ありそうでなかった「J-POP」? —コーネリアスとゆらゆら帝国のあらかじめ「J」でないPOP

『intoxicate』Vol.65(2007年2月)

 いつごろから「J-POP」(ここでいう「J-POP」とは、日本のメジャー・マーケットで流通しているポピュラー音楽の総称、と広義に解釈こととする)なる呼称およびジャンルが言葉として使用され、ある種の音楽がそれに分類されるようになったのだろう。しかし、この「J」という記号は、その文字自体が孕むドメスティックな志向性とはうらはらに、いわゆる洋楽/邦楽という分類とそれに起因するリスナー層の分離を超克するものとして広く一般に定着していったように思える。
 現在では、たとえば「日本語のロック」論争などの例にみられるように、ロックとは、米英産ロックを規範として、英語で歌われることによって継承されるべきものなのか、それとも自身のアイデンティティの依って立つ日本という場所に拠って日本語で歌われるべきなのか、といったかつての問題は当時と同じようには、とりたてて意識されることはないように思われる。「J-POP」とは、そうした対立項自体を無効化し、日本産の音楽であることを自明のものとして自身の音楽に冠したものの謂であるとすれば、かつては米英のポピュラー音楽との対比で聴かれることが避けられなかった日本のポピュラー音楽が、フォークであれロックであれパンクであれ、それらが生まれた場所や状況といった起源への憧憬と自らの場所との乖離のようなものを、反転、払拭させ、ある意味、居直ることによって「J」というアイデンティティを確立し得たのだといえるだろう。しかし、九〇年代に入って以降、このような「J-POP」という枠組みが設定、仮定されるのに伴って、それまでのメジャー市場で有効であったジャンル設定が更新され、多様化した、より巨大なリスナー層が欲する分類不能なさまざまな要素がそこになげこまれるようになると、細分化されたリスナー層がある音楽に求める基準とその分布やバランスが均一ではなくなるという傾向が顕著になってくる。それは、先にあげたような洋楽と邦楽のリスナーの分離をはじめ、聴きやすいポピュラーなものと聴き手を選ぶ類いのものやアヴァンギャルドなもの、単純化すれば、メジャーとマイナー/インディーズといった、二分化された目印、指標があまり意味をなさないという状況に端的に表われる。たとえば、九〇年代に勃興した「オルタナティヴ」(七〇年代末から八〇年代初頭の英国でのそれとは異なる)や、「ローファイ」といった動向は、六〇年代から七〇年代にかけてのいわゆるロックのパラダイムがすでに終了し、あらかじめそうした枠組みを喪失した、なにかが壊れてしまったあとの表現と言われた。だとするなら、現在の音楽シーンにあるものとは、「ロックのようなもの」にほかならず、洋楽/邦楽を問わず、細分化し異種配合を繰り返した末のミュータントのようなものかもしれない。このようなポストモダン的状況によって、あらゆる音楽スタイルはある種の記号として情報化され、ある音楽に含まれる内容物となり、それらに付されるかつてのジャンルの呼称は、それを指し示す成分表のようなものになる。
 その中で、あらかじめ「J」であることによって成立する、かつての洋楽コンプレックスのようなものを払拭した状態において、広義の「J-POP」(もはやここでは単に日本産のポップ・ミュージックと呼ぶに等しいものになってしまうが)からの遠心力によってはみだしていくものがでてくる。ドメスティックな求心力によって確立された「J-POP」という枠組みに対して、たとえば、アンダーグラウンドかつインディペンデントなミュージシャンたちが、むしろその特殊性によって、海外で日本のオリジナルな音楽として注目されるようになっている。
 たとえば灰野敬二、秋田昌美(メルツバウ)、大友良英、ボアダムスなどは、それを先導するようなかたちで海外で評価されているミュージシャンであり、国内でメジャーなものよりも知名度が高くワールドワイドな活動を行なっているといえる(しかも、ボアダムスはメジャーで流通しているという希有な例であろう)。こうした、かつてのような対局状況が瓦解していったのは「J」という内部が措定されたことによるところが大きいのではないだろうか。

