ポル・マロ「Sketchy Pop-Ups」

『FADER』10号(2004年)、HEADZ

 ポル・マロに《Found Installation》という写真作品がある。そこには淡路島の海岸に捨てられ、放置されたゴミがただ写っているだけである。しかし、「見出されたインスタレーション」というそのタイトルの通り、この日常の端にあるような風景の一部である無作為に投げ出されたに違いないゴミは、ポルの視線によって切り出されてインスタレーションのようにどこか意図的に作られたもののような佇まいを見せている。つまり、積極的に「見出す」ことによってゴミが「放置」されている状態は「配置」された状態へと転換される。こんな風にわたしたちの日常空間には、なにげなく目を向けた先にアートを凌駕するようなとんでもないリアリティがころがっているのかもしれない。視線を向け視界を、空間を切り取る。それだけで世界の断片は新たな容貌をもって立ち現われる。
 ポルのインスタレーションを見ると、そのことがよく理解できるような気がする。無造作なアッセンブラージュのように見えるポルの作品空間は、いい意味で考え抜かれたものかあるいはそうではないのか、判断がつきにくい。つまり、日常の風景のようにできるだけ無作為に「放置」された状態に近づいていること。その中で鑑賞者はポルの作品をそれぞれ見出す。しかし、その不可思議なオブジェたちと、それに付随する解説とおぼしき長く難解なテキストは、作品を理解するということから鑑賞者を迂回させる。そうした再構成とその撹拌というプロセスにおいて、ポルの作品はさまざまな謎を「放置」していくかのように見える。
 「スケッチ」や「ドローイング」からするりと立ち上がってきたかのような、物の入れられないバッグや着られない服といった裁縫による「不思議な物体」の数々。オルデンバーグのソフト・スカルプチャーを彷彿とさせるエア・コンは電源コードの長さが足りずにコンセントに届いていない(会場はとにかく暑かった!)。ベニヤ板にブロックの輪郭をトレースして作られた塀は実物が一個だけ飛び出ている。あるいは、バルセロナで見出されたという刺繍の型紙に描かれた奇妙な絵のレディメイド。波板の貼られた屋根状の物体は、制作中は(ポルはギャラリーに一〇日ほど滞在し制作、設置を行なった)屋根のように置かれていたが逆さにされている。また、別室の小部屋に展示された脳をモチーフとした一連の作品。
 リアリティとイリュージョンという言葉が同じ植物の幹に描かれた写真が入り口に展示してある。この両者の間に現われるものが『Sketchy Pop-Ups』なのだろう。

「ポル・マロ Sketchy Pop-Ups」SCAI THE BATHHOUSE、二〇〇四年七月七日—八月七日

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