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【応募作品】祝福は白く咲く

この世には稀に、神に愛され「祝福」されて生まれてくる人がいる。声の祝福を受けた人は語ることで、その声を聴く人を癒した。木々の祝福を受けた人は、砂漠化が進み苦しんでいる地帯の緑化に貢献し讃えられた…。
いつどのタイミングで、その「祝福」と言われる不思議な才能が目覚めるかは、いまだに解明されておらず、またこの世にどれだけ「祝福」された人がいるかも明らかになっていない。謎に包まれたその才能を持つ一人が、僕の学校にいるということを、僕はつい最近まで知らなかった。

ある昼休み、僕はいつものように学校の図書館にいた。特別用事があったわけではないが、騒がしい教室よりずっと居心地は良かった。もうお察しかと思うが、僕は友達が多くなく、一人の時間を楽しめるタイプの人間だ。
気ままに図鑑を眺めることが好きな僕は、物語や小説の棚の横を抜け、いつも向かう図鑑の棚に足を向ける。魚の図鑑、星の図鑑、石の図鑑、蝶の図鑑…どれを手に取っても、僕は時間を忘れて楽しむことができる人間だった。図書館の隅の方にあるその見慣れた図鑑の棚の近くへ行ったとき、初めてそこに先客がいることに気がついた。

僕がいつも手に取る図鑑がある棚の前で、小柄な女子が分厚い花の図鑑を片腕に抱え、棚に並ぶ本の背をなぞりながら熱心に図鑑を選んでいた。あれは、同じ学年の…名前はわからない。彼女はすぐ僕に気がつき「すみません」と小さく言い、棚から離れた。真っ直ぐな黒髪がサラリと流れる。近くの窓から午後の日差しが差し込み逆光となって、その表情まで見ることはできなかった。
「あ、いや。大丈夫」何が大丈夫なのかと、我ながら突っ込みたくなるような返事をして、適当に目に入った図鑑に手を伸ばす。同じクラスのクラスメイトの名前すら把握していないような僕だが、自分以外に図鑑を吟味するような人を観たことがなかったので、変わった人だなと少し興味を持った。
それが彼女…白川すずとの出会いだった。

その日以降、図書館で彼女をよく見かけるようになり、顔を合わせることが増えたことでいろいろ話しをするようになった。
好きな科目は、次の小テストの範囲は、もう残り半年ほどに迫っている卒業後の進路は…取り留めなく、いろんなことを話す中で彼女は突然、数ヶ月前に「花の祝福」を受けたのだと語り出した。
「花の祝福って…実際どういうものなの?」
「うーん、相手の話をよく聞いてからその人の幸せや病気の治癒を祈ったら、それぞれに合った花を咲かせられるの。でも私、全然花に詳しくないから似たような花しか咲かせられなくて。たまに知らない花が咲くこともあるんだけど、それが何の花なのか知らないのも不便で」
だからとりあえず勉強してるの、と図鑑の表紙をそっと指の腹で撫でる。彼女は困ったような表情を浮かべて笑いながら、そんなわかったようなわからないような説明をした。
深く相手に共感して話を聞くことができれば、見る者を癒す花を咲かせられる。要は話の質によって、咲く花の質や量が変わり、彼女は会話相手と丁寧にやり取りをし、優しい言葉をかける中で咲いた花を持たせてやり、相手に癒しを与えるというような力を得たらしかった。「花を咲かせる」の意味が今ひとつ想像しきれなかったのだけど、あまり積極的に語りたくなさそうだったし、何より僕は、彼女と取り留めのない話をして、ただ静かに図鑑を眺めるだけの時間を大切にしたかった。

彼女は僕と違って友達が多く、よくいろんな友達を笑って廊下を歩いているのを見かけた。これまでは、誰がどこにいるなんて気にしたことなんてなかったのにと思い、自分の変化にも少し驚いた。些細な変化を伴いつつも、日常は続いていく。何も変わらないように見えたけど、祝福を得てから彼女の周りの環境は一変したようだった。

