夏のフェイヴァリット3+3

『FADER』8号(2003年)、HEADZ
※2002年7月10日脱稿

 夏はあまり好きじゃない。とにかく暑いのが苦手で。それに比べたら冬は上着に凝ることだってできるし、寒いのには強いのだ。でも夏もそんなに悪くない。あのじりじりと照りつける強烈な陽光に熱されたアスファルトから立ち上る熱気に蜃気楼みたいに歪む風景の中を歩くこととか、あるいは、ときおり吹き抜ける風にそよぐカーテンとか、どこまでも高い空と入道雲とか、西瓜とか、昼寝とか居眠りとか、この季節に好きなものも多い。冬が来るべき春の到来を待ちわびる期待感みたいなものに彩られているとすれば、夏はその華やかさ、にぎやかさといった印象とはうらはらに、だからこそ、なにか去り行くものを名残惜しむような寂しさをどこか持っているように感じる。夏の夕暮れ、オレンジ色のぶよぶよの太陽がぐらぐらと西の空に沈んでいくどこかサイケデリックな光景は終末感たっぷりに、ファズのかかったギターの音がどこからか聞こえてくるみたいだ。
 夏は聴く音楽を選ぶような気がする。夏になるときまって聞きたくなる音楽、聴くといつかの夏にタイムスリップさせてくれる音楽がある。ドアーズの『太陽を待ちながら』は僕にとってずっと夏のサウンドトラック。「ウインタータイム・ラブ」はもちろん冬の歌だろうけど、なんだか夏にしっくりくる。「夏は去り行く」や「川は知っている」もどれも、サイケデリック。裏ジャケに写る長い影をひきずったようなメンバーの後ろ姿はばっちりソラリゼーションがかかっている。ニック・ドレイクの『ファイヴ・リーヴス・レフト』には太陽と暗闇とが同居している。真昼の太陽の下、自分だけ時間が止まったように行き交う人々をながめる。そんな孤独な音楽。パステルズの『モービル・サファリ』に収録されている名曲「マンダリン」に歌われるあまりにもせつない思いは遠い海に行った思い出。このままずっと眠っていられたらと思う。
 そして、この夏、新たに追加された夏のサウンドトラック三枚。
 テニスコーツの『エンディング・テーマ』は、秋へと移りゆく夏の終わりのように清々しさと物悲しさをあわせ持ったスローモーションの映像みたいな音楽。夏は急ぎ足でやってきて、あっという間に過ぎ去ってしまう。だからきっとみんな忙しそうなんだろう。そしてまた次の夏がくる。minamoの『.kgs』は、ジャケットに写る草原と素足がまさしく夏。レオ・レオーニの「平行植物」を題名にいただいた曲が入っているけれど、あんなへんてこな植物に囲まれているかのように部屋の空気を変えてしまう。さりげなく魔法のような音楽。小栗栖憲英の『modern』の真っ白なジャケットはまるで日記帳のよう。音も同様で非常にシンプル。だけどセンシティヴこの上ないピアノやアコギは雲ひとつない空を見ているみたいな気持ちにさせられる。すべての収録曲にタイトルはついていない。でも、だからこそ、僕はいつかの夏を題名に付すことができる。

 最近は夏といってもずっと室内にこもって仕事。通勤時間以外は夏を肌で感じることも少なくなってしまった。寝苦しい夜くらいがそのほんの少しの時間? だから夏の記憶というのはもう二〇数年遡った一〇代の頃の記憶だったりして。そんなわけで番外編として仲井戸麗市の『THE 仲井戸麗市 BOOK』を挙げておきましょう。

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