 ここでは、いわゆる「J-POP」、メジャーのマーケットで一般的なポピュラリティを持つ音楽における「ありそうでなかった」スタイルの出現と、そうした変化が「J-POP」と呼ばれるジャンルにおいて、どのように準備され、受け入れられていったのかを、ひとつは、コーネリアスの新作『Sensuous』、もうひとつは、ゆらゆら帝国の『Sweet Spot』をとりあげて考えてみる。彼らがとりあえず活動の基盤とする、メジャーなマーケットの中で、これらの作品がどのように異質なものであるのか。「ありそうでなかった」ものとは、上述したことをふまえるなら、どのようなスタイルの音楽も想定可能、つまり「あって不思議はない」ものでありながらその想定を裏切るようなものとしてとらえられるだろう。
 日本のロック、ひいては日本のポピュラー音楽の動向の中で、「ありそうでなかった」ものとして記憶されるものに、一九八九年に発表されたフリッパーズ・ギターのファースト・アルバム『Three Cheers for Our Side』がある。それを初めて聴いたとき、英語の歌詞による、同時代英国ネオアコ、あるいは六〇年代米国ソフト・ロックに影響を受けたとおぼしき、非常に洗練されたスタイルが特徴的だった。当時は「日本語のロック」論争の時代からはすでに遠く、あえて英語で歌うということが趣味嗜好のレベル以外でとりたてて意味を問われるような時代ではなくなっていた。それは、吉田仁によるプロデュースによるところも大きかったかもしれない。英国のレコード会社からデビューという経歴を持つ、吉田と竹中仁見によるサロン・ミュージックにも共通する、ある種の「日本人離れ」した感覚とでも言うべきものをフリッパーズ・ギターも持っていた。しかも、感覚的に洋楽ファンという人種の、ある意味では偏見を満足させられる音楽が多くはなかった当時には、彼らの音楽は同時代の彼の地の音楽と共鳴する要素を持った白眉としてあった。そうした資質、および姿勢を、同時代の音楽動向に伴走しながら、その影響関係によってこれまで独自の音楽を作り上げることで現在まで一貫させているのが、フリッパーズ・ギターのひとりだった小山田圭吾=コーネリアスであり、コーネリアスのアルバムごとに聴かれる、その変遷とは、ある意味ではその時代の最良のドキュメントとして機能してきたということは確かであろう。
 コーネリアスによる五年ぶりの作品になる『Sensuous』は、しかし、前作『ポイント』で確立された、いわばコーネリアス・サウンドとでも言うべきスタイルを、より進化—深化させた傑作であり、一転オリジナルな独自の境地へ抜きん出てしまった印象がある。ソングライティングの妙にくわえて詩作の面でも独自の世界を確立し、ハード・ディスクレコーディングによって精緻にエディットされた緻密な音像定位を持った実験的なサウンド・プロダクションは、しかし、クリアかつタイトに仕上げられ、アヴァンギャルドなものが同時にポップでもあることを可能にした。ここには、欧米の「ポスト・ロック」などと同様の制作過程を持ちながら、その動向を意識したようにはまったく感じられない。
 一方、フリッパーズ・ギターのデビューと同年に結成されたゆらゆら帝国は、アンダーグラウンドな活動をへて、九七年についにメジャー・デビューを果たした(彼らのメジャーでの第一作『3×3×3』を小山田が絶賛したことはよく知られている)。この九〇年代の前半という期間には、いわゆる「ローファイ」「音響派」といった動向を挟んでいる。ゆらゆら帝国がそれらを参照したかどうかはさておき、彼らの作品に聴かれる音色、サウンドへのこだわりは一貫しており、インディ時代最後のアルバム『Are You Ra?』より、制作スタッフも一貫して変わらない。アンダーグラウンド・シーンでの活動で人気を得て、結成当初の屈折度の高いアクの強いサウンドから、六〇年代ロックの記号であるファズ・ギターを特徴とするストレートかつポップなロックへとスタイルを変えていきメジャー・デビューに至る。しかし、彼らのようなサウンドが現在のメジャーなマーケットにおいて人気を博しているということこそが、彼らがその異質なスタイルをもって受け入れられた、ということを裏づけるものだろう。まさしく、そのサウンドの持つスタイルこそがゆらゆら帝国を表象するものであり、それは、かつてのアルバム・タイトルである「めまい」や「しびれ」といった感覚を催させる、いわばロックの本質のようなものを体現していると言えるだろう。
 二〇〇五年、ソニーへ移籍後初のアルバムになる『Sweet Spot』は、彼らがさらに遠くまで行こうとしていることを実感させられるものだ。以前にあった疾走するファズ・ギターによるカタルシスはやや後退し、曲調は、そのモノクロのジャケット同様に深く沈み込むようなヴォーカルとアブストラクトな音響が、より異質な世界を作り出している。これまでもサイケデリック、ジャーマン・ロックといった記号によって通好みなロック・ファンを唸らせてきた彼らだが、本作ではそれを踏襲してはいるが、どこか時代感覚の不明瞭さは増している。「日本語のロックを演奏するバンド」としてスタートしたゆらゆら帝国(そのバンド名からしてドメスティックだが)には、「J」であることによって自足するのではなく、あらかじめ「J」でもないことによって、もはや、「J」という内部も、欧米の音楽動向という外部も必要のないものなのだろう。


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