いつものように早めに昼食を済ませた昼休み、友達であることを理由に、祝福を見せてほしいとか、その力を貸してほしいとか言う人が増えたのだと彼女は嘆いた。
「私は何も変わってないつもりだけど、そんなことないみたい」
何か疲れちゃったなあ、と彼女はそう呟いた。
「誰の声に耳を傾けるか、なかなか匙加減が難しいんだよね」
「うん」
「でも、人の役に立てるのって、すごいことよね」
「そうだね、僕にはできないことだ」
「そうかな」
「そうだよ」
「君は話を聞いてくれるだけで私の役に立ってるけどね?」
「話しくらいならいつでも聞くよ」
思ってもいなかった返答に面食らいながら、素直にそう返す。
「私、もっと頑張りたいな」
「…僕も何か頑張りたい」
「いいね。お互い頑張ろうよ」
人の役に立つことを頑張りたいと、真っ直ぐした目で言う彼女に対して、何を頑張ったらいいのかわからない自分を情けなく思いながら、漠然とした自分の未来を思い描いた。
そんなやり取りをした数日後から、彼女の周りではより一層多くの大人が見られるようになり、だんだん学校でも彼女の姿を見かけることが少なくなっていった。そして、それに比例するように、日々テレビやネットニュースで「白川すず」の名前を見ることが増えていった。ニュースは実に眩しい内容のものばかりだった。彼女は日々たくさんの人と話し、奇跡の花を配り続け、たくさんの人を癒しているようだった。どこかの国のお偉いさんの心の病の治癒に一役買ったときなどは、号外が駅で撒かれるくらいの騒ぎになった。
もう、僕が図書館で彼女を見かけることはなかった。ふと気がつくと、誰かが借りたのか、いつもの棚から彼女がよく見ていた花の図鑑は無くなっていた。

ある日の夕方のニュースで、また彼女の特集を見かけた。それによると、彼女はいつものように花をもらいにきた人と話している中で、これまでに見たこともないくらい立派で綺麗な花を咲かせたのだという。画面の中で、その花を受け取った人は、たちどころに元気になり、まるで神を見るかのような顔で彼女を見ていた。そして、見るともなく見ていたそのニュースで、僕は初めて彼女の能力を目の当たりにする。VTRの中の彼女は、溶けるような優しい笑顔で老人と話をしていたかと思うと、胸元で両手を組んで祈るようなそぶりを見せた。すると、その組んだ手をそっと開くと同時に、手のひらの中から「花が咲き溢れた」のだ。それはCGに見えるくらい、本当に奇跡のような映像で、僕は思わず息を呑んだ。

「花の祝福は、水の祝福や風の祝福と同様に、何もない場所、つまり無からものを生み出せる、非常に特殊かつ稀少な祝福でー」
TVの中で、少し興奮したようなリポーターの声が説明をしている。今やもうすっかり遠くなってしまった彼女の存在を、目の当たりにした気分だった。
それ以降、何かコツを掴んだかのように、今までより一層、華やかで綺麗な花を咲かせ、周りの人を驚かせ喜ばれるようになった。祝福を持つ者は、その存在ものが「国の利益」になると見られていて、貴重なその姿に日々の報道も加熱していった。

