デイヴィッド・トゥープ『音の海』とノンサッチ・エクスプローラーシリーズについてのエーテル・トーク、のようなもの

『intoxicate』Vol.75(2008年8月)

 おそらく多くの音楽愛好家は、それぞれのリスナーとしての経験にもとづいた独自の音楽体系のようなものを持っているのではないだろうか。それはよくあるディスクガイドの類の構成や順序にしたがったものとは異なるものになるだろう。歴史的に、時系列に沿って古いものから順番にとか、空間的に、ある地域の音楽を起点として広がっていくとか、あるアーティストを聴いたら次はこれ、といった明確に指示された関係性によってのみ連鎖していくとはかぎらない。それは線的に展開していくのではなく、むしろ離散的に分布し、一見無関係なように見えるものの集合となるだろう。一般的に体系化された、まさしくガイドに導かれた音楽の聴き方とは異なった、それらの点在する音楽同士の結びつきが、音楽聴取における個人史を描き出す。好奇心のおもむくまま積み重ねられた脈絡のない、ある断片的で非連続の連続のようなリスニング・リスト。一枚、また一枚と続いていくその連鎖が、また次の一枚を決定するという意味で決定論的であり、かつ予測不可能な、そのダイナミズムがまだ耳にしたことのない、自分にとっての新しい音楽との出会いと発見を導き出す。レコードを集めるようにして音楽を聴き始めたころの僕にとって、それは十分に刺激的で濃密な聴取体験として、現在にいたるまで自分の雑多な音楽的記憶を形成している。

 デイヴィッド・トゥープの名前を初めて知ったのは、おそらく、ブライアン・イーノが設立した実験音楽レーベル「オブスキュア」からリリースされた、マックス・イーストレーとのスプリット・アルバム『新しい楽器と再発見された楽器』(1975)の国内盤が発売された時だったか。もしかしたら、フライング・リザーズの二枚目『フォース・ウォール』(1981)の中で、トゥープのレーベル「クォーツ」からリリースされたニューギニアの「聖なる笛の音楽」の録音が音源として使用されている、というクレジットによってだったかもしれない。一枚目に参加していたジェネラル・ストライクがトゥープとスティーヴ・ベレスフォードとデイヴィッド・カニングハムによるユニットだということを知ったのはもっと後のことだった。どちらもリアルタイムに聴いた訳ではないが、当時「環境音楽」や「ミニマル・ミュージック」とともに、ワールド・ミュージックという呼称が日本で一般化する以前の「民族音楽」(エスノ・ミュージック)がポピュラー音楽周辺でもちょっとした話題になっていたころに、いくつかの伏線をへて、その名前にたどりついたのに違いない。いずれにせよ、そのような経緯によって僕の中でトゥープの名は、イーノやカニングハム、といった当時僕が強い関心を寄せていた音楽家たちと同系列の音楽家であると認識されることになった。81、2年ころのことだったと思う。

 以後、トゥープの名前はしばらく僕の記憶の中で、その当時のままとどめられることになるが、これは彼の活動のためというよりは、僕自身の音楽的趣向、あるいは音楽検索能力の問題であったろう。なにしろフランク・チキンズのプロデュースが、トゥープとベレスフォードだということも後になって知ったことだった。
 トゥープの初めてのソロ・アルバム『Screen Ceremonies』(1995)は、アンビエント以降のイーノの諸作品にも通じるような、どこか情景的で映像的なサウンドスケープという趣の作品だが、イーノの作品が「アンビエント」シリーズに特徴的な、ある場所の雰囲気を覆い隠すことのない、聴取における注意力のレヴェルを特定しない、音の透明度のようなものを持っているとのに対して、トゥープのそれはアンビエント的というよりは、題名からもうかがえるような、なにか濃密な気配のようなものを持ったもののように感じた。それはまた、即興音楽や民族音楽、さらにはダブやテクノといった、これまでのトゥープの音楽的記憶が十分に充填された音楽でもあった。その後、ちょうどイアン・ケルコフ監督の映画『テクノ』でコメントするトゥープの姿を偶然に見つけた頃だったろうか、1996年に発行されたのが、彼の二冊目の著作になる『音の海』(原題:『Ocean of Sound』)である。

