非凡さへの意志とでもいうもの ふたりのミュージシャンの急逝を悼む  キャプテン・ビーフハートとミック・カーン

『intoxicate』Vol.90(2011年2月)

 わたしたちが、ある音楽を初めて聴く時に、その音楽以前に既知のジャンルや分類があり、それらにあてはめてみることによって認識している、というのも一面では真実であろう。そして、わたしたちの指向性というものも、そうした参照軸にしたがって形成、補完されていたりもする。しかし、既存の分類や参照というものを受け付けない、これまでに似たものの存在しないような、唯一無二の音楽というものもある。たとえば、キャプテン・ビーフハートの音楽はそういうものだったにちがいない。
 キャプテン・ビーフハートこと、ドン・ヴァン・ヴリート(以下:隊長)が昨年12月17日に亡くなった。最後のアルバムが、82年に発表された『烏と案山子とアイスクリーム(Ice Cream for Crow)』だから、以来28年もの長きに渡り音楽活動から引退しており、もっぱら画家として活動していた。その間、多数のライヴ音源や未発表音源などのリリースはあったものの、待望された音楽界への復帰は叶わなかった。
 隊長の音楽とは、一体どんな音楽なのか。それが簡単かつ明解に説明できるとしたら冒頭の文章は嘘になってしまうだろう。1967年に発表されたデヴュー作『セイフ・アズ・ミルク』では、ライ・クーダーがギターを弾いていたりして、ジャケットもサイケデリックな雰囲気で、同時代のバンドとそれほど違和感がなく、とりあえずまだブルーズをベースにした音楽をやっていた。たしかに、隊長の音楽には後々まで、一貫してブルーズのルーツに根ざしたものだと言える。しかし、69年発表の超問題作『トラウト・マスク・レプリカ』は、隊長の盟友フランク・ザッパをプロデューサーに迎え、不協和音、引き攣ったリズム、隊長の咆哮が充満し、ブルーズに前衛ジャズの要素などが混合され、隊長の評伝を書いたマイク・バーンズにならえば「二十世紀全体を見渡してもごくわずかしか例を発見できないような、真にユニークな音楽表現」であり、「それまでのロック界に、まったく存在していなかった技法で作られた二十一曲」を含む全二十八曲(語りだけのトラックもあるから)からなる二枚組の大作となった。だから、それはこれまでに例を見ない音楽として現われ、たとえ、バーンズがその中にブルーズに根ざした「アメリカ文化のさまざまな側面」としての多層な言語や音楽の現われが見いだせると言っているとしても、いま現在までもその座を譲り渡そうとはしないのだ。ザッパのアルバムを多く手がけていたカル・シェンケルによる印象的な、というよりは衝撃的な、隊長の顔が鯉(鱒ではなく)になっているジャケットと相まって、そのインパクトを超えるものにはなかなかお目にかかれるものではない。
 まさに「美は乱調にあり」(80年の作品、”Doc at the Radar Station” の邦題でもある)を地で行くかのようにとらえられがちな隊長の音楽は、しかし、その無秩序でフリーキーな音楽という聴こえ方とは裏腹に、それは68年の秋から翌年の春までという長期に渡る非常に厳格な、というか常軌を逸した合宿リハーサルの末に実現されているものであった。この常軌を逸した感というのは、たとえばずべての楽曲を8時間半で作曲したとか、メンバーがまったくの素人同然だった、というようなトリヴィアルなエピソードにも表れている。しかし、隊長とともにツアーも行なっていた英国前衛ロック・バンド、ヘンリー・カウのフレッド・フリスが、そうして実現された音楽に対して「徹頭徹尾コントロールされている」とし、「インプロヴィゼーションからしか立ち昇ってこないはずのパワーが制御され、恒常化され、再現可能にされている」と評しているように、たしかにそれはなにか常人には到達不可能な何かを成し遂げたのだ。その証拠に、そんな隊長の作曲した、とも言えないような複雑怪奇な楽曲を、もちろん地獄の特訓によってだが、完璧に実現してしまったマジック・バンドは、ザッパを嫉妬させもしたという。
 前作のスタイルを継承しつつ、やや角を落とし洗練された70年の『リック・マイ・ディカールズ・オフ、ベイビー』をへて、隊長はより自身のルーツへと回帰していくようになり、それまでに比較して前衛志向を控えめにした『スポットライト・キッド』(72年)『クリア・スポット』(73年)からさらに聴きやすくなった『アンコンディショナリー・ギャランティード』や『ブルージーンズ・アンド・ムーンビームズ』(ともに74年)は、それゆえコアなファンからは当たり前の音楽に分類できてしまう駄作と看做されていたりもする。わたしはこの頃の作品も、どれも愛聴しているが、たしかにそれは経済的な理由による方向転換でもあったという。不仲説も浮上した、75年のザッパとの共演作『狂気のボンゴ』、結局はお蔵入りした76年の『Bat Chain Puller』をへて、一時は日和見主義に走ったのかと思わせた隊長が再度前衛志向を復活させるのがパンク、ニュー・ウェーヴの時代である。というよりは、パンク、ニュー・ウェーヴに対して、「恥を知れ」「情けない」「まったく気にしていない」としかコメントしていないのでどの程度意識していたのかはわからない。ただ、隊長自身がオリジネーターであるという意識はあったようだ。
 それにしても、発売元がヴァージンだったこともあってか、隊長のパンク以降の音楽(特に英国NW)への影響たるや、計り知れないものがある。日本では町田町蔵(町田康)の隊長好きはよく知られるところだろう。初期のペル・ユビュやフォール、バースデイ・パーティなどにはその影響が顕著であるし、ポップ・グループなどはかつての隊長のテンションを彷彿させるものがあった。89年には、やはり隊長好きで知られているアンディ・パートリッジ率いるXTCがシングルで『トラウト・マスク・レプリカ』所収の「エラ・グル」を完コピで録音していたりもする。
 60年代の隊長と並んで人気が高いのがこのヴァージン、NW期の隊長ではないか(ゆえに今回のヴァージン期の国内初CD化はめでたい)。お蔵入りした『Bat Chain Puller』のリメイク『シャイニー・ビースト』(78年)、『美は乱調にあり』、『烏と案山子とアイスクリーム』の三枚は、かつての『トラウト・マスク・レプリカ』を彷彿とさせながら、同時代的なアップデートを施された、どれも今の耳で聴いてもまったく古びるどころか輝きを増しているし、これからも時代を超越した、真にオリジナルな音楽であり続けるだろう。

