×HUNTER、銀魂、テニスの王子様、ハリーポッター、スターウォーズ
家族
株式会社SQUAD.Uは、家族で経営している小さな制作会社だよ!
大好きなミナヅキの家族を紹介するね!
父
2023年7月に亡くなってしまったよ。元舞台俳優で、小学校を回って公演をする劇団にいたんだ。三味線が弾けたり、ドラムが叩けたりしたよ。
それとは別にアイスホッケーのレフェリーや、医大のアイスホッケーチームのコーチもしていて「練習は月1回、合コンは週3回」みたいなノリの金持ちボンボンチームをちゃんと試合に出れるように育成していたらしいよ!
母
新体操クラブのコーチだよ。かつては神奈川県最強のクラブチームだった事もあって、全国区プレーヤーを育成していたよ。
県から表彰されるハズだったけど、表彰式の日を忘れてて、あとから賞状が送られてきた…なんてこともあったね。料理がとってもおいしいよ!
弟(長男)
スポーツメンタルトレーナーだよ。元々は映像制作&演出の会社で働いていたよ。今は母の影響で、スポーツ選手の育成に興味があるみたい。将来はサッカークラブのコーチをやりたいんだって!
弟(次男)
株式会社SQUAD.Uの代表取締役だよ。本人はアニソンDJをやっていて、楽しいイベントが大好きなんだ。元々は飲食業界で店舗運営してたんだけど、エンタメ業界で働きたくなったので、姉に巻き込まれて社長をやっているよ!
経歴
幼稚園時代
アホほど運動神経が良く、頭の回転も速かったから、運動やケンカでは誰もミナヅキに勝てず、あらゆる派閥からハブられ、一人で過ごすことが多かったよ!
「好きな女の子に手紙を書きたい」という思いから、ひらがなを書くことを覚えたよ。僕のオリジンかもしれないね。
小学生時代
ワープロで文章を書くことを覚え、自分の脳内イマジネーションの出力先として、小2で小説を書き始めたよ。二次創作を始めたのは高学年くらいからだね。
中学生時代
運動部に入ろうとしたけど、足の先天性疾患が痛み出して断念したんだ。そこで演劇部に入って、自分で描いた脚本に自分で出るということをし始めたよ。ネットを介してボイスドラマや声劇とも出会い、いわゆるボイスコや歌い手の活動を開始したね。Skype…こえ部…うっ…頭が…。
高校生時代
あまりに中学の成績が悪くて、行ける学校がなかったから、演技、歌、ダンス、楽器の演奏、殺陣などが授業のカリキュラムにある、いわゆる芸能学校に進学したよ。付属の芸能事務所に所属して、映像、舞台、声優、歌など、15歳から芸能活動をスタート。
専門学校時代
声優科で入学したけど、本格的に芝居を勉強したかったから、演劇科の授業を受けたり、卒業公演に出たり、演出助手をするという、異端児だったよ。外部の映像演出家さんには卒業間際に「え、お前、声優科だったの?」と言われちゃったね。
声優事務所が集まってのドラフトオーディションでは、当時の過去最多記録を更新したけど、自分で個人的に受けた事務所から合格をもらっていたから、全て蹴って、その事務所の養成所からやり直すとかいう、かなり調子に乗ったやつだったね。
養成所時代
卒業公演の選抜が始まる頃に、パニック障害になってしまったよ。発作で倒れることが増えてね。電車に乗れなくなって、失声症になったりもして、強制的に実家に送還されたんだ。
リハビリと再起
喋れないから、バイトもできなくてね。家族に迷惑をかけるばかりで、毎日死のうと考えていたんだけど、母親に言われた「みんなと同じじゃなくていいから、あなたはあなたにしかできないことをしなさい」という言葉を胸に「喋れないなら書こう」と、執筆活動を再開したよ。
同人サークル時代
喋ったり、人前に出れるようになった頃、同人サークルという形で、音声ドラマ制作や朗読劇の公演を打つなど、自主制作の活動を始めたよ。未熟ゆえに悪い大人に騙されたり、参加クリエイターと衝突したり色々あったね。それも全て経験さ。作った作品はファンから「聴く映画」と言われいてね、ミニシアターでの上演なんかもやったよ。
師匠との修行時代
同人サークルでの作品作りを介して、音響監督、脚本家、ボイトレの先生と、3人の師と巡り合ったよ。
音響監督の師には現場に代打で呼ばれるようになり、商業作品のディレクションを経験させてもらったよ。
脚本の師には、脚本の基礎を叩き込まれ、担当編集になってもらい「企画書を出して連載会議を通し、短編の連載をさせてもらう」というところまで面倒を見てもらったよ。
ボイトレの先生には、発声そのものの強化、フィジカルの強化をしてもらい、芝居と歌で再び現場に出れるくらいに仕上げてもらったよ。
ミナヅキじゅんの誕生
商業作品に関わることが増え、師匠たちに沢山の経験をさせてもらって、自信もついてきたこのタイミングで「自分で描いた作品をアニメ化して、それに声を当てたい」という目標ができたんだ。だから、声優事務所に所属し直した。この時、名義が別れて「ミナヅキじゅん」と、もう一つの名を持つことになったよ。
法人化
2020年から「ミナヅキじゅん」の名前を使い始め、そこから3年ほど個人クリエイターとして活動をして、ついに2023年の4月に法人化したよ。
最後に
自分の半生を振り返ってみたけど、なんかドラマみたいだね。
変わったところもあるけど、変わってないところもあるなと思ったよ。
未熟で調子に乗っていた時代や、挫折してからの暗黒時代、修行編からの再起後…君とどの時代に出会ったかは分からないけど、ミナヅキは常に成長&変化し続けているからね。
この先の物語も是非、その目で目撃してくれよな!
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