豊かな音楽体験を目指す者たちの闘いのドキュメント 『音楽を感じろ デジタル時代に殺されていく音楽を救うニール・ヤングの闘い。』

『intoxicate』Vol.146(2020年6月)

 現在、複製音楽を聴くメディアとして主流になっているのはデータ配信である。インターネットを通じてデータで音楽を購入する、あるいは、定額制音楽配信サーヴィスを利用するなど、スマートフォンや携帯デジタル音楽再生装置の普及にともなって、手軽にどこでも大量の音楽を楽しむことができる。一方、近年の傾向として、レコードやカセットテープなどのメディアが再発見され、CDに取って代わられた先行するアナログ・メディアが、CDよりも売り上げを伸ばすケースもあるという。たしかに最近では、CDは購入されるとすぐにデータとしてコンピュータに取り込まれるのだから、CDは店からコンピュータへデータを運ぶための入れ物のようなものだとも言えるかもしれない。
 このような状況の中で、データ配信音楽は多くのリスナーを獲得しながらも、それゆえに音のクオリティが損なわれている、とこの本の著者は言う。この本は、音楽家ニール・ヤングと彼と共に高音質音楽プレイヤー「PONO」の開発を行なったフィル・ベイカーによる、高音質(ハイレゾ)フォーマットによる音楽配信システムの設立とその挫折、そして、誰でもが高音質音楽体験を享受できる環境を提供するための活動を記したドキュメントである。
 なぜ、デジタル技術やそのメディアは日々進化しているのに、音楽における音のクオリティは低下していくのか。これがこの本が主張することの根本にある疑問である。技術の進化とは、すなわち質的進化のはずが、音楽においてはそうはならずに、音楽を普及させることをのみ優先させ、「ストリーミングサービス会社は、最低の条件に合わせたクオリティでしか音楽を配信しなかった」という。もちろん、音楽を録音スタジオで体験するのと同等の高品質でデジタル化する技術は存在するし、技術の進化はそれを可能にした。しかし、誰でもがそれを聞けるような環境を安価に普及させる方向には、なぜか働いてこなかった。これまでさまざまな技術的障壁があったが、それはすでに解消されようとしているにもかかわらず、高品質のハイレゾ音源の配信は、クオリティに応じた高い価格を設定されることで、音楽ファンは高品質の音楽体験から遠ざけられてしまった。
 そして、「どんなテクノロジーを使用していようが、音楽の値段は等しくあるべき」という信念にもとづき、あらたに自身のニール・ヤング・アーカイヴズを(NYA)設立し、リスナーの聴取環境に応じた音質を、すべて等しい価格で提供することを実現した。それは、自分自身の音楽の本来の音をリスナーに聞いてもらうための、そして、誰もが音楽体験の豊かさに触れる機会を提供するための、資本によって奪われない音楽体験のための闘いなのである。

ニール・ヤング&フィル・ベイカー 訳:鈴木美朋 『音楽を感じろ デジタル時代に殺されていく音楽を救うニール・ヤングの闘い。』(河出書房新社)

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/25822


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