 今年の1月4日に、もうひとり元ジャパンのベーシスト、ミック・カーンが鬼籍に入った。ジャパンの楽曲に聴かれる、あのフレットレス・ベースのフレーズは、スティーヴ・ジャンセンのドラムズとともに、バンドのグルーヴを特徴づけるものだった。ジャパンといえば、ポスト・パンク期の78年にデヴューした、ロキシー・ミュージックやデイヴィッド・ボウイなどのモダーン・ミュージックを滋養として育ったバンドである。それゆえ、カーンのフレットレス・ベースはどこか、ブライアン・イーノのアルバムにも多く参加しているパーシー・ジョーンズを思わせるところがある。ジョーンズがブランドXなどのフュージョン系バンドでも演奏するテクニシャンであるのに対して、カーンは楽器は独学で習得し、楽譜を読み書きはできなかったというが、81年のジャパン最後のスタジオ録音作品『錻力の太鼓』で聴かれるフレットレス・ベースは、大胆にシンセサイザーを導入したサウンドの中にもしっかりとそのフレーズを屹立させていた。
 かつてデイヴィッド・シルヴィアンがインタヴューで「ジャパンの中にミュージシャンといえるのは、スティーヴ・ジャンセンしかいなかった」という主旨の発言をしていた。それを読んだ当時、ミック・カーンは違うのだろうか?と思ったことを覚えている。彼のあの独特なフレーズを奏でるフレットレス・ベースや、アフリカン・フルートなどのさまざまな楽器を演奏するマルチ・プレイヤーとしての印象がそう思わせたからだろう。しかし、それはのちに矢野顕子の82年の作品『愛がなくちゃね』のレコーディングにジャパンのメンバーが参加した際に、坂本龍一が自身のラジオ番組で話していたことを聴いて、なるほどと納得させられた。それは、彼らは楽譜が読めないということは少なからず知られていたが、演奏は最初はうまくいかないが、レコーディングのテープを一度持ち帰り、ホテルで一所懸命練習し、翌日には自分のパートを完璧にマスターしてスタジオに現れる、という話だった。まるで、隊長のマジック・バンドの地獄の特訓ではないが、シルヴィアンが言っていたのは、カーンは体で覚え込ませるタイプの、感覚派のミュージシャンであるということだったのだ。ジャパンの末期には来日し、彫刻展を開いたりと、音楽にとどまらないアーティスティックな側面を広げていたように見えた。しかし、それゆえにシルヴィアンとのエゴの衝突があったのか、バンドはその頂点にして解散してしまう。
 ジャパン在籍時に制作された、ソロ第一作である『心のスケッチ(Titles)』(82年)や、残念ながらアルバム1枚しか残さなかったが、ジャパン解散後にバウハウスのピーター・マーフィーと結成した、ダリズ・カー(隊長の『トラウト・マスク・レプリカ』に同名の曲が収録されているが、その関係は不明)の『ウェイキング・アワー』(84年)では、自身の音楽的指向性が全面的に展開された非凡な作品となっている。それはフレットレス・ベースの不安定なフレーズを、キプロス出身という出自と重ね合わせ、自身のアイデンティティとするという表明でもあるかのように。

参考文献:マイク・バーンズ著 茂木健訳 『キャプテン・ビーフハート』河出書房新社


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畠中実による文章の練習です。プロフィールはベルリンにデヴィッド・ボウイの住んでいた家をたずねたクマです。 *おもにタワーレコードのフリーマガジン『intoxicate』が『musée』だったころの2001年から書いた原稿を順番にあげてます。ほかにも原稿をあげていく予定です。