 この本の副題である「エーテル・トーク、アンビエント・サウンド、イマジナリー・ワールド」とは、まさにトゥープの作り出す音世界のことを表わしているかのようであり、また以降、現在まで継続される彼の関心を端的に表わしている。それはすぐさまトゥープの代表作と呼ばれるものになったが、同時に発表された同名のコンピレーションCDは、おそらくそれよりも多くの人びとにこれまでの音楽編纂方法とは異なるアイデアと問題意識を与えることになった。CDは、この本で取り上げられている作品のいわば参考資料であり(巻末にも同様の、当然CD収録曲よりも多いリストが掲載されている)、また、その実演として機能するものである。キング・タビーからハービー・ハンコックへ、ガムランからドビュッシーへ、マイルス・デイヴィスからテリー・ライリーへと接合される楽曲は、ほとんどがクロスフェードによってつなげられているが、その手法はいわゆるDJ的なものではない。しかし、聴き手(あるいはDJ)による、創造的な音楽の再利用法、すなわち、過去の音楽をそれぞれが持つ文脈から引きはがしてミックスのリソースとし、その関係性を聴覚上の整合性(あるいは意外性か)のみによって利用するという態度と少なからず同調する部分もある。トゥープはこの本を、「最初はアンビエント・ミュージックについての概説」のつもりで書き始めたが、それは結果、音楽カテゴリーについての本ではなく、「カテゴリーの融解」についての本になった、と言っているが、同じようにこのCDも、文化的な分類や差異にもとづくカテゴリーを越えた「非線形的な媒介」によって、オルタナティヴな音楽の可能世界を示唆するものとなっている。
 断章形式の比較的短いエッセイによって構成された『音の海』は、トゥープの言うように、きわめて「個人的な本」である。そこには、さまざまな断片的エピソードや、自分のみた夢の分析、日記や物語のようなもの、数々の引用、などによって「聴くことについて」のトゥープ個人の「20世紀音楽の解釈」が緩やかに綴られている。どこか浮遊するような読後感を与えるのは、トゥープの記述が回想にもとづくものが多いためだろうか、バラードの「濃縮小説」のような趣もある。

 イーノとデイヴィッド・バーンの『ブッシュ・オブ・ゴースツ』が発表された1981年当時、その問題作には賛否がよせられた。時代はサンプリング文化やシミュレーショニズム以前であり、その批判は、作品に使用された(レコードからとられている)民族音楽が、脱文脈化されて作品に利用された、いわば文化的搾取だということにあった。同じころ、60年代から80年代初頭にかけて、音楽研究者によってフィールド・レコーディングされた民族音楽の貴重な音源によるシリーズ「ノンサッチ・エクスプローラー」が発売された。それは、イーノ&バーンやホルガー・シューカイの諸作品などによって、ポピュラー音楽(特に、ロック、ニューウェーヴ)の聴衆にも非西洋音楽の存在が、ビートルズや60年代末のサイケデリック文化が持ち込んだインド音楽以来、少なからず意識されるようになったことと符合していたともいえる。
 民族音楽学者ブルーノ・ネトルは、民族音楽の中で、20世紀の半ばころまでに顕著になりながら、学究的対象としては扱われてこなかったものとして「西洋と非西洋の要素が結合し、西洋の音楽の実践や概念が、非西洋の伝統をさまざまに変容しながら利用されているような音楽」(★)をあげ、それをポピュラー音楽と重要な特徴を共有するものであるとする。90年代のいわゆる「ワールド・ミュージック」の隆盛は、こうした民族音楽(世界音楽)に対する西洋音楽からの影響を背景にしたものでもあるだろう。民族音楽(あるいは伝統音楽)とは、「変わっていく同じもの」(リロイ・ジョーンズ)であるという意味で、「ノンサッチ・エクスプローラー」は本来、文化人類学、民族音楽学のフィールド・ワークとして記録された、貴重かつ重要な学術資料である。これらに、いま関心が向けられるということは、このような録音がクラブ・ミュージックなどにもインスピレーションを与えているという現状もさることながら、そこから逆照射して、たとえばこれらの音源のあるものから、言語が音楽と未分化であったころの原言語としての音楽にまで、インスピレーションを遡行させることだともいえるだろう。
 音楽とはエーテルからやってくる信号である、とトゥープは言う。1889年のパリ万国博覧会でドビュッシーがジャワ音楽に出会って以来、それは一世紀以上の時をへた絶えざる交信なのである。

 前述した「クォーツ」は、トゥープがエヴァン・パーカーとロバート・ワイアットの援助によって立ち上げた、民族音楽や即興音楽のためのレーベルである。パプアニューギニアのマダンで録音された「聖なる笛の音楽(Sacred Flute Music)」や、南ヴェネズエラのヤノマミ族のシャーマンのフィールド・レコーディング作品をはじめ、ポール・バーウェルとトゥープのデュオ作品、マックス・イーストレーとベレスフォードとともに行なった「回転するもの」による即興演奏の記録である『旋回する音楽(Whirled Music)』、ベレスフォード、ピーター・キューザック、テリー・デイとの即興演奏グループ「オルタレーションズ」、そして、キース・ティペットのグループで活動したパーカッション奏者フランク・ペリーのソロ・アルバムといった作品がリリースされている。

★—ブルーノ・ネトル『世界音楽の時代』細川周平訳、勁草書房、1989年


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