図書館で彼女と話したあの時間は、まるで夢だったのではないだろうか。
そんなことすら思うようになったある日、相変わらず図鑑の棚の前にいる僕の前に、不意に彼女は現れた。
「やっぱり君はここにいたか」僕を見て、彼女は嬉しそうに笑った。
「びっ…びっくりした」
「元気?」
「うん、相変わらず。そっちは忙しそうだね」
「お陰様で」
できるだけ平静を装って話す僕の横で、まるでそうするのが当たり前と言わんばかりに図鑑の背表紙を眺め始めた。…少しやつれただろうか、元々小柄なのにさらに小さくなってしまったように見える。
「久しぶりだね」
次会えたら何を話そうなんてことも考えていたけど、それらが一気に吹き飛んで、それでも何か話したくて、僕は非常につまらないことを口にした。彼女はそれを知ってか知らずか、楽しそうにくすくす笑って答えた。
「うん、久しぶり」
「学校にはきてるんだ?」
「卒業はしたいからね」
せっかく入ったんだしと続け、しばらくの沈黙の後、彼女は棚の前に膝を抱えるようにして座り込み、独り言のように言葉を続けた。僕もそれに倣って、そっと隣に座る。
「祝福は、お金になるの。私は無償で花を渡したいくらいなんだけど、そうもいかないみたい」
「…うん」
「だから、いろんなことを言うずるい大人が寄ってくる。私はいま、誰が敵で誰が味方か、日替わりで渦巻くような中を生きてるの」
「…そうか」
「君は変わらないね」ちらりと僕を見上げて言う。
「まあ、うん。僕の日常は何も変わってないかな」
君のニュースに過敏に反応するようになっている、とは伝えなかった。変わらないと言った彼女の言葉に添いたかった。
「少し前に話題になった、すごい花を咲かせるコツ、教えてあげようか」
彼女は、棚の横にある窓の外を見ながら独り言のようにそう言う。
「教えられても、僕には咲かせられないけどね」
僕のつまらない冗談に、彼女はふふっと悪戯っぽく笑って言葉を続けた。
「嘘をつくの」
「嘘?」
「そう。大袈裟に相手に共感して、思ってないことでもたくさん褒めて慰めてってしたら、今まで見たこともないくらい立派な花を咲かせられたの」
「思ってないこと…」
「日々何十人、何百人と私のところに花を求めてやってくる。彼らは、私に用があるわけじゃない。私が咲かせる花に用事があるだけ。周りの大人は数をこなせと言うし、まるで機械みたいに笑って頷いて微笑んで、花を咲かせて渡すの。その繰り返し」
「それは…」
「これまでにない美しさと言われた花は、これまでにない上手な嘘から生まれたってわけ」
そうため息混じりに言うと、彼女は肩をすくめて見せた。
「いつまで、そういうことは続くの」
何もうまい言い方が思い浮かばなかった僕は、そのとき思いつくままの質問を投げた。
「…さあ?」
彼女は、少し悲しそうに笑って、もう行かなくちゃと立ち上がった。またねの言葉をそこに残して。

時の流れは無情なもので、刻一刻と卒業のときが近づいてくる。卒業をしてしまったら、もう僕の彼女の接点はなくなる。「またね」と彼女が言ったあの日から、もうずっと会えていない。学校にもあまり来れていないようで、ネットニュースなどでその名を見かける程度の距離感に落ち着きつつあった。
僕の日常は変わらない。強いて言うなら、進路を決めて自分なりに自分の未来を描くようになったことくらいだろうか。彼女のように世界に役立つような大きな役目を負うことはできそうにないが、図鑑好きを活かせる道を模索する日々を送っていた。今日も今日とて、図書館に行きいつもの棚に向かう。

何も変わらない見慣れた風景。そう思った瞬間、ずっと貸し出し中だった花の図鑑が、棚に戻っていることに気がついた。
根拠はない。でもきっとここまで花の図鑑を持っていたのは、彼女だとそう思った。
慌てて図書館の中を見渡す。彼女の姿はない。そのまま図書館を出て、学内へ続く廊下に向かったとき、ゆっくりそこを歩く彼女の小さな背中を見つけた。

「すず!」
初めてまともに、その名を呼んだ。彼女はパッと振り返った。そして僕の姿を認めると、そのままこっちに駆けてきた。
「君がいつもいるような時間に来たつもりだったけど居なかったから、もう会えないかと思った!」
セーフ、と彼女は笑う。
「…どういうこと?」
「私、特例で一足先に卒業することになったの。そのまま国の研究機関に行って、祝福を使いながら生きていくことになりそう」
淡々と、それでも意志ある目を僕に向けて、彼女はそう述べた。
「私、君にはまだ一度も花をあげたことがなかったよね」
返す言葉を探している僕に彼女は続けて言う。
「私のことすき?」
思うことはたくさんあったし、伝えたいこともたくさんあったけど、僕はどこまでも不器用で何一つうまく伝えられなくて、ただ、頷いた。
「よかった」
そんな僕を彼女は笑って見つめ、私も好きだったよと小さく告げて、祈るように両手を組みそのままそっと開いた。
そこにはたった一輪の、小さな白い花が咲いていた。

「これは、マーガレット」
彼女はそういうと、その花をそっと僕に渡し、じゃあねと笑って振り返ることなく去っていった。

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