ブライアン・イーノ『Another Day on Earth』

『intoxicate』Vol.56(2005年6月)

 ここ十数年のポピュラー音楽とその周辺の拡張領域における実験的な動向を追っていくと、ブライアン・イーノという存在がいかに大きいか、ということにあらためて気づかされる。イーノは、コーネリアス・カーデューのスクラッチ・オーケストラやギャヴィン・ブライアーズらによるポーツマス・シンフォニアに参加するなど多くの実験音楽家たちと交流していたが、一九七一年にロキシー・ミュージック参加、テープ・レコーダーを操作し、シンセサイザーでノイズを発生させ、あるいは楽器をモデュレートするために使用し、といった実験音楽的で非ロック的な手法の数々をバンドに適用することで独自のサウンドを作り出したことはよく知られている。七四年以降のソロ作においても、ロキシーを継承するようなポップな面を持ちながら、次第に実験的な側面を拡大させ、七五年には、イーノが影響を受けた作品として挙げるスティーヴ・ライヒの「プロセスとしての音楽」を発展させ、「一度システムを決定した後は、作曲家がオブザーヴァーになるような」音楽として《ディスクリート・ミュージック》を発表。それはまた、「聴くことも無視することもできる音楽」という、七九年の《ミュージック・フォー・エアポート》によって提唱された、環境に同化し作用する「アンビエント・ミュージック」のコンセプトへと継続される。八〇年代には、それをより深化させ、アトモスフィアとしての音楽を制作する。その一方で、七〇年代末にデイヴィッド・ボウイと作り上げた三部作は、その後の多くのパンク、ニュー・ウェーヴのアーティストたちに影響を及ぼした。また、デイヴィッド・バーンとの《マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ》(一九八一)のような先見的な作品は、民族音楽やラジオのコラージュを多用した、サンプリング・ミュージックの嚆矢としてとらえられている。アンビエント・ハウス、エレクトロニカ、そして現在の非アカデミックな実験的電子音楽作品の数々にいたるまで、そこには直接、間接を問わず、イーノの反響(エコー)を少なからず聴くことができるだろう。

 八〇年代中頃からイーノは、録音作品にとらわれることのない、音楽を含む、さまざまな作品の発表形態を試みてきた。モニターを縦置きに使用するヴィデオ作品には、テクノロジーに依存するのではなく、そのオルタナティヴな使用法を試みるようなイーノの姿勢がよく表われている。また、展覧会におけるインスタレーション作品は、「アンビエント」「アトモスフィア」といったコンセプトの空間的拡張であり、インタラクティヴなCD—ROM作品《ヘッド・キャンディ》(一九九四)は、自己生成的音楽(ジェネラティヴ・ミュージック)として「プロセスとしての音楽」の延長線上にあるものだろう。そうした通常のポピュラー音楽の枠では収まりきらない実験的な作品を流通するために、現在インターネットでENOSHOP(http://www.recordstore.co.uk/brianeno/)が運営されている。おもにイーノのインスタレーションのための作品がCD化されており、イタリアの美術家ミンモ・パラディーノのインスタレーションのための作品や、弟のロジャー・イーノの作品なども発表されている。フリップ&イーノの七九年に録音された未発表作品からもすでに二十五年ぶりの作品となる《The Equatorial Stars》もここから発表されている。このような活動には、かつてイーノが主宰した実験音楽レーベル「オブスキュア」のイメージが重ねられよう。

 このたび発表される新作《Another Day on Earth》は、イーノにとって久しぶりのヴォーカル・アルバムとなっている。本格的にヴォーカルがフィーチャーされた本作は、イーノのヴォーカルを十分に堪能することができる、その歌声を愛してやまない人たちにとってはまさしく待望久しい作品であるにちがいない。もちろん、ジョン・ケールとの《ロング・ウェイ・アップ》(一九九〇)でも、ソロ作《ナーヴ・ネット》(一九九二)でもその歌声は披露されていたが、アルバムのほとんどがヴォーカル作品ということでいえば、初期の妖艶な面持ちの頃のイーノにまで遡ってしまうことになる。とはいえ、その当時のイーノがもつ、ある種のキッチュさはここにはなく、七〇年代中頃の雰囲気、しいていえば《ビフォア・アンド・アフター・サイエンス》(一九七七)の頃を思い出すような、浮遊感溢れる非常にイマジナティヴな音、そして歌が一体となって聴き手の想像力を喚起する作品となっている。

 一曲目より、寄せては返すようなコーラスに耳を奪われる本作でイーノは、詞作における困難さを語っている。なにか明確なヴィジョンというべきものを注意深く回避しながら、しかし、イーノのしつらえる精巧な空白のフレームは、リスナーのさまざまな解釈を許容するだろう。実験的な手法もそこには導入されているだろうが、ここ数年のイーノのプロデューサーとしての手腕も当然のこと発揮されているようで、全体的なトリートメントによって、ある意味非常に聴きやすいものとなっている。たしかに、イーノの音楽の最大の特徴と魅力とは、なによりもポピュラーであることと実験的であることが矛盾することなく同居している、ということであった。〈How many worlds〉や〈Just another day〉などの曲では、まるで宇宙から地球を眺めるかのような美しさを持ち、すぐれたメロディ・メーカーとしてのイーノがうかがえる。

 タイトルにある「Another Day」とは、あの傑作《アナザー・グリーン・ワールド》(一九七五)と共鳴するような、ここではないもうひとつの世界、そして、いまではない「いつかの」地球をイーノは想起しているのだろうか。そして、わたしたちは「またいつか」イーノと出会うのを待つことにしよう。

Brian Eno “Another Day on Earth” Beat Records (BRC-128), 2005

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?