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EDPS/BLUE SPHINX(1983)

EATERファンページHP「極私的80年代ディスク・レヴュー」第四回、2000年

*EATERとは、1995年に創刊された、日本のオルタナティブ・カルチャーを扱う雑誌で、発行はテレグラフ・ファクトリー。80年代には「テレグラフ・レコード」という、日本における自主制作レーベルの先駆け的な存在だった。代表の地引雄一さんは、写真家であり、日本のパンク・ムーヴメントにおける東京の中心的な動向だった「東京ロッカーズ」に深く関わった方。そのEATERのウェブの中に「EATERファンページ」というコーナーがあり、そこに数回「極私的80年代ディスク・レヴュー」という記事を投稿していました。2000年ころのことです。そのページもすでになく、四半世紀も前の若書き(若くもないけど)の文章を晒すのもはずかしいので、特に思い出深いものをひとつ。希望があれば、ほかのもあげるかもしれません。個人史における音楽との出会いというのは、なかなかおもしろいものですね。なお、文中の友人Sとは、坂本慎太郎です。



「あなたの人生を変えた一枚」ってなんですか?

なんて質問されたら少し悩むけど、きっとこのLPは五枚のうちには絶対に入ると思うな。いろいろ決定的に影響を受けたレコードっていうのはその時々にあるけれど、これは高校生の頃の僕にとってとても大切な一枚。「人生を変えた」なんて少し大げさに聞こえるかもしれないけれど、人生においてほんの些細なことが転機になることってあると思う。勝手にそんなふうに思われてもいい迷惑かもしれないけれどね。

高校生の頃、デヴィッド・ボウイの存在は僕にとって非常に大きなものだった。当然リアルタイムでは体験していないのだけれど、ボウイが「ジギー・スターダスト」になっても「ダイヤモンドの犬」になっても「痩身の白人公爵」(シン・ホワイト・デューク)になってもベルリンに引き篭もっても、その変容はつねに僕を魅了した。ボウイがその昔ウォーホルやバロウズやエゴン・シーレにやられていたように、僕もボウイにやられっぱなしだったのだ。そんな折、高校一年生の時、映画『ジギー・スターダスト』が公開された。しかも渋谷公会堂で。僕は大スクリーンで躍動するボウイ=ジギー・スターダストにただひたすらやられた。その夜、その日初めて会ったある人物と一緒に当時ほとんど飲めない酒を飲み、そして僕はなんとなく美大油画科進学を思いついた。まだ油絵の道具さえ持っていなかったというのに。

絵は下手な方じゃなかったから美術は好きだった。美大進学を決意するもなんとなくなにもせずに時間が過ぎていった十五、六の頃。先生に勧められて、放課後の美術室で石膏像をひとり木炭で描いたりしていた。ボウイやヴェルヴェッツやイーノなどが好きだったこともあり、その頃の僕の目を惹いていたのは、ポップ・アートやらコンセプチュアル・アートといった、いわゆる現代美術の作品だった。そんな画集などをひとしきり眺めていた僕の前に、突然古典技法で描かれたこのLPのジャケットが飛び込んできた。ツネマツ氏が東京芸大の油画科大学院中退という経歴を持つことは知っていたし、氏のデッサンがジャケットに使用されていたテレグラフからのEP『Death Composition』も持っていた。しかし《変容》と題された(ということは後日なにかのインタヴューで読んだ)その絵は僕を引きつけ、僕にとり憑き、気がつけば高校の美術室から油絵セットをひとつ拝借して家でせっせと模写をはじめていた。もちろんその頃はこれが古典技法であるテンペラ画だなどということは全く知らなかった訳で、今思えば油絵でテンペラ画の細密描写を模写するというのも無茶な話だが、実際それは氏の絵とは似ても似つかないものに仕上がってしまった。それでまったく別の絵として仕上げた。恥ずかしかったのかもしれない。

それから数年がたち、結局僕は、学科は違ってしまったけれど、なんとか某美大へ潜り込んだ。そして八〇年代も終わろうとしていた頃、いまではすっかり有名になった某バンドの友人Sとふたりで東京駅近くにある丸の内画廊で開催されていた恒松正敏の第二回個展へと向かった。そこに集められた絵は主にテンペラ画と水彩画だったが、クレーやミショーのような詩情を湛えたグァッシュによる水彩画は非常に魅惑的だった。それから僕は明治大学でミニコミを制作していた友人に「恒松正敏インタヴュー」を企画してもらい実現させた。それはしかし、開催中だった展覧会にあわせて、音楽のことを訊かないインタヴューにしようということになった。ルドン展を開催中だった東京は竹橋にある東京国立近代美術館で行なったインタヴューは、大袈裟かもしれないが今の僕への第一歩としてもほんとうに忘れることが出来ない。まったくもって稚拙なインタヴューだが、今でも時々読み返してしまう。やはり僕にはとてもいとおしいものだ。

さて、まったくディスク・レヴューになってないけれど、僕にはそういったものを超越した一枚だとしか言いようがない。ツネマツのギターはソリッドに、時にブルージーに、時にフリーキーに。ベースはオリジナルメンバーのヴァニラが一時脱退、午前4時のイデが参加。でもボーナスソノシート(時代を感じるな〜)ではヴァニラが復帰。BOYのドラムスはただひたすら重く深く響きわたる。ゲスト参加したノンバンドの山岸騏之介は流麗なヴァイオリンを聞かせる。全体的にサイケデリックなトーンとうねるベース。パンクというよりはロック。地引さんも言っていたかもしれないけど、どこか男気を感じさせるストイックな「かっこよさ」がある。

まあいろいろ書き連ねても、要するに別格扱いなのだ、このレコードは。

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